ドキュメンタリーとは単なる映像の記録ではなく、社会に問題を突きつける手段だということを改めて思い知らされた秀作だ。ますタイトルから制作者の迫力を感じる。番組のテーマは「沖縄と核」であり、「沖縄の核」でない。つまり「沖縄問題」ではなく、日本の問題だという制作者の強い思いがにじみ出てると私は感じた。日本のテレビドキュメンタリーの中でも、歴史に残る秀作となるだろう。
 私なりに番組を読み解いてみたい。

 アメリカ統治下の沖縄には大量の核兵器が持ち込まれていた。その数およそ1300発、今日アメリカやロシアが保有する数の5分の1に達する量である。
 番組は元アメリカ軍兵士らの証言をもとに、ナイキハーキュリーズやメースBといったミサイルが運び込まれていたとことを明らかにした。
1959年、ナイキハーキュリーズ1発が整備中に暴発、那覇市近くの海に落ち、兵士が死亡する事故が起きた。もし爆発していたら、那覇市は消えていただろう。弾頭は回収されたが、事故については今日まで隠され続けた。

 なぜアメリカは沖縄に大量の核兵器を運び込んだのか。アメリカはまだICBMやSLBMなど遠距離の輸送手段を持たず、前線に配備することが至上命題だったのである。配備を決定したのは、アイゼンハワー大統領である。
 「極東の空軍力を増強せよ、緊急時の使用に備えて核兵器を沖縄に配備する。」
 この同じアイゼンハワーは、1953年国連で原子力の平和利用をうたった「アトムズ・フォア・ピース」演説で、何と言っていたか?
 「米国は軍事目的の核物質の単なる削減や廃絶以上のものを求めていく。核兵器を兵士たちの手から取り上げることだけでは十分とは言えない。そうした兵器は核の軍事利用の包装をはぎとり、平和のために利用する術を知る人々に託さなければならない。」

 番組は伊江島で水爆投下訓練が繰り返され、住民に死者が出たことを明らかにする。また嘉手納弾薬庫では1962年キューバ危機の際、核の発射スイッチはすべて「HOT」となり、アメリカ兵士の誰もが核戦争が始まると思ったという。核兵器整備部隊兵士の「沖縄は消滅すると思いました」との証言が心に突き刺さる。

 沖縄だけではない。「本土」にも同様にオネストジョンが配備される計画だった。ところが1954年に起きたビキニ環礁での水爆実験で、日本の漁船多数が被ばくし、反核運動が高揚したことから、配備は見送られたのである。
 当時、第五福竜丸だけでなく、約900隻の漁船が被ばくし、中には現在も汚染されたまま、放置されているものもある。
 アメリカは核兵器を守るために核兵器を配備した。ソビエトの爆撃機バジャーが、メガトン級の水爆で攻撃を仕掛けてくる恐れがあったからだ。
 核攻撃から核を守るために核を配備するという、典型的な核軍拡の構図が沖縄に凝縮していた。

 1960年日米安全保障条約を結んだのは安倍首相の祖父岸信介である。A級戦犯だった岸は戦後首相に上り詰めたが、一貫して核武装論者だった。その弟で同じく首相となった佐藤栄作も同様だ。
 その佐藤内閣時代、外務大臣を務めた小坂善太郎は、アメリカのラスク国務長官との間で次のようなやりとりのあったことを番組は明らかにした。

小坂 沖縄のメースなどの武器を持ち込まれる際、事前に一々発表されるため議論が起きているが、これを事前に発表しないことはできないか。
ラスク アメリカの手続きとして、何らかの発表をすることは必要と思われる。
小坂 事後に判明する場合には、今更騒いでも仕方がないということで議論は割合起きないが、事前に発表されると、なぜ止めないかといって、日本政府が攻められる結果となる。

 「これが唯一の被爆国の外務大臣の発言か」
沖縄の人々の怒りはあきらめに近い。小坂の発言は核持ち込みについて問われても、「事前協議がないから持ち込みはない」というトートロジーを、日本政府が永遠に繰り返す態度とぴたりと重なる。元首相佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞した。

 アメリカは1990年代初めに、極東の核兵器を撤去したと言われる。しかし今、北朝鮮の核実験を契機に、韓国では核の再配備が議論に上っている。日本でも自民党の元幹事長石破茂がテレビ番組で「米国の核で守ってもらうと言いながら、日本国内に置かないというのは議論として正しいのか」と、再配備の是非を議論すべきとの主張を展開した。
 アメリカ「憂慮する科学者同盟」のある研究者は、日本が水面下でアメリカ政府に核再配備を持ちかけていると警告する。

 番組は「アメリカ統治下」の「沖縄」と時間と空間を区切ってはいる。しかし制作者は、時空をはるかに超えて、核問題を今の日本に突き付けているのである。
 岸、佐藤とつながる安倍は核について何と言っているか。
「憲法上は原子爆弾だって問題はないですからね。小型であれば。日本は非核三原則がありますからやりませんけど、戦術核を使うということは、昭和35年の岸総理の答弁で、『違憲ではない』という答弁がされています。」(サンデー毎日2002年6月号)

 民主党政権下で日米間に核持ち込みの密約があったことが明るみになった。
「緊急時には再び沖縄に核兵器を持ち込む。嘉手納、那覇、辺野古の各弾薬庫を使用可能な状態に維持する。」
 番組は最後のナレーションで、嘉手納弾薬庫の映像をバックにこう語りかける。
 「今も当時と大きく変わらない規模で維持している。」
 番組制作者の製作意図がこの一言に凝縮している。そう、「沖縄の核」は「日本の核」なのである。

倉澤 治雄
千葉県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻)、80年日本テレビ入社。原発問題、宇宙開発、環境、地下鉄サリン事件、司法、警察、国際問題などを担当。経済部長、政治部長、解説主幹を歴任。著書は「福島原発事故に至る原子力開発史」(中央大学出版部)、「原発ゴミはどこへ行く」(リベルタ出版)、「原発爆発」(高文研)、「テレビジャーナリズムの作法」(花伝社)、「徹底討論 犯罪報道と人権」(現代書館)「原子力船『むつ』 虚構の航跡」(現代書館)ほか