代表社員プロフィール
代表社員プロフィール・業績一覧
倉澤治雄
1952年6月2日 | 千葉県生まれ |
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1971年3月 | 私立開成高等学校卒業 |
1973年3月 | 早稲田大学理工学部建築学科中退 |
1977年3月 | 東京大学教養学部基礎科学科卒業 物理化学専攻 |
1979年10月 | ボルドー大学大学院第三博士課程修了 Docteur de 3eme Cycle |
1980年3月 | オルレアン大学客員研究員修了 |
1980年4月 | 日本テレビ放送網株式会社入社 報道局配属 |
1982年6月 | 科学技術庁記者クラブ兼気象庁記者クラブ担当 原子力開発、宇宙開発、海洋開発、環境問題などを取材 チェルノブイリ原発事故、メキシコ地震、 日航ジャンボ機墜落事故などを取材 |
1986年7月 | 防衛庁記者クラブ 防衛費1%問題、イージス艦導入、FSX導入等取材 |
1987年7月 | 警視庁記者クラブ・サブキャップ兼公安事件担当 成田闘争、日本赤軍丸岡事件、よど号柴田事件、 大韓航空機爆破事件、昭和天皇死去などを取材 |
1989年3月 | 農水省記者クラブ |
1989年7月 | 外報部配属 東ヨーロッパ崩壊、バルト3国ソ連邦離脱、 ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、ソビエト連邦崩壊等取材 |
1993年7月 | 司法記者クラブ・キャップ ゼネコン汚職取材 |
1994年7月 | 警視庁記者クラブ・キャップ オウム真理教地下鉄サリン事件など一連の事件取材を指揮 |
1996年7月 | 外報部配属 |
1997年1月 | 北京支局長 北朝鮮黄長燁書記亡命事件、鄧小平氏死去、香港返還、 ユーゴ中国大使館爆撃事件、江沢民政権の動向、 クリントン中国訪問、マカオ返還、法輪問題、 北朝鮮テポドン発射、日本人妻帰国問題、 中国建国50周年、戦後処理問題など取材 |
2000年6月 | 経済部長 |
2001年6月 | 政治部長 |
2002年6月 | ネットワーク戦略部長 |
2003年6月 | メディア戦略部長 |
2004年6月 | メディア戦略局次長 |
2005年6月 | (株)フォアキャストコミュニケーションズ代表取締役社長 |
2009年6月 | メディア戦略局主幹 |
2011年7月 | 報道局解説主幹 |
2012年7月 | 報道局解説委員 |
2012年10月 | 国立研究開発法人科学技術振興機構 中国総合研究センター フェロー |
2013年4月 | 中国総合研究交流センター 副センター長 |
2014年10月 | 同 上席フェロー |
2017年2月 | Bee Media LLC.設立 代表社員 |
2017年6月 | フリー科学ジャーナリストに転身 |
教育実績
1994年 | 立教大学社会学部非常勤講師 メディア論、ジャーナリズム論 |
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1996年 | 立教大学社会学部非常勤講師 メディア論、ジャーナリズム論 |
2001年 | 上智大学新聞学科非常勤講師 メディア論 |
2006年 | 立教大学社会学部メディア社会学科 メディア論、ジャーナリズム論 |
2005-2011年 | 文京学院大学 キャリアセミナー講師 |
2011年 | 関西学院大学 キャリアセミナー講師 |
2012年 | 上智大学新聞学科非常勤講師(単発) 立教大学メディア社会学科非常勤講師(単発) |
2012年後期 | 獨協大学外国語学部交流文化学科非常勤講師 ツーリズムメディア論 |
2013年後期 | 獨協大学外国語学部交流文化学科非常勤講師 ツーリズムメディア論 |
2014年後期 | 獨協大学外国語学部交流文化学科非常勤講師 ツーリズムメディア論 |