予想された米朝会談の結果

 2018年6月12日にシンガポールにおいて歴史上初めての米朝首脳会談が行われた。この会談における最大の焦点は「北朝鮮の完全な非核化」であったが、具体的な道筋が示されることもなく、両首脳が面会したという事実だけが強調された「政治ショー」に終わった。

 はじめから分かっていたことではあったが、あらためてこの結果を目の当たりにした多くの日本人の中で「あのトランプであっても、結局は北朝鮮の思惑道理に展開しているではないか」という、もともとあった「モヤモヤ」がさらに広がっている状態にあるのではないだろうか。
 そして、勘の鋭い人はそろそろ気が付き始めているかもしれない「実は、我々と北朝鮮の立場はすでに逆転してしまっていた」という現実を・・・。

 前回にも述べたが、日本における北朝鮮問題の本質は、北朝鮮の核やミサイルといった物理的脅威もさることながら、それ以上に日本が北朝鮮に対する不正確な固定観念に支配されている現実にあるということである。

 今年に入り北朝鮮が急に対話路線に転換したその背景として日本で主に挙げられているのが、米国や日本、そして中国が本腰を入れた国際的な経済制裁の効果により、北朝鮮がその苦境から逃れるため、外交政策の転嫁をはかったというものだ。

 この見方は、昨年に強調された米軍による北朝鮮の軍事攻撃がある、という考え方と同じ筋のものであり、それはいまだに中国が北朝鮮の運命を握っているという認識と同質である。そしてこの延長線上にあるのが、経済的に苦しい北朝鮮に効果的に援助をちらつかせれば、北朝鮮は核やミサイルを捨て必ず飛びついてくるのだ、という見方である。

 しかし、これは北朝鮮の行動原理に対して間違った認識により導き出された見解である。


北朝鮮兵士の結婚記念のビデオ撮影

全体主義国家である北朝鮮

 現在の日本における北朝鮮分析の根本的な問題は、北朝鮮は外部からの圧力など周辺国との関係性により自らの行動を決定している国であるとしているところにある。つまり北朝鮮は、我々がそうであるように世界との相対的な関係性の中で状況を判断しながら動いていると考えられているのだ。だからこそ、経済制裁により北朝鮮は対話路線に変更したのだと考えられているのである。

 ただ、日本でこう考えられるのも無理ない点もある。第2次世界大戦後に生きる我々現代人は、国際関係の相互依存の秩序により経済的に発展してきた経緯がある。特に、冷戦構造の崩壊以後は対立していた東西関係も西側に統合され、程度の差さえあれ民主的な協調による世界構造の枠組みの中ですべてを成立させてきたのである。

 現代において、近代的なナチス・ドイツのような全体主義体制は、もはや歴史上の話でしかなく、現在の国際関係論において考慮されたことはない。国際問題の分析者の誰も全体主義の国家という存在を体感したことはないのだ。

 しかし北朝鮮は、国連加盟国でありながらも、その本質は全体主義の国家なのである。これまでのように閉ざされた世界の小国として地方に存在しているだけなら、問題にはならなかった。核とミサイルの技術を確立した瞬間に意味が大きく変わった。

 ナチス・ドイツなどがそうであったように全体主義国家の特徴は、民族主義に基付き、国家的目標を設定し、そこに向かって突き進むことが大前提としてある。あくまでその目標の達成のための手段として国際関係は利用されるに過ぎない。我々のように国際市場の中に経済を依存しておらず、他国との相対的優位性は本質的に必要とはしていない。つまり、北朝鮮は目的遂行型の絶対主義がその行動の原理となっている今唯一の国なのである。

 ただ北朝鮮は70年に及ぶ現代での経験を持っていることも事実で、現在の世界を支配している国際秩序の構造について外部から研究し理解している。主権国家として国際社会の一員であることを自ら否定はせず、異端の弱小国としてふるまうことで、もらえるものはもらうという極めて狡猾かつ巧妙なスタンスをとっている。

 これにより我々が見たまま勝手に、北朝鮮を我々世界の末端に住む、悲惨な、ならず者国家だと自分たちの価値観の中で値踏みを行い、経済的圧力も本気を出せば、最終的には北朝鮮の行動を変えることができると楽観しているところがある。だが現実は、貧しい国であることは事実であっても、北朝鮮は別の世界システムの住人なのである。
 日本なら、国際社会が今北朝鮮に向けているような経済制裁を受ければ、国家として即破綻することになるが、北朝鮮はそれにより国家が破綻に直面し、行動原理を変えるほどの影響を構造的に受けない。サバイブ的環境じたいが彼らの日常として成立しており、現に今も国家として存続できている。国家の体質が根本的に違うのである。ただ恐れるのは、外部からの物理的な攻撃である。

 北朝鮮は、民族国家としての目標をもって生きている分けだが、もちろんそれはナチス・ドイツやスターリンのソ連などが目指した世界制覇といったたぐいのものではない。もっと現実的に、世代を超える「体制の維持」が最も今の北朝鮮が目指す国家目標になっている。そんな全体主義の北朝鮮を分析する上で、注目すべきなのが、その為の方法論である。北朝鮮が長年の経験を通して導き出した目標達成の具体としているものが何かである。

 北朝鮮の目標への具体的方法論とは、「米国本土を確実に射程における核・ミサイルシステムの実現」というこの1点に尽きる。

 一定の核・ミサイル技術を持つまでに至った北朝鮮である。彼らは表層に惑わされることなく冷静に世界の原理を理解していると見た方がいいだろう。現在の彼らの目線に立てば、民主世界が与える同質ではない異端国家への安全補償の約束など、選挙により選ばれた、時の指導者によりいつでも反故にされる危険性をはらんでいるということである。

 だが、北朝鮮は米国本土に届く核・ミサイルシステムが完成したら、その瞬間に北朝鮮をめぐる世界環境はすべて北朝鮮にとって優位なものに転換されるということを原理として理解しているのである。
冷戦崩壊以降、北朝鮮は一貫してこの方向性のもと核・ミサイルのシステム構築にまい進してきた。そこにブレはない。この目的をかたくなに遂行する姿勢がまさに全体主義国家としての証であるといえるだろう。

北朝鮮の最終的な狙い

 16年から17年にかけて北朝鮮は集中的に核やミサイルの実験を重ねてきた。これにより北朝鮮は相当高度な技術を獲得したものと考えられている。しかし、現状では北朝鮮が目的とする米国本土を射程にする技術のレベルまでには達してはいない。
 今、北朝鮮に必要なのは、これまでの実験により洗い出された、開発における問題点を克服するための研究に要する時間である。つまり、次の実験までの安定的なインターバルを確保することが現在の金正恩体制が抱える課題となっている。

 核ミサイルシステムの確立は簡単には達成できない長期の計画だ。最近の一連の実験を終えて一つの段落を得た金正恩が、このインターバルの期間における安定を得るために動いたのが、韓国や、中国そして米国など周辺国との対話路線である。北朝鮮は究極の目標達成の条件つくりのために、その手段として外交を展開し始めたのである。

 北朝鮮が繰り出す言葉(レトリック)に騙されてはいけない。彼らの本音で言えば、完全なる非核化などみじんも考えたことはない。国際社会はその方向性を期待しているが、北朝鮮の行動原理に立脚すれば、完全な非核化など絶対にありえない。
 北朝鮮は中国と違いメンツを気にするような大国意識の国ではないのだ。北朝鮮は目的達成の手段としての外交で国家指導者自らピエロになることもいとわないまでの成熟を持ち始めた、マキャベリズム(目的のため手段を合理化し躊躇なく実行する)国家なのである。今北朝鮮は国内運営が安定しており、現体制に自信が生まれてきている結果だといえる。

対話路線を展開した直接の理由

 壮大な長期的な計画を達成に導くために、北朝鮮は目標に向かうライン上に中期的な目的をいくつか設定し、それらを確実にクリアーしながら物事を進めてゆく手法をとっている。そういった意味では、北朝鮮は国民を抱える国家というより、利益を追求する企業体に近いのかもしれない。

 そして、現在の北朝鮮における当面の中期的な目的となるものこそが、18年9月9日に開催される北朝鮮の建国70周年の国家的行事である。このイベントを全世界に祝福されながら盛大に祝ってもらうことを、金正恩体制における最重要事項にすることを16年5月の36年ぶりに開かれた第7回党大会の時点ですでに決定されていたと考えられる。
 展開力をつけるため北朝鮮は、この党大会を出発点に建国70周年をゴールとした約2年半に及ぶ一本の有機線を引いたのである。ゴールという立場から必要なことを逆算的に出発点からプログラミングし、それを一つ一つ試合に臨むプロボクサーの調整のごとく段階的にこなしているのが現在の北朝鮮の動きとなっている。

 つまり、18年は初めからプログラムにより、建国70周年に向けた成功のための準備として、国際対話の路線に転換することは既成事実であったということである。韓国の大統領や、米国やロシアそして日本の要人などが参加したうえでのイベントを目論んでいるのだ。直接的にはこの目的のために、長期的には開発期間中の安定状態の確保のため、18年は北朝鮮における積極外交の年だったということになる。

 今この世の中に目的遂行型の全体主義の国家が存在している事実を知っているのは世界でただ一つ北朝鮮自身しかいない。そして改めて言うと、北朝鮮は今の世界を外の立場から詳しく分析しその構造が理解できている。彼らは「相対的世界観」と「絶対的世界観」の間に生まれるギャップであり、国際社会の北朝鮮に対する誤認識を否定することなくその思い込みにより生まれる実態との隙をうまく利用している。

 北朝鮮の建国70周年の記念行事は、北朝鮮の思惑通り、世界中の注目を集め盛大に開催されることになるだろう。このままいけばいやがうえにでも世界は北朝鮮の70周年を祝う羽目になってしまう。

 今進んでいる北朝鮮をめぐる国際情勢は、北朝鮮が描く筋書き(ベクトル)に沿って、すべての物事が連動し動かされているように筆者には見える。ありていに言えば、「北朝鮮の手のひら上で世界が踊らされている」状態である。

荒巻 正行
 報道ドキュメンタリスト・東アジア学研究者。1968年生まれ、大阪府出身。米国・メリーランド大カレッジパーク校人文学部東アジア研究学科卒。中国・首都貿易大大学院留学。早稲田大大学院修了、修士(国際関係論)。北京を拠点に研究活動を行い、1997年より20年に渡り映像記録による北朝鮮での現地調査を続けている。また、チベット・北朝鮮をテーマにした報道ドキュメント作品を多数制作し、日本テレビ・TBS・NHKなどで放映されている。2007年からは音楽家ファンキー末吉(爆風スランプ)を誘い、平壌ロックプロジェクトを主宰し北朝鮮初のロックナンバー「ムルンピョ」(ケスチョン・マーク)をプロデュースする。  

平壌ロック第1期「ムルンピョ」(音源) 

平壌ロック第2期「学校へ行こう」(音源) 

北朝鮮のロック少女・写真集特集 
https://www.jiji.com/jc/d4?p=krg128&d=d4_asi