知の源泉 企業博物館① 竹中大工道具館
木と人類のかかわりは深い。猿人、原人、旧人、新人と進化をたどる中で、石器と火の使用が始まった。火の使用を支えたのは木を中心とする植物である。人類は肉や魚、木の実や野菜を火で調理することを覚え、食べ物を咀嚼する時間が圧倒的に短縮したことから、狩りや農業に時間を割くことができるようになったのである。
2022年にノーベル医学生理学賞を受賞したスバンテ・ペーボ博士らはゲノム解析の手法を使って、現生人類(ホモ・サピエンス)の遺伝子の中に、旧人類のネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝情報の一部が残っていることを示し、世界に衝撃を与えた。現在、地球上で支配的な種として繁栄を謳歌するホモ・サピエンスは約20万年前に東アフリカで誕生し、約6万年前に世界各地へと広がった。肌の色や顔・頭・体型によらず、現在地球上で暮らす79億人の人類の起源はアフリカにあり、全人類は遺伝的に全く同等であることが分かっている。
木が人類の進化に果たした役割ははかり知れない。燃料としての役割が最も大きく、製塩や製鉄には膨大な量の木材が使われた。また木の実や果物などの食料生産の手段、住居や倉庫の建築材料、そして狩りをする槍などヒトが使う様々な道具の材料として、不可欠な存在だったのである。
日本でも縄文時代に人口が増加し、集落ができ、住居の材料、生活用品の材料、それに炊事や暖房の燃料として森林資材が使われるようになった。芸術作品とも見まがう縄文時代の火焔土器は、燃料としての木の存在がなければ生まれなかっただろう。
弥生時代になると大陸から稲作が伝えられるとともに鉄器が流入した。石斧などの石器に比べ、鉄器ははるかに鋭く、効率的な木の利用が可能となった。古墳時代の遺跡からはすでに鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、槍鉋(ヤリガンナ)、釿(ちょうな)、斧(おの)などが出土している。
6世紀に仏教が日本に伝わると、寺院建築や宮殿の造営、貴族の館などの建築が盛んになった。同時に巨木が次々と切り倒され、中世にはすでに巨材の入手は困難となっていた。環境問題はすでに始まっていたのである。木を伐採、製材、加工する大工道具は古代の飛鳥、奈良、平安を経て中世の鎌倉、南北朝、室町、戦国、安土桃山、そして近世の江戸時代から現代の明治、大正、昭和に至るまで、途切れることなく進化を続けたのである。日本の大工道具は世界でも稀に見る多様性を備えているといわれる。
驚くほど多様な日本の大工道具を、実に心地よい環境で通観できるのが「竹中大工道具館」である。東海道・山陽新幹線の新神戸駅からほど近く、看板さえ出ていないが、門をくぐると、そこは別世界である。外壁は聚楽土をまぜた漆喰仕上げで、温かみのあるたたずまいを醸し出している。
「斫る」という漢字を読める方は何人おられるだろうか。「はつる」と読み、道具で少しずつ削ることを指す。入口の木の扉から驚かされる。幅広の扉の表面に釿(ちょうな)で斫(はつ)った跡が残り、何ともいえない風合と肌触りを出している。削り跡をそのまま残す伝統の名栗仕上げである。
そもそも釿(ちょうな)という道具を皆さんはご存じだろうか。実はヤリガンナと並んで筆者が最も好きな大工道具である。釿の柄は独特の曲線を描き、先端には刃がついている。職人は刃の重みを利用して振り子のように足元に振り下ろすことで木に荒加工を行う。鉞(まさかり)とともに原木に初めて使う道具であることから、建築儀礼でも「地鎮祭」のあとに「釿(ちょうな)始め」という儀式が行われる。
河﨑敦子館長によると、入り口の扉は京都の名栗仕上げ専門の職人さんに作ってもらったとのことである。出来が素晴らしかったので「もう一枚」とお願いしたところ、「さすがに勘弁してほしい」と言われたが、説得して作ってもらったそうである。
入り口をくぐると透明で明るい空間が広がり、まるで柱がないかのような錯覚に陥る。床だけでなく、椅子やテーブルもすべて木の温かさが感じられる。天井を見上げると国産杉の無垢材で組み上げた典型的な舟底天井が広がる。中庭の敷瓦は「だるま窯」と呼ばれる昔の製法で作られている。
竹中大工道具館が開館したのはバブル景気直前の1984年のことである。当初は中央区中山手通にあったが、2014年10月4日、新神戸駅に近い中央区熊内町7の竹中工務店ゆかりの地に移転して一般公開された。
新しい建物の全体は鉄骨で、空調や照明は現代技術によるものを備えている。一方で伝統的な建築技法をふんだんに取り入れている。河﨑館長によると、「10年前にたくさんの腕のある職人さんに力を貸してもらいました」とのことである。
一階から地下に降りる階段はホワイトオークの一枚板をくり抜いた段板で、心地よく靴音を響かせる。内壁は継ぎ目のない、風化して朽ちた「版築づくり」の土壁の風情を醸し出す掻き落とし技法で、左官職人の久住有生氏の作である。久住氏は国内外で活躍するアーティストで、父の章氏も「カリスマ左官」の誉れが高い。
外に目をやるとひなびた茶室が目を引く。茶室は数寄屋師笛吹嘉一郎の作である。笛吹は表千家の不審庵東京出張所などを手掛けた。裏千家の今日庵東京道場を手掛けた木村清兵衛、武者小路千家の木津宗詮とともに、当代一の数寄屋師と称された。
一歩地下に足を踏み入れるとそこは大工道具の世界である。日本列島は実に多様な気候帯で、1000種類以上の樹木が存在するという。建築材料として使われる樹木は「針葉樹」と「広葉樹」に分けられる。針葉樹は一般に材質が軽くて柔らかく、木目が直線で加工しやすい。
木目が美しいスギ、上質の建材でよい香りがするヒノキ、強度が高いカラマツ、耐水性があり粘り強いクロマツ・アカマツ、それにモミやツガである。広葉樹は硬くて重く、加工しにくいが強靭で、木目は複雑である。硬く粘りのあるブナ、加工性や着色性に優れるミズナラ、木目が美しいケヤキ、緻密で香りが良いヤマザクラ、樟脳が取れるクスノキ、木目が美しいトチノキのほか、クリ、アオダモなどがある。
これら多様な木材を加工するため、多彩な道具が作られた。しかも道具を使うのは人間である。人間の個性や作業の中身に合わせて、大きさも形も異なる道具が作られてきた。
大工道具を大きく分けると、まず切る道具である。鋸(のこぎり)が代表である。中国から伝わった巨大な鋸は「大鋸(おが)」と呼ばれ、二人で挽いた。「おがくず」は「大鋸」の削りくずを指す。世界の主流は鋸を押して使ったが、日本では引いて使う。刃の形だけでも「縦挽刃」、「横挽刃」「バラ目刃」などがあり、材質や木目によって使い分けられる。
削る道具の代表は鉋(かんな)である。釿(ちょうな)やヤリガンナは廃れてしまったが、木材の表面を薄く削る台鉋は現役である。平らに削る「平鉋」、直角の入隅を削る「際鉋」、敷居や鴨居などの溝を加工する「溝鉋」、角材の角を削る「面取り鉋」などがある。どれほど薄く鉋で表面を削ることができるか、コンテストが開かれるほどである。大工道具館に並ぶ大小さまざまな鉋は圧巻である。
もっとも種類が多いのはおそらく鑿(のみ)であろう。大工道具館に並ぶ鑿の数はけた違いである。長さ、刃の幅、刃の形、握りの形、実にさまざまである。
他にも長さや角度を測る曲尺(さしがね)、直線を引く墨壺(すみつぼ)、平行線を引く罫引などの墨掛(すみかけ)道具、穴をあける錐(きり)、叩く道具の槌(つち)、原木の樹皮を剝ぐ鉞(まさかり)、それに道具の刃を研ぐ砥石(といし)などがある。たかが砥石というべからずである。河﨑館長によると、大工が集まると砥ぎの話で何時間も盛り上がるという。
大工道具館では道具を作る名工にも光をあてる。まるで芸術作品のような大工道具の刃の鋭さは、暗闇から浮かび上がる一筋の光のようである。刀匠の家系に生まれた名工千代鶴是秀、鑿鍛冶の名工三代目善作、鋸鍛冶の最高峰として知られる二代目宮野鉄之助など、東西の名工の系譜を見ると、伝統の重さをひしひしと感じる。
人はなぜ木に惹かれるのだろうか?
河﨑館長は建築材料としての木の魅力について次のように語る。
「木は再生する唯一の材料です。スピーディーに加工できるし、だからこそ災害があっても日本はやってこられたのです。木は自由度の高い優れた材料です。出来上がった空間はやわらかく、とても居心地がいいのです」
同時に今日の建築技法のあり方についても次のように問題提起する。
「コンクリートがこれほどもてはやされたのは単一素材として優れているからです。しかし今の建築材料は朽ち果ててゴミになるものが多すぎます。木造はもともと耐火性や大規模化に難があり、サプライチェーンも崩壊しています。建築材料としていったん手放してしまったので、仕方のないことですが、では建築はどこに行くのでしょうか。人間がいなくなっても地球はもとに戻るだけです。そう考えると自然に戻らないものを作ってはいけないのです。そういうことをまじめに考えなければならない時代なのだと思います」
大工道具館には唐招提寺の模型や茶室、実物の木材と削り屑、大工の棟梁に関する資料、土壁、組子障子、襖などの建具、それに海外の大工道具などが見事に配置されている。
年間の訪問者数は約5万人である。近年、外国人観光客もますます増えてきた。
神戸散策の折に、心地よい光と緑の空間で、人と木や森の関係について、今一度考え直してみてはいかがだろうか?
データ
竹中大工道具館
https://www.dougukan.jp/
〒651-0056
神戸市中央区熊内町7-5-1
電話 078-242-0216
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12月29日から1月3日)
開館時間 9時30分から16時30分まで 入館は16時まで
(了)
千葉県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻)、80年日本テレビ入社。原発問題、宇宙開発、環境、地下鉄サリン事件、司法、警察、国際問題などを担当。経済部長、政治部長、解説主幹を歴任。科学技術振興機構中国総合研究センター副センター長など。著書は「原子力船『むつ』虚構の航跡」(現代書館)「福島原発事故に至る原子力開発史」(中央大学出版部)、「原発ゴミはどこへ行く」(リベルタ出版)、「原発爆発」(高文研)、「テレビジャーナリズムの作法」(花伝社)、「徹底討論 犯罪報道と人権」(現代書館)「中国、科学技術覇権への野望」(中公新書ラクレ)「新型コロナワクチン 不都合な真実』(高文研)「宇宙の地政学」(ちくま新書)など。