2月7日「北方領土の日」。
 根室では「島を返せ!」と元島民のシュプレヒコール。札幌のゆきまつり会場では「決意も新たに!」と高橋北海道知事が行動宣言。東京では「私が終止符を打つ!」と安倍首相が決意表明。
 各地で様々なセレモニーが催され、それぞれが勇ましく不退転の決意を表明したが、いずれも型通りの、まさにセレモニー。ふるさとへの切ない想いを抱いて参加しただろう元島民の方々には申し訳ないが、返還実現への具体的展望を見出せない中で、飾られた言葉だけが散華のように舞い踊っていた…そんな印象の一日だった。

 加えてこの日、返還運動の先頭に立つべき江崎鉄磨沖縄北方担当相が衆院予算委員会で「北方領土の日」を「沖縄北方の日」と言い違えたという。大臣の資質を今さら問うても仕方のないことかもしれないが…遣る瀬無い思いが心に広がってゆく。

 1855年2月7日、伊豆の下田で日魯通商友好条約が締結され、両国の国境線を択捉島とウルップ島の中間に引くことで合意した。この条約によって、択捉島から南の島々(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)は日本固有の領土だ…ということが国際的に認知されたという。その歴史的な意義と、ロシアによる不法占拠の現状を周知するため、1981年(昭和56年)の閣議で2月7日を「北方領土の日」と了解したという。

 それから毎年、「北方領土の日」が巡ってくるたびに、根室では元島民が「島を返せ!」と叫び、札幌では知事が行動を宣言し、東京では首相が決意を語る。
 その全ては、いま北方領土を不法占拠しているロシアに向けられるのだが、実は、ソ連軍(ロシアの前身)の北方領土侵攻にアメリカが深く関わっていたことを知る人は少ない。

 第二次世界大戦の末期、アメリカ、イギリス、ソ連、3カ国の指導者が集まったヤルタ会談で、アメリカ大統領ルーズベルトはソ連共産党書記長スターリンに、日本との戦争に踏み切るよう強く迫ったという。
 当時、アメリカは戦争を早く終わらせるためにソ連の参戦を必要としており、一方のソ連は、戦後秩序に関与し、アジア太平洋地域への影響力を確保したい…という思惑があった。こうして利害が一致した結果、ソ連は日本との中立条約を一方的に破棄して日本への侵攻を決断した。

 その際アメリカは、極東ソ連軍に対し、護衛艦や掃海艇、上陸用舟艇など145隻の艦船を供与した。写真①は1944年アメリカで撮影された掃海艇。船体番号は237。写真②はその一年後、1945年にサハリンで撮影された掃海艇。ソ連兵の後ろに写っている船の船体には237という数字が見える。アメリカの艦船がソ連に貸与されたことを裏付ける写真だ。

掃海艇237 1944年アメリカで撮影 掃海艇237 1945年サハリンで撮影
写真①(左)、写真②(右)

 さらに、最新鋭船の取り扱い方や武器の使用方法などを教えるため、アメリカはアラスカのコールドベイ基地で1万2千人のソ連軍兵士を訓練したという。そしてその艦船と兵士は、日本との戦いに投入されてゆく。

 ソ連のスターリン書記長とアメリカのトルーマン大統領は、日本進攻に際して頻繁に書簡を交わしている。それは、当時の米ソ関係が非常に親密だったことを伺わせる。
 例えば1945年(昭和20年)8月16日、スターリン書記長の書簡。

スターリンがトルーマンに宛てた書簡 1945.08.16
スターリンがトルーマンに宛てた書簡

「トルーマン大統領閣下。私スターリンは戦争の終結に当たって2つの修正提案を行います。ひとつ、千島列島はすべてソ連の領有とすること。ふたつ、宗谷海峡と北海道の北部もソ連の領有とすること」
 その2日後の8月18日、トルーマン大統領は返信する。

トルーマンの返書 1945.08.18
トルーマンの返書

 「スターリン書記長殿。ソ連が千島列島を領有することは認めましょう。しかし、その他の日本の領土については、すべてアメリカの管轄とします。」

 サハリンの郷土史研究家イーゴリ・サマーリンさんは、スターリンがトルーマンの返信を受け取る前、既に北海道を制圧するため極東のウラジオストクから17隻の艦船を北海道に向かわせていたと証言する。ただアメリカとの軋轢を避けて、その17隻はサハリン経由で北方領土に向かうように命令が変更されたという。

ハリンの郷土史研究家 イーコ゛リ・サマーリンさん
サハリンの郷土史研究家 イーコ゛リ・サマーリンさん

北方領土に侵攻したソ連太平洋艦隊のルート図
北方領土に侵攻したソ連太平洋艦隊のルート図

 ここで重要なのは、17隻の艦船のうち実に10隻がアメリカから貸与された艦船だった…という事実だ。北方領土上陸作戦はアメリカの強力なバックアップのもと、展開されていったのだ。サマーリンさんは北方領土への侵攻について、正確な意味での米露共同作戦ではないものの、アメリカは多くの艦船を提供するなど作戦において極めて重要な役割を果たしていたと話す。

アメリカがソ連に貸与した艦船
アメリカがソ連に貸与した艦船

 アメリカの協力がなかったら、ソ連軍が北方領土に侵攻することはあり得なかったかもしれない…北海道庁の出先機関・根室振興局は先月(2018年1月)講演会で艦船貸与の経緯を明らかにした。アメリカやロシアの文献には既に記載があり、研究者の間でも周知の事実だった…とはいうものの、根室振興局という公的機関の発言力は大きかった。
 千島歯舞諸島居住者連盟の河田弘登志副理事長は「アメリカの責任は明らかだ!」とした上で「返還運動に今後、アメリカのバックアップを求めていく…」と話す。また、元島民の一人は「返還運動の方向性が分からなくなった…」と戸惑いの表情を浮かべた。

根室振興局の講演会-2018.01.20
根室振興局の講演会-2018.01.20

 いま北方領土問題の解決を阻んでいる最大の課題は、日米安全保障条約の存在だという。
 プーチン大統領やラブロフ外相がたびたび指摘している通り、北方領土が返還された場合、そこにアメリカ軍の基地が建設される可能性がある。それを容認しているのが安保条約だ。ロシアの懸念を払拭するために、アメリカの理解と協力、そして譲歩が欠かせない状況だ。

 今年3月、ロシアでプーチン大統領が再選され、その後、日本で安倍首相が再選を果した時、北方領土問題は大きく動く可能性があるという。しかし、ウクライナ問題で制裁対象としているロシアへの接近をアメリカが容認するのかどうか…?先行きは見通せない。
 思い起こせば1945年、アメリカとソ連という2つの大国のはざまで生じた北方領土問題は、70年以上の歳月を経てもなお、両大国のはざまで翻弄され苦悩を強いられている。

片野弘一
1953年秋田市生まれ。明治大学法学部法律学科 卒。1978年 札幌テレビ放送(株)入社。報道部長などを経て、2008年 NNN(Nippon News Network)モスクワ支局長、2012年~ 帰国後、札幌テレビ放送解説委員(~現在)。1986年 動燃(動力炉核燃料開発事業団)が北海道幌延町に計画した高レベル放射性廃棄物の貯蔵研究施設建設問題を取材。以来、核廃棄物や原発、ロシアをテーマに多数のドキュメンタリーを制作。