平壌(ピョンヤン)は極めて興味深い都市である。まるでバーチャルな都市のように見えて、そこに住む人々を見ると我々と全く変わらないことに驚かされる。私の訪朝歴は5回に留まるが、北朝鮮メディアの激しい日本批判とは裏腹に、平壌の人々が「反日」だと感じたことは一度もない。
 本書は平壌を「現代文明の秘境」と位置づけ、秘境都市の構造を読み解くことで、北朝鮮の「論理」を理解し直そうという試みの一端である。
 著者の荒巻正行氏は1997年初頭、私が日本テレビ北京支局に赴任するとほぼ同時に米国から中国・北京に研究のため渡ってきた。北京で人脈を作り、以来20年以上、北東アジア研究にいそしみ、訪朝歴は30回を超えるだろう。いままで誰もチャレンジできなかった平壌という都市のいわばフィールドワークを続けてきた。たどり着いたのが平壌の都市論である。
 本書で荒巻氏は金日成、金正日、金正恩という3代にわたる王朝を平壌の建築物から読み解き、フランス革命からロシア革命に至る「国」あるいは「体制」のあり方と都市の様相を歴史的に位置づける。その中で今年9月の建国70周年が、歴史的な重要性を持つと喝破する。
 平壌という「巨人の箱庭」ではすべてが政治的な意味を持つ。250万都市の最大の課題である住宅問題解決のため、ニュータウンが続々と建設されるが、その一つ一つが政治理念と結びついていることを本書は豊富な写真とともに明らかにする。金正恩の平壌は「SFバロック都市」と位置付けられている。
 荒巻氏が注目するのは都市のあちこちに掲げられるプロパガンダ・ポスターである。平壌の人々が確実に目にするポスターは、当然のことながら政治的なメッセージの表象である。「苦難の行軍」「先軍政治」から農業振興、科学技術振興まで、すべての戦術と戦略がポスターに集約されている。
 「巨人の箱庭」が閉じた世界に存在しているのであれば、放っておけばよい。しかし北朝鮮という「全体主義国家」、「異端国家」は今や核を含む先端兵器を所有している。3代目の確立という易姓革命の総仕上げである今年9月の建国70周年以降も、北朝鮮は核を手放すことはないだろうと荒巻氏は読む。では国際社会はどう対応するのか。
 「政治的に異端の国家が核やミサイルなどの先端技術を手に入れたとする。それは国際安全の危機だ、どうにかしないといけない。しかし今の国際社会はこの異端国家を裁くことができない。」
 ウェストファリア条約以降の「国家」を主体とした国際システムは、異端国家北朝鮮を認めざるを得ないというのが、荒巻氏の結論である。そしてそのこと自体が国際システムの綻びを示している。
 本書はこれまでの北朝鮮研究にパラダイムシフトをもたらすだろう。金日成、金正日の論文の訓詁学や労働新聞の解釈学から脱して、北朝鮮の「論理」を彼らの視点から、フィールドワークを通じてくみ取る研究の先駆けとなる一冊である。