書評 世界を踊るトゥシューズ~針山愛美の世界
『世界を踊るトゥシューズ』は、世界各国で活躍してきたバレリーナである針山愛美さんの修業記である。ロシア、ドイツ、アメリカの一流バレエカンパニーで人々を魅了してきた針山さんが国境を越えることは、あたかもあるときは滑らかなグリッサードで、あるときは端正なパドブレで、あるときは愛らしいパドシャで舞台を横切っていくかのようである。
芸術家が困難を乗り越えて栄冠をつかむまでの話にはそれだけで心が躍るが、この本の面白いところはそれだけではない。針山さんは行く先々で歴史的大事件に遭遇するのである。
ボリショイバレエ学校時代の1991年には、エリツィン政権下のクーデタ、モスクワ騒乱事件が起こって2ヶ月間寮に軟禁状態だったとか、ボストンバレエ団入団直後には9.11テロが起こって町の雰囲気が変わり、劇場に来る人が激減したとか、現場でのつぶさな体験が語られている。
その後2004年から針山さんはベルリン国立バレエ団で活躍される。当時のベルリンは私も何回か訪れたが、毎年のように町の景色が変わっていく時代だった。どこをいじると灰色の社会主義の風景が華やかな資本主義の都へと変貌するかがわかって、たいへん面白かった。針山さんがあの時代のベルリンで生活なさっていたとはうらやましい限りである。
日々向上を目指して精進する芸術家の目だからこそ捉えられた歴史の現場の意味深さが、率直な文に表現されている。各章毎に、キャリヤを積んでいく針山さんの人生と、世界史のダイナミックな動きが交叉する興味の尽きない本である。
1953年5月31日 長野県生まれ。
1960年より長野県小諸市にて少年時代を過ごす。
長野県立上田高等学校卒業
東京大学文学部、同大学院でドイツ文学を学ぶ。
1987年より筑波大学でドイツ語、ドイツ文学、ヨーロッパ文化等の講義を担当。
研究領域:ゲーテを中心とする18世紀末および19世紀初頭のドイツ文化
最近の研究テーマ:バレエの歴史と宮廷人ゲーテ、18世紀の身体美意識とゲーテ、ゲーテ時代のサロンの瞬間芸(タブロー・ヴィヴァン、アチチュード)