かつてNHK出身のあるプロデューサはドキュメンタリーが成立する条件を3つ挙げた。

一つ目は現象そのものが面白いこと。1989年の天安門事件やベルリンの壁崩壊は、まさに映像が捉えた歴史そのものである。2001年の「9.11」、2011年の「3.11」も同様である。
二つ目は切り口が斬新であること。一つの事実を異なる角度から分析、再構成し、映像で表現することである。例えば1986年に起きたチェルノブイリ原発事故では、プラントで起きたことだけでなく、放射能、避難生活、医療など、様々な視点から番組が作られてきた。
3点目は表現手段が新しいことだ。CGや再現映像だけではない。映像の表現手段はまだまだ開拓の余地がある。

毎年8月になると、広島、長崎の原爆投下や、アジア太平洋戦争を振り返る番組が作られる。今年8月のNHKスペシャルとEテレには、出色の作品が並んだ。NHK製作スタッフの底力を感じさせるに十分だった。
8月6日のNHKスペシャル「原爆死~ヒロシマ72年目の真実~」は、ビッグデータの手法を使い、爆心地だけでなく、なぜ周辺に特異的に死者の多いスポットができたのか明らかにした。
データのもとになったのは広島市が蓄積してきた「原爆被爆者動態調査」や被爆直後の検視調書で、「原爆死のホットスポット」が映像で示された。

最も衝撃的だったのは8月13日に放送された「731部隊~エリート医学者と人体実験~」である。731部隊は中国や旧ソ連の人々を細菌兵器開発の「実験材料」として使ってきたが、NHKは終戦直後、ハバロフスクで行われた裁判の音声記録を入手、加害者の生の声を明らかにした。
番組は軍だけでなく旧帝国大学を含めた医学会から、多数の研究者が参加していたことを浮き彫りにしたが、その実態は今日の医学界や厚生行政にも残渣として残っていることが、様々な研究から明らかになっている。

8月15日の敗戦記念日に放送された「戦慄の記録 インパール」はさらに生々しかった。無謀な戦いで歴史的な敗北を喫し、多数の死者を出したインパール作戦の軍内部での意思決定の過程を、番組は丹念にあぶりだした。90歳を超える作戦参加者を探し出し、肉声を記録した功績は、まさに歴史を記録するという意味での「ドキュメンタリー」の真骨頂である。
8月12日に放送された「本土空襲 全記録」は、被害の悲惨さよりも加害者となった米国兵士のインタビューが光った。戦場では人間が人間性を失うことを、作戦に参加した老いた米兵が悔恨とともに語った。

さらに8月14日に放送された「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は、終戦直後に竹やりで「樺太防衛」の指令を受け、無残にも亡くなっていった市井の人々の存在を明らかにした。樺太での旧ソ連との地上戦について、ほとんど知らなかったことを私は恥じている。
8月12日にEテレで放送された「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」は、原爆と部落差別の問題に切り込んだ問題作だ。原爆が投下された長崎・浦上地区は、カトリック信者と被差別部落の人々が暮らしていた。被爆者たちは戦後長きにわたって、自らの経験を語ることができなかったが、ようやく重い口を開き始めた。

NHKをめぐっては、2001年に放送したETV特集「問われる戦時性暴力」で、政治的な圧力によって番組が改変された実態が明らかになった。最近、改編前の番組を観る機会があったが、加害者の証言を含め、「ドキュメンタリー」の核心部分が削られていたことに、改めて驚きを感じた。政治的圧力、あるいはNHK上層部による「忖度」とは、かくも姑息なものかと怒りさえ感じた。
NHKは常に政治的な圧力にさらされている。ある番組ディレクターは「思っていることの2割しか番組で表現できない」と嘆いた。
しかし今年8月の一連のドキュメンタリーは、NHKの製作スタッフの心意気を示したものといえる。心から賞賛する。今後も姑息な政治的圧力に屈することなく、事実を掘り起こし、真実に迫るドキュメンタリーを世に送ってほしいと心から願っている。

倉澤 治雄
千葉県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻)、80年日本テレビ入社。原発問題、宇宙開発、環境、地下鉄サリン事件、司法、警察、国際問題などを担当。経済部長、政治部長、解説主幹を歴任。著書は「福島原発事故に至る原子力開発史」(中央大学出版部)、「原発ゴミはどこへ行く」(リベルタ出版)、「原発爆発」(高文研)、「テレビジャーナリズムの作法」(花伝社)、「徹底討論 犯罪報道と人権」(現代書館)「原子力船『むつ』 虚構の航跡」(現代書館)ほか