月のうさぎ

ネットで「月のうさぎ 歌」と検索すると、何曲もの作品とともに音楽や映像がヒットする。それほど「月のうさぎ」は私たちの精神生活に影響を与えてきた。「月のうさぎ」の黒い模様は月の表側にある「海」である。月の「海」はかつて小天体が月面に衝突した時、マグマが噴出してできたとされる。「黒」の正体は玄武岩である。これにたいして白い部分は斜長岩である。

月は常に表側を地球に向けていることから、私たちは裏側を見ることができない。実は月の裏側には「月のうさぎ」どころか、「海」と呼ばれる黒い部分がほとんどない。表の顔と裏の顔がなぜこれほどまで違うのか、月の科学研究で最大の謎と言われているのである。
月のうさぎ
人類が月の裏側を初めて見たのは1959年10月4日に旧ソ連が打ち上げた「ルナ3号」が撮影した写真によってである。かなり不鮮明な写真だったが、黒い「海」ではなく、ぼこぼことしたクレーターが多数広がる世界だった。

生身の宇宙飛行士が月の裏側を直接視認したのは1968年12月21日に打ち上げられた「アポロ8号」が最初である。アポロ8号は月の地平から昇る「地球の出」を初めてカメラでとらえたことで知られる。

中国の月面探査機「嫦娥6号」は24年6月25日、月の裏側の試料1935.3グラムを携えて地球に帰還した。月の裏側からのサンプルリターンは宇宙開発史上初の偉業である。

中国の宇宙開発は1970年4月24日の人工衛星「東方紅1号」の打ち上げ成功に始まり、旧ソ連、米国、フランス、日本に続いて「宇宙クラブ」への参入を果たした。有人宇宙飛行計画「神舟」は1992年にスタート、03年10月15日には楊利偉中佐を乗せた「神舟5号」が地球を周回、中国初の宇宙飛行士が誕生した。

嫦娥計画の全貌

「嫦娥計画」がスタートしたのはその直後の04年1月である。3年後の2007年10月24日には「嫦娥1号」が打ち上げられ、月面高度200kmの月周回軌道に投入された。搭載機器は月面の立体地図を作成するためのCCD立体カメラ、元素分析を行うための分光計、それに太陽風粒子や放射線を測る測定器などである。

「嫦娥2号」が打ち上げられたのは10年10月1日の国慶節である。月面高度100kmの月周回軌道に投入された。より高解像度のCCDカメラを搭載し、次の「嫦娥3号」の着陸地点を探った。一般に探査機や衛星は「主機」と「予備機」のペアで構成される。

「嫦娥3号」は13年12月1日に打ち上げられ、月面への軟着陸に成功した。これにより中国は米ソに次いで三番目の月面到達国となったのである。「嫦娥3号」は月面ローバー「玉兎」の展開にも成功したが、月の2日目の夜、地球の1か月半後に走行不能となった。

嫦娥計画の全貌

18年12月8日に打ち上げられた「嫦娥4号」は、翌年1月3日に宇宙開発史上初めて月の裏側への軟着陸を果たした。中国は月の裏側と地球を結ぶ通信を確立するため、両方を同時に見通せる「ラグランジュ点」に中継衛星「鵲橋」を投入した。「嫦娥4号」は月面ローバー「玉兎2号」の展開にも成功した。短寿命だった「玉兎」の課題を解決し、「玉兎2号」は4年以上稼働し、約1500メートルを踏破、月の裏側の画像1000枚以上を地球に送り続けた。

「嫦娥5号」は20年11月24日に打ち上げられ、月の表側北西部リュムケル山付近から1731グラムの試料回収に成功した。無人のサンプルリターンは極めて難易度が高いと言われる。これまでに成功したのは旧ソ連だけで、1970年の「ルナ16号」が101g、1972年の「ルナ20号」が30g、1976年の「ルナ24号」が170gのサンプルを持ち帰った。

米国はアポロ計画全体で382kgと大量のサンプルを持ち帰ったが、すべて「有人」、つまり人力でのサンプル回収だった。

嫦娥6号の快挙

「嫦娥6号」は5月3日に打ち上げられ、5月8日には月周回軌道に到達、6月2日に月の裏側の南極点近くに着陸した。着陸地点は「嫦娥4号」と同じエイトケン盆地で、月の裏側に五星紅旗が掲げられた。

「嫦娥6号」は軌道モジュール、帰還モジュール、着陸モジュール、上昇モジュールで構成され、観測機器のほか、サンプルを採取するためのシャベルやドリルが搭載されていた。とくにアルミ合金製のドリルは長さ2.5メートルで、回転しながら月面を掘削し、深部の土壌を採取できる設計となっていた。

嫦娥6号©CLEP

持ち帰った月の裏側のサンプルは貴重である。月の表側と裏側がなぜこれほどまでに異なるのか、謎を解き明かすカギとなるかもしれない。また月の裏側では第三世代核融合に使われるヘリウム3などの資源が大量に見つかるのではないかと期待されている。

中国中央テレビは6月4日、「嫦娥7号」が26年、「嫦娥8号」は28年に打ち上げられるとスケジュールを明らかにした。次のミッションは月面基地「国際月科学研究ステーション(ILRS)」の「基本形」構築である。

すでに「嫦娥7号」「8号」に搭載する観測機器のRFI(情報提供依頼書)が公開されており、「嫦娥7号」が水、氷、および揮発成分などの資源探査、「嫦娥8号」が月面環境下での生態系の実験研究に主眼が置かれていることがわかる。ILRSの構築にはロシア、ベラルーシ、パキスタンなど9か国、2機関が参加を表明した。

中国宇宙開発の強みと弱み

このように「嫦娥計画」は極めて周到に用意された戦略的なプロジェクトであることがわかる。同時に中国の宇宙開発の強みと弱みが見えてくる。中国の強みは何と言っても中国共産党による迅速な意思決定である。「やると言ったらやる」のが中国式である。

また豊富な人材と資金も強みである。中国の宇宙開発を支える国有企業「中国航天科技集団(CASC)」と「中国航天科工集団(CASIC)」を合わせると職員数は35万人にのぼる。NASAの1万8000人、JAXAの1600人に比べるとけた違いである。

さらに先端技術の導入に熱心で、失敗に対して真摯に向き合い、克服する力量は日本も見習うべきである。産学軍官の連携も深い。

一方、弱みも抱えている。まず有力な国際協力パートナーがロシアに限られる点だ。ILRSの参加国が9か国・2機関であるのに対し、米国アルテミス協定への参加国は42を数える。とくに米国は「ウルフ修正条項」などにより、国内法で中国との宇宙開発協力の道を事実上閉ざしている。

また国策一辺倒で、自由な発想や大胆な創造力が発揮できる研究開発環境にないことも弱点だ。米国で宇宙開発を先導するのはスペースXを始めとする宇宙ベンチャーで、その数は6000社にのぼる。一方の中国はまだ400社強で、活動の領域も限られている。

宇宙、原子力などのビッグプロジェクトだけでなく、AI、バイオ、ロボティクスを含めた先端科学技術や基礎研究分野で中国の躍進が目覚ましいのは事実である。いずれ米国と肩を並べる時代が来るだろう。

一方で、米国を抜き去るには足りないものがある。それは青臭い言い方をすれば高邁な「理想」である。2000年以降、日本は米国に次ぐノーベル賞受賞者を輩出してきた。私は受賞者の記者会見の第一声に常に注目してきたが、ほとんどすべての受賞者が「基礎研究の重視」に加えて、「真理の探究」や「人類の福祉」に言及する。

中国では宇宙開発の成果は「宇宙強国」に向けた国威発揚の宣伝の道具である。科学技術の目標は常に「科学技術強国」に資するためである。中国からノーベル賞受賞者が続出し、「尊敬される科学技術大国」になるには、「理想の欠如」を埋めることができるかどうかにかかっていると私は思う。