理科教育には「七五三」と呼ばれる法則があるそうだ。小学生の時は7割が理科を好きなのに、中学に入ると5割に減り、高校に入ると3割になるという。「導電性高分子の発見と発展」で、2000年にノーベル化学賞を受賞した筑波大学名誉教授白川英樹先生が出版した「自然に学ぶ」には、「七五三」の法則を覆す大きな秘密が隠されている。

その秘密とは「よく観察し、よく記録し、よく調べ、そしてよく考えること」だ。本書は白川先生が信濃毎日新聞に連載したエッセイなどを中心に構成されており、種村有希子さんの温かくも心和む挿絵が散りばめられた魅力的な一冊だ。

タイトルの「自然に学ぶ」のほか、「化学の楽しさ体験」、「理系も文系もない」「ありのままを観る」など、子供の頃から自然に親しむことの大切さや、好奇心の育て方、家庭での身の回りにも考える材料がたくさんあることなどを、白川先生ご自身の体験を通して語られている。

一方で先生が専門としていた高分子化学が、プラスチックごみなどの問題を引き起こしたり、空気中の窒素を固定する「ハーバー・ボッシュ法」を発明したフリッツ・ハーバーが第一次世界大戦中、軍部に協力して毒ガス兵器の製造に手を染めていたこと、核物理学が核兵器を生み出したことなどを取り上げ、科学の知識を学ぶだけでなく、「科学がどう社会に影響を及ぼすかを、深く考え見極める努力が大切だと思う」と語る。

白川先生が政治をテーマにされることはほとんどないが、「不戦の誓い、継承を」では、大学での軍事研究の問題に触れ、「武器輸出三原則の見直し、集団的自衛権行使の容認、そして改憲に突き進む現政権に危惧を感じざるを得ない」と手厳しく批判するとともに、「不戦の誓いだけは代々継承しなければならない」と説いている。

本書のもう一つのテーマは、なぜアジアで日本人のノーベル賞受賞者が多いのか、という問いかけから始まる。日本はアジアの中で、自国語で科学教育が完結する数少ない国である。その背景には江戸中期から明治維新にかけて、蘭学者やオランダ通詞が、血のにじむような努力で西洋の文献を翻訳し、日本語に置き換える努力がなされていた歴史的事実がある。

「言語には伝達の道具という局面の他に、思考の道具という性格がある」という作家丸谷才一の言葉を引きあいに、白川先生は杉田玄白の「解体新書」や志筑忠雄の「歴象新書」に、今日の医学、生物学、それに物理学や化学で使われる訳語がほとんど出尽くしていることを実証する。

その上でグローバル化が進む中での英語教育の早期化について、「英語を学ばなくて良いということでは決してない」との前提の上で、日本語教育の大切さを次のように語る。

「グローバル化の中でさらに重要になるのは、物事の核心に迫る理解力と、自由な発想に基づく創造力であり、そうした力がノーベル賞受賞にみる日本の科学・技術を支えてきたことは言うまでもない。そしてその力を育んだものこそ、先人が創造し、今の時代に受け継いできた日本語だと考えることはできないだろうか。私たちは先人が成し遂げた蘭学や洋書の翻訳、直感的に理解ができる科学用語の創出という努力の大きな恩恵を受けていることを忘れてはならない」

ぜひ本書を手に取っていただき、日本が科学技術立国として、これからもきらりと輝く国であり続けるために何をなすべきか、思いをめぐらせていただければ幸いである。

「自然に学ぶ」白川英樹著

「自然に学ぶ」 白川英樹著 法藏館 2020年1月15日発行

倉澤 治雄
千葉県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻)、80年日本テレビ入社。原発問題、宇宙開発、環境、地下鉄サリン事件、司法、警察、国際問題などを担当。経済部長、政治部長、解説主幹を歴任。著書は「福島原発事故に至る原子力開発史」(中央大学出版部)、「原発ゴミはどこへ行く」(リベルタ出版)、「原発爆発」(高文研)、「テレビジャーナリズムの作法」(花伝社)、「徹底討論 犯罪報道と人権」(現代書館)「原子力船『むつ』 虚構の航跡」(現代書館)ほか