前回に引き続いて、ドレスデンについて書こうと思う。
 旧市街地からエルベ川を渡った対岸の地区(右岸)はNeustadt(新市街)と呼ばれているが、少し詳しい資料を見るとドレスデンという名前の都市が最初に建造されたのはむしろこちら側の方で、現在Altstadt(「旧」市街)と呼ばれている左岸は、後になってザクセン選帝侯が大規模な城を築いてから発展したのである。
 ところで、今回(2018年2月)の訪問の目的は、難民・移民の波が押し寄せているドイツ語圏の中でも、それをもろにかぶっている東部地域、つまりオーストリアと旧東独地域でのドイツ語教育の現状を探ることであった。ドイツ語教育の現場であるゲーテ・インスティトゥートで情報を得ようと思い、旧東独地域で二つしかないうちの一つであるドレスデン校(もう一つはベルリンにある)を訪ね、所長のクレンケ=ゲルデス博士にインタヴューを行った。その詳細は今回は省かせていただくが、ドレスデンのゲーテ・インスティトゥートの受講生は、ペギーダの勢威が強かった2015年頃はさすがに大きく落ち込んだものの、ここ二年の間に以前と同じくらいに回復したとのことであった。訪問したのがちょうどドレスデン爆撃の記念週間中だったので、市主催の諸行事の一環としてゲーテ・インスティトゥートもフラウエン教会前の広場をはじめ市内の数カ所に展示場を設けていた。所長から是非立ち寄ってみてほしいと言われたので行ってみると、その展示場というのがちょっとおもしろい。トラックや船に乗せて貨物を運ぶコンテナーなのである(写真①)。その中にごそごそと入り込むと、写真や資料が貼られているのはむろんだが、中には椅子が並べられて、プロジェクターで映像を見ることができるようになっているものもある。内容はゲーテ・インスティトゥートの本領である言葉の学習を通じた相互理解といったものであった。ここでもかいがいしく働いているのは、いつも笑顔を浮かべて、素朴だが品のある女性達であった。ドレスデンで公共の活動に関わっている女性にはこんな感じの人が多いと感じる。1990年の訪問時に新政党のビラを配っていた女性もそうだったが、日本でいうと地方国立大学の女子大生のような印象である。


写真①

 さて、このドレスデンのゲーテ・インスティトゥートがあるのは、先ほど述べた川向こうのかなり奥まった地区である。ホームページには市電のタネンシュトラーセ(Tannenstraße「樅の木通り」)の停留所下車とあるのだが、実際には市電は途中のアルベルト広場までしか行かず、そこからはバスに乗り換える。このバスの通るのはケーニヒスブリュッカーシュトラーセ(Königsbrückerstraße「王様橋通り」)で、北東方向に真っ直ぐ遙か彼方の丘に向かって伸びている。
 バスがアルベルト広場を出てしばらくは、移民相手の安っぽい店が並ぶ場末の雰囲気が漂う地区だが、やがて小綺麗で瀟洒な住宅が並ぶ、いかにも堅実な中流市民的な住宅街になる。もっともこれらの家々の中には、長らく居住されていないだろうと思われる荒れたままの建物もいくつか見受けられ、旧東ドイツ地域の現状も垣間見られる。ゲーテ・インスティトゥートの建物もそんな一角にあり、周囲の住宅と同じ様式のものであるが、ひときわ大きい(写真②)。


写真②

 実はこのあたりはかつては軍人の住宅地で、ゲーテ・インスティトゥートが入っている建物はもとの将校クラブだったそうである。卓球台が置かれた休憩室には受講生が二三人くつろいでいたが、これは舞踏会ホールだったとのことだ。受講生には移民で働き口を探す必要からドイツ語を習いに来ている人もいるが、いつも一定数受講する言わばお得意さんはドレスデン工科大学の学生だそうだ。最近ドイツのゲーテ・インスティトゥートの関係者と話をすると、決まって日本人の受講者が減少していることへの嘆きを聞かされる。ドレスデン校にも是非日本人が来るように奨めてほしいと、所長さんから強く言われ、渡された大量のパンフレットを抱えながらドレスデン校を後にした。
 さてゲーテ・インスティトゥートのすぐ北側に「軍事史博物館」Militärhistorisches Museumがある(写真③)。この地区が将校のための住宅地だったのはこのためなのである。もとは十九世紀後半にドイツ帝国軍(直接的には帝国の構成国となったザクセン王国軍)の兵器敞として建てられたもので、第一次大戦後は武器庫のほか多目的の会場に使用されたりしていたが、第二次大戦中から博物館となったとのことである。例の靖国神社の遊就館程度の規模かと思っていたのだが、比べものにならないほど巨大で圧倒される。


写真③

 今回の予定の中に、この博物館の見学は入れていなかった。「軍事」というからイデオロギー色の強いメッセージに付き合わされるのではないかと敬遠していたのである。さすがにナショナリスティックなドイツ賛美はしていないだろうが、逆に「平和」の啓蒙主義に同感を求められるのも、旅人としての私には重苦しい。ともかくすぐ近くなので行ってみることにした。
 ところがこの軍事史博物館、近づいて行くに従ってなぜかだんだんと興味が募ってくるのが不思議であった。まず遠方からちらりと目に入ってくる建物の巨大さに圧倒される。緑の丘の頂上、広い石段の上の白亜の殿堂といった趣である。慶応義塾の日吉キャンパスの、銀杏並木のどん詰まりにある講堂に少し似ている。
 ただし建築のデザインとしては新古典様式を鵜呑みにしたような、平凡なものである。三階建てだが各階の高さが大きいのは大型の兵器を格納する必要からだろう。縦横の直線が強調され、窓枠は二階だけにペディメントが施されている。建物の「色気」と呼べるものは、正面玄関が古代遺跡の城門のようになっていて、コリント式柱頭の列柱が付けられていることくらいである。
 実はこの律儀な左右対称の建物は、切り裂かれているのである。正面に向かって左側の翼に、超巨大な楔、または氷のかけらのようなものが嵌入している。異次元から落ちてきて突き刺さったかのようだ。近寄って見ると鉄骨を組んで網状の鉄板で覆った構造物で、中が透けて見える。この鋭くとがった構造は建物の全階を貫き、さらに上部は虚空に突き出ている。最上階にはこの突き出た部分への入り口があり、尖端の展望台に通じる通路が設けられている。足もとの網状鉄板から遙か下の地面を見下ろす恐怖に打ち克ってここにたどり着けば、ドレスデンの市街地が一望できる。今自分がいるのは、ドレスデンを破壊した爆弾全体が合体したかのような巨大な構造物の尖端であり、虚空の中に立たされているかのような不安を抱きながらドレスデンの今の姿を見下ろしているのである。私の心に湧いて来たのは、戦争に対する怒りや悲惨さへの同情ではなく、冷え冷えとした不安を伴った破壊の実感であった。
 この嵌入構造は、最近の改築にあたりダニエル・リーベスキントによって作られたものである。リーベスキントと言えば有名なユダヤ系建築家であるが、彼の作品はベルリンのユダヤ博物館、ニューヨークのグランド・ゼロの再開発など、文明の破壊の記憶を象徴化するものが多い。私はリーベスキントの建物を見たときにはいつも不思議な異次元感覚を感じるのだが、それは例えばザハ・ハディドの国立競技場のような大胆な造形によるものではない。既存の建物や事物の中に異質なものが入り込むことによって、端正な様式に潜んでいた異様さが浮かび上がってくるのである。この感覚はスピルバーグの映画の風景から感じるものに似ているように思う。例えば『激突!』(Duel)のトレーラーである。あれは確かにもともと無骨で威圧感のある車両ではあるが、その隠し持った凶暴さがあらわになるのは道路上の諍いによって引き起こされる感情のささくれが起こってからである。『宇宙戦争』の中に出てくる港に架かる橋(ニュージャージー州のペイヨン橋という実在の橋らしい)の姿もそうである。人間が造った構築物の中でも、橋はその機能美をもっとも端的に表すものであるが、この映画ではその美しい橋を仰ぎ見る一見日常的な大都市のシーンが、どこか不気味なのである。その不気味さが何に由来するのか、最初は鑑賞者にはわからない。後になって地下に潜んでいた火星人が出てきて破壊が始まると、この巨大で美しい構築物が実に効果的な地獄絵の背景となる。そのときになって初めて、つまり時間を遡って、鑑賞者は当初の予感した不気味さを理解するのである。
 ドレスデンの軍事史博物館でも、兵器敞の既存の建物は擬古典主義の単純なデザインだが、こちらの方が巨大な嵌入部よりもどこか不気味なのである。悪魔が最初は天使のような清らかな姿を見せていたのが、巨大な楔が嵌入した瞬間その邪悪な本性を一瞬垣間見せ、そこで時間が止まったかのようだ。その瞬間が具体的に何か、という解釈はさまざまにできようが、さしあたっては七十三年前の空爆というのがわかりやすい。だがその瞬間はいつでも、過去のみならず未来にも存在のかもしれない。
 さて、展示内容について述べよう。
 入館してみてその内容の豊富で充実していることに驚いた。古代ローマ帝国と戦ったゲルマン人の武器や服装からはじまって、現代の宇宙戦争に至るまで、およそドイツが関わった歴史上の戦争に関する実物がこれでもかというほど展示されている。歴史上の重要な戦争の講和条約原文(精巧なコピーかとは思うが)も見ることができ、歴史好きにはたまらない。
 むろん第二次大戦中のものは一段と充実している。兵器の展示の他、兵舎のの内部が再現されていたりして、戦場の様子が肌にじかに伝わってくるばかりでなく、ナチス統治下の日常生活品、ポスターやビラの実物が貼り出され、当時の市民生活の実感が伝わってくる。東ドイツ時代についても同様である。
 極めつけは屋外の中庭に所狭しと置かれている戦車の展示である。戦後まもなくのソ連軍、米軍双方のものや、旧西独・東独それぞれの軍隊で使用された実物がざっと20台ほど並べられていて壮観である。
 とにかくこの博物館は、戦争に関するリアルな現物を展示しているところに特徴がある。むろんこうした現物が軍事の持つ魅力を伝えることになってしまうとして、批判する言説もあるのではないかと思う。この点については筆者はまだ充分なリサーチができていないのであるが、しかし、現在のドイツ国家(ドイツ連邦共和国)が国立の博物館として、徹底した現物主義を貫いているのは興味深い。戦車も槍もサーベルも、軍靴も階級章も包み隠さず展示している。よく「ドイツ的徹底主義」(deutsche Gründlichkeit)ということが言われるが、この博物館はまさにこの徹底性の表れという以外にない。
 もう一つ触れておきたいものがある。それはこの博物館の敷地に入ってすぐ、建物の正面に置かれたソ連兵の巨大な記念碑である(写真④)。私はこれがもとからここに立てられていて、旧東ドイツ時代に戦勝国ソ連が敗戦国ドイツの軍事施設を威圧する目的で建立したものとばかり思っていたのだが、後でドレスデンに住んでいたことのある友人に話すと、意外なことがわかった。この像、実はもとは新市街の中心であるアルベルト広場の真ん中に立っていたのである。最近になってこの軍事史博物館の敷地に移したのだそうだ。そうなるとここにこの記念碑が立っている意味合いが全く違ってくる。つまり博物館の展示物となったのであり、歴史の記憶をとどめる現物として人々の目に曝されているのである。歴史の風景が持つ意味の実に見事な操作である。この歴史の現物主義には、旧市街のフラウエン教会や王宮などバロック建築のリアルな再現と同じ意図を見ることができよう。つまり現代の都市空間に過去の事物をそのままに再現し、そこに時間の重層性を演出するドレスデンの人々の発想である。そのリアルな存在感の中でこそ、歴史上の「あやまち」も深く認識できるのではないだろうか。


写真④

写真①②:筆者撮影
写真③:Von User: Kolossos – Eigenes Werk, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16268105
写真④:Von Kanjawe – Eigenes Werk, CC BY-SA 2.1 jp, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15594069

武井隆道
1953年5月31日 長野県生まれ。
1960年より長野県小諸市にて少年時代を過ごす。
長野県立上田高等学校卒業
東京大学文学部、同大学院でドイツ文学を学ぶ。
1987年より筑波大学でドイツ語、ドイツ文学、ヨーロッパ文化等の講義を担当。
研究領域:ゲーテを中心とする18世紀末および19世紀初頭のドイツ文化
最近の研究テーマ:バレエの歴史と宮廷人ゲーテ、18世紀の身体美意識とゲーテ、ゲーテ時代のサロンの瞬間芸(タブロー・ヴィヴァン、アチチュード)