全体主義国家が初めて超える70年の壁

 北朝鮮は2018年9月9日に建国70周年を迎える。ソ連が69年で体制が崩壊したことから、近代以降の全体主義国家にとって70年は一つのラインとなっている。そして、今回これを超えるのが北朝鮮であり、歴史上初めてのことになる。

 この事実が意味するところは、北朝鮮という国が始まったときに生まれた赤ん坊が今年70歳を迎えるということである。もっと言えば、建国から携わってきた世代から数えて、4代に渡る世代が北朝鮮の内部において展開されてきたということである。

 ソ連の場合、ここに到達するまで国体が全体主義に耐えることができなかった。北朝鮮の場合は、これからの時代をこの国で生きてゆくような新世代が続々と生まれてきている。親も子も、60年代中ごろから始まる中ソからのしがらみを脱した金日成主義体制の下で生まれ育ってきた人間だけの家庭が構成され、もはやそれが社会の大多数を占めるまでになった。

 北朝鮮を語るときに崩壊への道が多く語られるが、現状ではその兆しは見えない。70年を超えこの記録がどこまで伸びることになるのか? そういった意味でも北朝鮮にとってだけではなく、文明史的にもこの70年というラインは特別な意味を持っている。

北朝鮮の超新世代の子供たち
北朝鮮の超新世代の子供たち

金正恩体制における晴れの舞台

 世襲による3代目を成立させたことにより、北朝鮮はこれまで潜在的に抱えていた、次世代への権力の継承という問題を解決させた。確かに、継承の過程で、多くの人材が粛清されたが、結果的に見て、人民の反発も起こらず順調に新体制へ移行することに成功したといえるだろう。 

 初代の金日成がカリスマ的指導者であったが、冷戦後の多くの葛藤を乗り越えてきた2代目の金正日の存在により、3代目の金正恩が何の実績も持たぬ若者であったにもかかわらず血統に基付く権力の世襲が可能になったのである。

 70年続く全体主義体制の維持が近・現代史において初のことであるように、3代続く血筋による権力の継承もまた近・現代史において初のこととなる。このような体制があったのは日本においては江戸時代であり、東アジアでも朝鮮の李朝や中国の清朝にまでさかのぼらなければならない。つまり、北朝鮮は21世紀の現代国家として国連に加盟している主権国家ではあるが、我々の基本的価値である主権在民の国民主権の国家ではなく、唯一の君主主権の国家という特徴をこの3代目により現実化させたのである。北朝鮮は今、21世紀の国際環境の中に封建的国家として存在している。

建国70周年における北朝鮮の狙いとは

 権力の移譲が承認され事実上の3代目の国家元首になった金正恩であったが、封建体質の全体主義国家において重要であったのは、区切りとしての儀式、つまり3代目の襲名披露だった(日本でも封建的体質を多分に持つ組織、歌舞伎界、落語界、相撲界、そしてやくざの世界などと同じ)。節目としての筋をつけるのである。そこで全人民に向けた国家儀式となったのが2016年の5月に36年ぶりに開催された第7回の党大会であった。

 この党大会において金正恩は正式に北朝鮮の3代目を襲名し、全人民もそれを了承し、すべてが成立した。これにより北朝鮮は実質的な金日成主義の王朝国家となったのである。

 2016年に国内において新体制を成立させた金正恩だったが、次の段階に控えていたのがこの3代目の金正恩の体制による王朝国家を世界的に「承認」させることにあった。そこで世界に向けた宣伝となる儀式として設定されたのが、2018年9月9日の建国70周年だったわけである。

 主権在民による国際秩序の中で、君主主権の存在を既成事実化させるということである。もし、中国や韓国、米国にロシアそして日本の要人らがこの儀式に参列し、世界から祝福され70周年を迎えたというかたちの写真であり記録映画に残すことができたら、金正恩の北朝鮮的には大成功となる。それがこれからのこの体制における正統性の根拠となる。

党大会から70周年の間に引かれた戦略のライン

 北朝鮮は2016年の党大会を事実上の出発点として、2018年の70周年を最終目的にした中期のプロジェクトが立ち上げ、この間に1本のラインを引いたのである。つまり、70周年を成功させるという目的に向け、党大会以降のすべての対外政策は緻密にも逆算的に段階として進めてきたのだ。

 それは言ってみれば、挑戦者として世界タイトルマッチを1年後に控えたボクサーが、その日を頂点のコンデイションにするために、1年に渡る逆算的に作られたプログラムみたいなものである。北朝鮮は始めに設定したプログラムに沿って忠実に一つ一つの課題をこなしてきたのである。

 まずは党大会の直後に行ったのは、中国の庇護下にあった腹違いの兄である金正男の暗殺であった。それは北朝鮮に対し、中国が相反する米国との価値観を結びつける唯一といっていい説得材料であった、金正男という可能性を、金正恩は真っ先に消去したのである。これにより、中国が目指した、米国の理解を得た上での北朝鮮の体制を維持しながらの、トップを入れ替えるというレジームチェンジの実現性はなくなった。

 ではなぜこのタイミングだったのか、それは単純に3代目の襲名が既成事実化した後であったからである。もし襲名前に兄殺しをしていれば、それは朝鮮伝統の儒教的道徳観的に大きな問題となるが、君主の襲名があれば、その存在はもはや天子となり人間界と別次元の存在として、人間界の兄に対してのこのような行為も問題にはならない。
 そして何より、この中期プロジェクトを始めるにあたり、北朝鮮の伝統的外交戦略である2大国の間に入り3角関係の形成を進める上で、北朝鮮に対し米国と中国が直接結び付く可能性を事前に消しておかなければならなかったのだ。

 この成功により、この後金正恩の北朝鮮は心置きなく2017年の1年を通し積極的に核とミサイルの実験を繰り返すことになる。対外的にはこれら一連の行為により国際社会における北朝鮮の脅威度は格段に上がった。対内的にはこのプロセスを通し一定の核とミサイルに関する技術的成果を獲得することになる。結果論的に言えば2016から2018年の間にかけてのプロジェクトにおいて、2017年は比較的自由の利く、仕込みの時期であったといえるだろう。そして北朝鮮は最大限にこの期間の可能性を生かしたということになる。

 2018年は北朝鮮にとって、建国70周年の勝負の年になる。これまでに、米国が本気で怒る手前まで高めた危機的状況を活用し、反対の振れ幅として対話路線に転換させたのである。効果はてきめんだった。北朝鮮は自らが起点として方向を大胆に変えることで、流れの本質的な主導権を握ることに成功した。
 度合いといいタイミングといいすべては70周年を成功させるためにあらかじめ組み立てられていたプログラム通りの展開だったのだ。決して、トランプや日本政府が言うように国際社会の圧力が効いて、金正恩が追い込まれた状態での葛藤の中での状況判断ではなかった。

 そしてこの北朝鮮が描くシナリオの具現化に大きな役割を果たした人物こそが、韓国の文在寅ということになる。2018年の初めの段階で北朝鮮は韓国の新政権を取り込むことにことで、民族の盾の確保に成功する。これにより米国軍による軍事攻撃の可能性は著しく低下することになる。

 またその後は、中間選挙を控えるトランプの弱点を突き、世界的な注目の中で史上初の米朝首脳会談にまでこぎつける。それは北朝鮮が抱えるもう一つの大国である中国をひどく刺激することとなり、この感情を巧みに利用し中国のメンツを立てるよう立ち回ることで、それまで止まっていた大国を天秤にかける米・朝・中の3角関係を機能さすことにも成功する。

最終的に北朝鮮が目指すものとは

 現代に生きてはいるが、封建体質の国家である北朝鮮という国家にとって、建国70周年の記念行事は区切りであり儀礼として、我々現代人が考えるよりはるかに重要な意味を持っている。
 この儀式を失敗に終わらすということは金正恩体制の存在にとって、またその正統性において絶対あってはならないことなのだ。この70周年を世界から受け入れてもらうため、北朝鮮的には平身低頭(彼ら的には)で、米国をはじめとする国際社会との譲歩による接触を試みている。北朝鮮はそれほど必死なのである。

 逆にもし、北朝鮮が彼らの思惑通り70周年を成功裏に終わらすことができれば、もはや、北朝鮮はある意味、彼らにおける必要条件をすべて満たすことになる。その後は、世界に弱みをさらすことなく、自らの全体主義国都市の本来の目的に向け突き進むことになるだろう。

 つまり、2018年から2019年までの今しばらくは米国との核完全廃棄の交渉を進めながらも、大統領選挙が始まる2020年ごろに技術的な問題さえクリアーできるようなら、北朝鮮は躊躇なく核やミサイルの実験を開始し、システム確立にまい進することになるであろう。そして、それは次の米国大統領選挙に北朝鮮は大きな影響を与える可能性がある。

 北朝鮮は、平気で日本などが気にする国際的な約束を破ることができる、そういう無神経な能力を持った国であるということを今一度理解する必要がある。金正恩は大統領ではなく君主である。それも目的のためには手段を選ばないマキャベリストの君主である。国際社会への恭順の姿勢は彼らにおいての目的達成への時間稼ぎのための手段だと考えるのが、機能する北朝鮮の国家構造からみて妥当であろう。

 北朝鮮はその70年の歴史の中で戦後の日本以上に多くの厳しい経験をしてきた。社会主義圏の時代には中ソ対立に巻き込まれ、何とかそれぞれの大国と関係を構築し生き残ることができたが、冷戦の構造がなくなった瞬間に、それまで積み上げてきた約束ごとが一瞬にして吹っ飛び、自分は身一つで外に放り出されたという苦い経験がある。

 仮に米国からの敵視政策の解除という約束を得ても、システムが変われば一瞬にして意味がなくなる。もらえるものはもらうが、そのために今まで積み上げたものを手放すことはしない。北朝鮮が目指すものは、米国本土に届く核とミサイルのシステムという実態に尽きるのである。北朝鮮は米国の撃てない100発より、撃てる1発の方が、本質的優位にあるという原理を根本レベルで理解している国家だということである。
 つまり北朝鮮が、核とミサイルのシステムを完成させれば、北朝鮮に対する世界の対応が変わるということ、約束より実力の方が北朝鮮の次世代への補償につながると考えているのだ。

 そういった意味では、金正恩体制によるこの北朝鮮建国70周年の儀式が成功できるかどうかが、北朝鮮における、そして我々の世界秩序において大きな試金石となる。 
北朝鮮の建国70周年の記念行事は、前例にないような大掛かりなものになることは間違いない。

荒巻 正行
 報道ドキュメンタリスト・東アジア学研究者。1968年生まれ、大阪府出身。米国・メリーランド大カレッジパーク校人文学部東アジア研究学科卒。中国・首都貿易大大学院留学。早稲田大大学院修了、修士(国際関係論)。北京を拠点に研究活動を行い、1997年より20年に渡り映像記録による北朝鮮での現地調査を続けている。また、チベット・北朝鮮をテーマにした報道ドキュメント作品を多数制作し、日本テレビ・TBS・NHKなどで放映されている。2007年からは音楽家ファンキー末吉(爆風スランプ)を誘い、平壌ロックプロジェクトを主宰し北朝鮮初のロックナンバー「ムルンピョ」(ケスチョン・マーク)をプロデュースする。  

平壌ロック第1期「ムルンピョ」(音源) 

平壌ロック第2期「学校へ行こう」(音源) 

北朝鮮のロック少女・写真集特集 
https://www.jiji.com/jc/d4?p=krg128&d=d4_asi