これは「闘病記」ではない。著者の村上睦美に襲いかかった試練は、「病」と呼ぶにはあまりに巨大かつ執拗だった。北海道新聞の記者として年金・医療改革などの取材に飛び回っていた村上を襲ったのは、血液のがんである「悪性リンパ腫」、それもステージⅣだった。
 村上が38歳の時だった。36歳で米国人の夫と結婚した村上は、どうしても子供が欲しかった。抗がん剤治療の影響を考慮し、村上は受精卵の凍結に踏み切った。幸い抗がん剤治療が功を奏し、村上に健康が戻ってきた。村上は双子を自然妊娠した。39歳の時である。流産を恐れて記者の仕事を辞めた。

 女の子と男の子を宿した幸福感に浸っていたある日、男の子の心音が消えた。母体の中で「生」と「死」が共存していた。息子「アンディ」の死を受け入れられないまま、「女の子も失うのではないか」との不安が募った。出産の喜びと死産の悲しみを同時に味わうことになった。病魔は執拗だった。自力で立てないほど体調が悪化した村上の新たな病名は、赤血球が崩れ行く「自己免疫性溶血性貧血」だ。輸血とステロイド剤による治療が続いた。退院したのもつかの間、「悪性リンパ腫」と「溶血性貧血」が再発、さらに左耳下の巨大な「良性腫瘍」、脈拍が異常に早くなる「発作性上室性頻拍」、「敗血症性ショック」、「特発性血小板減少性紫斑病」が襲いかかる。「悪性リンパ腫」が再再発し、抗がん剤治療、ステロイド治療、放射線治療、そして心臓カテーテル手術が同時進行のように続いた。

 病魔と闘いながら村上は新たな命を宿すことを諦めない。45歳になっていた村上は、凍結受精卵を子宮に戻すことを決意、46歳の誕生日直後に移植手術を受けた。難病と闘いながらの妊娠は母体を損ないかねないことから、夫は強く反対したが、村上の決意は固かった。2011年3月11日の「東日本大震災」を挟み、8月末、村上は男の子を出産した。「アンディの声を聞いた」と村上は最後に記す。

 ジャーナリストの闘病記としては千葉敦子の「死への準備日記」が有名だ。村上もこの本に触発されて記者という職業を選んだという。文字に残すためには、自分の身に降りかかることを客観的に見据えなければならない。村上は自分の感情や心の動きも隠さず記すことを選んだ。「私はこの闘病記を娘のために書き始めました」と書いているとおり、命を賭して産み育てた娘への遺言でもあるのだ。その意味で、この本は「闘病記」を超えた存在であると私は思う。病魔と闘いながら子供を産もうとする人だけでなく、「命」とは何か、「命を宿すとはどういうことか」に思いをはせるすべての人に読んでいただきたいと心から願う。

『がんと生き、母になる 死産を受け止めて』 村上睦美著 まりん書房 2019年3月24日 初版発行