母の不安、母の問い

 
 経営破たんした民間バンクから流出した臍帯血が患者に違法に使用された事件が報じられた後、私は第2子出産時に臍帯血を預けた民間バンクの経営状況や臍帯血の保管状態に不安を抱くようになりました。そして、「今回は取材者としてではなく、利用者としてバンクを訪れてみよう」と思い立ちました。

「経営状況は?」

 私が臍帯血を預けた民間バンク「ステムセル研究所」=東京都港区=は毎月1回、契約者向けに見学会を開いています。子供の誕生日近くに届くハガキに、施設見学を呼びかける言葉が添えられています。毎年律儀に送付してくる同社に対して好感は抱いていたものの、これまで施設を見る必要性は感じませんでした。が、今回は違いました。10月の見学会に参加することにしました。

 厚生労働省が9月に発表した民間バンクの実態調査によりますと、同省が活動を確認した業者は7社。7社のうち調査に協力したのは6社。5社が臍帯血を保管し、1社が引き渡し業務のみでした。5社が保管している臍帯血の合計は約43,700件。そのうち同社が保管している臍帯血は約41,700件で、全体の95%を占めます。

 見学会には私以外に母娘の親子連れが2組、男女のカップル1組が参加していました。まず、担当者から会社の経営状況についての説明がありました。担当者は「当社は(1999年の)設立以来17年間利益は出ていませんでしたが、第18期(2017年3月期)決算で年間1億円を超える利益を出しました」と報告。「東証一部上場の『日本トリム』の子会社でもあり、無借金経営で財務内容は安定しています」と言います。

 次に、経営破たんした民間バンク「つくばブレーンズ社」から流出した臍帯血が、違法に使われた事件について言及。この事件発覚後、同社に対して契約者から「臍帯血が目的以外に無断で使われることはありませんか?」という質問がよく寄せられると言います。担当者は「それは一切ありません。保管されている臍帯血を出庫する場合は、(同社の)倫理委員会を必ず通さなければならないからです」としました。また、今回の事件後厚生労働省から要求された資料はすべて提出したとし、同社の運営の健全性を強調しました。

 その後、臍帯血を使った治療で先行する米国の臨床試験の現状について説明。デューク大学で実施された自閉症スペクトラム障害の子どもに対する自己臍帯血を使った臨床試験では、治療の6か月後に著しい改善が見られたとしました(注1)。同大では現在、被験者数を増やして2回目の臨床試験が行われているといいます。

「経営破綻したら、臍帯血どこに?」

 参加者からの最初の質問は、「ステムセルが破綻した場合、臍帯血はどうなるのですか?」でした。一連の報道を受けて、不安を感じている様子でした。担当者は、「現在、民間バンクは厚生労働省へ事業内容を届け出することになっています。厚生労働省の指示に沿った形で、他の民間バンクに引き受けていただくなど、責任を持って移管先を決めます」と説明。「引き続き経営を安定させ、破たんということにならないよう努力します」と付け加えました。

 次の質問は「契約が終了し、破棄する場合は具体的にはどうするのですか?」でした。この質問については「高圧滅菌の圧力鍋のような機械の中に入れて、細胞を不活化させ、医療廃棄物として処分します」とのことでした。

「契約終了後、なぜ廃棄しない?」

 私からの質問は「保管契約が終了しているにもかかわらず、なぜ廃棄せず保管していたのですか?」です。厚生労働省の調査報告書によりまと、同社の保管契約終了件数は1,982件。そのうちは既に廃棄が終了しているのは17件、研究目的で提供されたのが24件。そのほかの1,941件はまだ廃棄せずに保管しています。

 担当者は「廃棄を決めても後日再考され保管を再継続する方がいたため、一定期間保管を継続していました」と説明。しかし、厚生労働省から「契約終了後1年を経過したものについては、契約者の同意がなくても廃棄してほしい」と要請があったことを受け、「12月末までに契約をすでに終了した方々に再契約の意思を確認した上で、廃棄を進めます」と説明しました。

 同社が厚生労働省に提出した資料によりますと、1,941件のうち、廃棄が確定している件数は360件、契約者の意思を確認後に廃棄する予定は1,197件、研究利用予定は384件です。

 約30分の説明と質疑応答の後は、「細胞処理センター」に移動。 臍帯血から「幹細胞」を分離する作業を見て、見学会は終了しました。
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7社中4社が廃業へ

 厚生労働省は11月22日、有識者による第1回「臍帯血を用いた医療の適切な提供に関する検証・検討会議」を開き、実態調査後の民間バンクの動きについて報告しました。同省は9月12日付けで民間バンク7社に対して事業内容などに関する届け出を依頼し、現在2社の届け出があったとしました。1社が「ステムセル研究所」、もう1社が「アイル」です。届け出準備中は1社、「ときわメディックス」です。そのほかは2社から「事業を実施していない」、2社から「廃業の意向」の連絡があったとしました。

 廃業した会社1社は、「ときわメディックス」にすべての臍帯血を移管。それほか廃業を予定している業者からは、「保管中の臍帯血について、他業者への移管または廃棄が完了次第、廃業する意向」と報告があったと言います。

 ステムセル研究所の清水崇文代表取締役社長は廃業予定のバンクが保管する臍帯血について「正式に要請があれば引き受けます。弊社ホームページでも他のバンクからの移管希望者の受け入れをお知らせさせていただいています。実際移管を希望されている方もおり、順次対応しています」と言います。

 同社長は「臍帯血は公的バンクにおいては難治性の血液疾患の治療に大きな成果を上げ、民間バンクでは再生医療の分野で、自閉症スペクトラム障害や脳性麻痺の患者に対する臨床研究が進み、その応用が大きく進展しています」と説明。「今回の事件は大変残念でしたが、これをきっかけに、厚生労働省への届け出制度も出来、適正に運営している民間バンクとそうでないバンクの違いが明らかになったのでは」と話します。「今後も、臍帯血に対して正しい情報が広がることを期待し、厚生労働省とも協力しながら業界全体を正しくリードしていきたい」と決意を語りました。

 「出産前に看護師さんに勧められて臍帯血を民間バンクに保存出来ることを知り、契約しました。勧めてもらって良かった」。見学会が終了した後、娘さんと一緒に参加した女性から聞いた話です。その女性は今回の事件で不安を抱いた一方、「私はたまたま知りましたが、知らずに出産される方は多いと思います。より多くの妊婦さんに知ってもらう仕組みがあってもよいのでは」と言い、民間臍帯血バンクの今後に期待を寄せていました。

 一連の事件を受けて、これまで分からなかった民間臍帯血バンクの実態が明らかになりつつあります。これをきっかけに、民間バンクの透明性が高まり、公的バンクが周知され、臍帯血という貴重な医療資源が有益に活用されることを願います。

注1 STEM CELLS TRANSLATIONAL MEDICINE

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/sctm.16-0474/full

村上 睦美
医療ジャーナリスト。札幌市生まれ、ウエスタンミシガン大卒。1992年、北海道新聞社入社。室蘭報道部、本社生活部などを経て、2001年東京支社社会部。厚生労働省を担当し、医療・社会保障問題を取材する。2004年、がん治療と出産・育児の両立のため退社。再々発したがんや2つの血液の難病を克服し、現在はフリーランスで医療問題を中心に取材・執筆している。著書に「がんと生き、母になる 死産を受け止めて」(まりん書房)