バースデーカード 

 「お誕生日おめでとうございます。さい帯血の分離施設を見学してみませんか?」。そんなはがきが毎夏、息子の誕生日近くに届きます。送り主は、民間臍帯血(さいたいけつ)バンクの「ステムセル研究所」。このはがきが届くたびに、普段は忘れている臍帯血のことを思い出します。
https://bee-media.co.jp/wp-content/uploads/2017/10/IMG_8635.jpg
 同社は1999年に設立され、現在保管している臍帯血は民間バンク全体の95%を占めます。私が同社に臍帯血を保存したのは2011年、第2子の出産のときでした。

がん発病後、病気の連鎖

 「将来、我が子が血液の病気になったときに備えて、臍帯血を保存しよう」。そう決断したのは、私自身が血液がんと血液の難病を長く患っていたからです。

 私は38歳で血液がん「悪性リンパ腫」を発病しました。病期は一番重いⅣ期でしたが、抗がん剤と分子標的薬による治療で寛解し、40歳直前に第1子(娘)を出産しました。が、体調の良い期間は出産後1年半も続かず、41歳で国指定難病の「自己免疫性溶血性貧血」を発病。自己の免疫が、酸素を運ぶ働きをするヘモグロビンを叩き壊す病気です。同時期に悪性リンパ腫が再発。43歳で悪性リンパ腫が再々発し、抗がん剤・分子標的薬と放射線の併用治療をし、寛解となりました。途中、何度か「自己免疫性溶血性貧血」が再発し、病気は治まらず、45歳で国指定難病の「特発性血小板減少性紫斑病」を発病します。これは、自己免疫が出血を止める働きをする血小板を叩き壊す病気です。

 8年間に及ぶ病気はこの後小康状態となり、私は第2子を妊娠しました。妊娠中は3つの血液の病気のいずれの再発も心配されましたが、病院で経過を注意深く観察してもらいました。第1子が帝王切開による出産だったため、母体と胎児の安全のため帝王切開での出産が決まりました。そのため、3つの血液の病気の中で最も心配されたのが「特発性血小板減少性紫斑病」の再発でした。帝王切開手術による出血が止まらない場合、命を落とす可能性があったからです。妊娠中は安定期に入っても気を抜けず、頻繁な血液検査のほか、出産に備えて血小板を増やす治療も受けました。2つの自己免疫疾患はステロイドホルモン剤で抑えていました。

子供にしてあげられることは?

 当時は、「長くはない命なら、細々と生き長らえるよりも残る体力を使い切って娘にきょうだいを作ってあげたい」という切羽詰まった気持ちだったため、「命懸け」で出産する覚悟でした。そして、精神的にもぎりぎりの状態で、生まれてくる子供にしてあげられることとして思い付いたのが臍帯血の保存でした。

 私は子供たちが将来私の遺伝子を引き継いで血液の病気になるではないかという不安を抱いていました。私は医師ではないので、これらの血液の難病は遺伝するのかということは分かりません。が、出産のときに体外に出る胎盤や臍帯(へその緒)には「幹細胞」が含まれること、その幹細胞が血液の病気の治療に使われ、効果が実証されていることは知っていました。ですので、臍帯血を保存しておけば、将来もし不幸にも子供が血液の病気になったときに治療に使えるかもしれない、と考えました。

 血液がんなどの患者が「造血幹細胞移植」をする場合、血縁者からの骨髄提供が望めないときは、公的バンクを通じて骨髄や臍帯血を提供してもらいます。が、患者の白血球と同じ型のドナーを探してもらうため、特に骨髄移植の場合は提供者に負担もかかり、また、時間もかかります。しかし、民間の臍帯血バンクに保管されている臍帯血は、その子供のものなので、型が合う骨髄提供者や臍帯血を探す手間が省けます。本人のきょうだいも、25%の確率で型が合うとされています。

 血液がんが再々発したときに、私は主治医に根治を目指す「造血幹細胞移植」を勧められました。そのときに主治医に聞かれたのが、「きょうだいの有無」です。血縁者間の骨髄移植の場合は、非血縁者間に比べて合併症になりにくいと言われています。私は一人っ子でかつ両親も高齢だったことから家族からの骨髄提供は望めず、また、他の治療の選択肢もあったため結局、移植はしませんでした。が、血液がんを患う人間にとって、自分の白血球の型と合う骨髄提供者がいることや臍帯血があることは、治癒への希望が持てることだとそのときに痛感したのです。

出産6日前に契約

 私がステムセル研究所に電話をしたのは2011年8月20日。息子を帝王切開で出産する予定日の11日前でした。手帳には、同研究所の担当者から詳しい説明を受けたことを記しています。

 まず、「公的臍帯血バンクは第3者のために使われる臍帯血を保管し、民間臍帯血バンクは自分の子どもに使うための臍帯血を保管します。保管する臍帯血は、出産するお子さんが将来血液がんなどの病気になったときに治療に使えます。また、そのお子さんのきょうだいも、使える可能性が高い」という説明を受けました。

 実際に白血病を発症した子供に移植した例があるとのことでした。また、臍帯血を使った再生医療については、米国で感染症により半身が麻痺してしまった子供の手が動くようになったケース、また、再生不良性貧血が改善したケースもあるとのことでした。

 次に、「私が将来、造血幹細胞移植をするときに使えますか?」と聞きました。私は、次に再発した場合は造血幹細胞移植をしなければならないでしょう。「自分の子宮についていた胎盤とへその緒から臍帯血を採取できるなら、それを自分の治療に使えるのではないか?」と考えたのです。しかし、同社の回答は、「子供への遺伝子は母親と父親の両方から引き継がれます。そのため、母親や父親にとってはその子供の臍帯血は他人である配偶者の遺伝子を含むので、使えない可能性が高い」でした。

 同社の担当者への最後の質問は、「私は抗がん剤やステロイドホルモン剤などたくさんの薬を使っています。それが臍帯血に残ることはありますか?」でした。その質問については、「薬剤は胎盤で濾過するため、影響はありません」との答えでした。

 同社から送られた資料を読み、私は出産6日前に同社と契約を結び、同日、昭和大学病院に臍帯血採取を依頼しました。息子を無事出産した後、臍帯血も無事採取されたことを医師に確認し、同社に電話をして病室に臍帯血を取りに来てもらいました。同社からは後日、無事臍帯血からステムセル(幹細胞)を分離出来たむね連絡があり、私は分離費用と10年間の保管費用22万500円を支払ったのです。この費用は血液の病気を長く患った私が子供に備える「保険料」としては、高くない費用でした。

 破たんした民間バンクから流出した臍帯血が違法に医療行為に使われていた事件は、私にとっては他人事ではありませんでした。ステムセル研究所からのバースデーカードは毎年、同社との契約書が入った書類ケースに仕舞っていましたが、今年は施設見学を申し込むことにしました。

村上 睦美
医療ジャーナリスト。札幌市生まれ、ウエスタンミシガン大卒。1992年、北海道新聞社入社。室蘭報道部、本社生活部などを経て、2001年東京支社社会部。厚生労働省を担当し、医療・社会保障問題を取材する。2004年、がん治療と出産・育児の両立のため退社。再々発したがんや2つの血液の難病を克服し、現在はフリーランスで医療問題を中心に取材・執筆している。著書に「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」(まりん書房)