ある日突然、自分は第三者から提供された精子や卵子を用いた生殖補助医療で生まれたと知ったとき、人はその重い事実をどう受け止めるのでしょうか。非配偶者間人工授精(AID)で生まれた当事者らが、生い立ちを整理する手法「ライフストーリーワーク」を試み、同じ境遇の方々に広めようと活動をしています。2月8日、大阪市で開かれたセミナーを取材しました。

ライフストーリーワークは帝塚山大学元教授で社会福祉士の才村眞理さんがイギリスから導入し、児童養護施設や里親の元で育てられた子どもたちに対して実践してきました。子どもが信頼できる専門家と一緒に、産みの親のことや親と別れて暮らさなければならない理由などについて語り合い、自分の過去・現在を整理していく手法です。才村さんは2007年からこの手法を精子提供により生まれてきた人の心のケアにも応用しています。8日のセミナーでは才村さんと一緒にライフストーリーワークを行った50代の女性Aさんが、約30人の参加者の前で自身の体験を語りました。

「私は母のために作られた」

AさんがAIDで生まれたことを知ったのは32歳のときです。母親から、父親と離婚するという報告と一緒に知らされました。Aさんは一人っ子で、「離婚とAIDのことを両方、娘に報告しなければならなかったことで、母のほうが動揺していた」と振り返ります。告知を受けたときには、Aさんは結婚し子どもがいました。最初に思ったのは「家族を巻き込んでしまった」ということだったと言います。遺伝上の父親が分からない自分が、それを知らないまま命をつないでしまったからです。夫には、母親から聞いたその日の夜に伝えました。

第三者から精子提供を受けて生まれた子どもたちは、遺伝的なつながりのない父親の実の子として戸籍に記載されます。ですので、親やその事実を知る人などから聞かされるまで、「何かがおかしい」と気付いても、疑問を解く方法がありません。Aさんの場合、最初の疑問は父母の血液型では生まれない血液型だったことでした。母親に問い合わせても話をそらされました。小さいころから父親とはあまり良い関係ではありませんでした。容姿は父親にも母親にも似ていませんでした。

母親はAさんへ告知した3年後に病気で亡くなりました。Aさんは「私は母のために作られたのに、母が死んだら、私が生きる意味はあるのか?」「私が家族を作ったことについてはどう折り合いをつけたら良いのか?」と悩んだと言います。そして、自分が根っこから崩れてなくなってしまったような気持ちになり、眠れなくなり、体調を崩しました。心療内科を受診して、自分は精子提供で生まれたと医師に説明したところ、「嘘でしょう」と言われました。「ここでは、自分は救われない」と思ったと言います。

Aさんはその1年後、新聞で同じような境遇の人がいることを知ります。新聞社に問い合わせて連絡先を聞き、当事者の方やこの問題の研究者に出会うことが出来ました。「落としどころのない感情について吐露し、“辛いよね”と受け止めてもらい嬉しかった」と振り返ります。

「普通に生まれたかった」

Aさんはその研究者を介して才村さんに出会います。そして、才村さんが児童福祉の現場で実践していたライフストーリーワークを始めました。母親からの告知から9年が経っていました。「9年経っても不安は解消せず、心の整理もついていなかった」状態でした。才村さんとは月に1度2時間ほど同じ場所で会い、話し合いを3年間続けました。順調な時ばかりではありませんでした。「嘘の親子関係を信じて築いてきたものは何だったのか」と気持ちが落ち込み、話すことが出来ず、「しんどいです」とだけ言って、別れたこともありました。「こんなことをして何になるのでしょうね」と反抗的な言葉を放ったことも。才村さんはそれらを全て受け止めてくれました。3年間続けて気持ちが整理された後は、3ヶ月に1度の話し合いを1年間続けて、ライフストーリーワークを終えました。「4年かけて、ようやく生きることを肯定的に捉えられるようになった」と言います。

ライフストーリーワークでは自分の家族のこと、告知を受けたときの気持ち、提供者について思ったこと調べたことなどを、時間をかけて支援者と話し合い、絵図や文章にして書き、気持ちを整理していきます。現在の自分を見つめることから始め、過去に向き合い、未来についても考えます。ライフストーリーワークを終えて、Aさんは「心の中に別の部屋が出来た。この嫌な気持ちや折り合いがつかないことは別の部屋に入れておくことが出来るようになった」と語ります。そして、「提供者を知りたい。AIDで生まれるのではなく、普通に生まれたかった」と思うとともに、自分がこの世に生を受けたこの生殖補助医療について、「会ったこともない人との子どもが生まれることは普通ではない。それは医療ではありません」と断言します。

このライフストーリーワークの最中に戸籍上の父親が亡くなりました。市役所からの手紙で知りました。心を揺さぶられ、父親のことを調べました。父親の住まいに行ってみました。「縁の薄い父でさえ、これだけ心が動揺するのだ」と驚くとともに、「人は人生の折々に、自分ひとりの人生ではないのだと気付いて、家族に向き合うようになるのだ」と気付いたといいます。心が安定している今は、「以前は気になった不妊治療をしている人の話も、血のつながりの話も今は気にならない。何もかも悲しく怒っていたこともあったが、今は穏やかでいられる」と言います。報告の後、会場からは「告知をされて良かったか」「小さいときに知らされたほうが良かったのか」「生まれてきて良かったと思うか」などいくつもの質問が寄せられました。

保障されない出自を知る権利

AIDは1884年、アメリカの産婦人科医により初めて行われました。日本では1948年慶応義塾大学病院が初めて実施し、翌年女の子が生まれました。これまでに生まれた子どもの数は1万人以上と言われています。日本には生殖補助医療を規制する法律がありません。そのため、日本産科婦人科学会のガイドラインを基準に、医師や病院の自主規制により治療が行われています。2017年7月現在、同学会への実施登録施設は12カ所。同学会が、第三者の関わる生殖補助医療の中で認めているのは精子提供によるAIDのみ。卵子提供や胚提供による体外受精、代理出産は認めていません。

また、日本には子どもの出自を知る権利を保障する法律もありません。同学会が1997年に出したAIDに関するガイドラインには精子提供者はプライバシー保護の観点から匿名とされており、生まれてきた子どもが自分の遺伝上の父親が誰なのか知りたくても知ることが出来ません。当事者たちは、自分の実の父親は戸籍上の父親とは違うということを知らないまま人生を送るか、ある日突然、それを知らされ、その事実を受け止めて生きなければならないのです。その当事者らが2005年自助グループを作り活動を始めました。このライフストーリーワークも、活動の一環です。

セミナーでは「娘からAIDで出産すると言われた。どう対応してよいのか」という切実な質問も寄せられました。第三者がかかわる生殖補助医療は、「子どもがほしい」と願う親の視点で語られることが大半で、その技術により生まれた子どもたちの視点で語られることはほとんどありません。ですので、告知の問題や出自を知る権利など様々な課題が解決されないまま、この技術の利用は続いています。これらの課題に向き合う法律、そして、これらの医療技術で生まれた人、これから生まれてくる子どもや家族への支援体制の整備が急がれます。

当事者が自分の気持ちを整理するときに描いた絵=「ライフストーリーワークとは?~卵子・精子の提供により生まれた人のためのガイドブック~」より抜粋

参考文献
1)「精子・卵子の提供により生まれた人とライフストーリーワークをはじめるにあたって」(精子・卵子の提供により生まれた人のためのライフストーリーワーク研究会編集・発行)
2)「ライフストーリーワークとは?~精子・卵子の提供により生まれた人のためのガイドブック~」(才村眞里発行、由井秀樹編集)
3)「子どもが語るAID」(非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ発行・作成)
4)「AIDで生まれるということ」(非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ・長沖暁子編著、萬書房)
5)「生殖補助医療で生まれた子どもの出自を知る権利」(才村眞理編著、福村出版)
6)「人工授精の近代」(由井秀樹、青弓社)

村上 睦美
医療ジャーナリスト。札幌市生まれ、ウエスタンミシガン大卒。1992年、北海道新聞社入社。室蘭報道部、本社生活部などを経て、2001年東京支社社会部。厚生労働省を担当し、医療・社会保障問題を取材する。2004年、がん治療と出産・育児の両立のため退社。再々発したがんや2つの血液の難病を克服し、現在はフリーランスで医療問題を中心に取材・執筆している。著書に「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」(まりん書房)