北海道・寿都町の町長が、核のごみ・高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致に対応する姿勢を明らかにした。選定の第一段階となる文献調査への応募を検討している…というのだ。町民の意見を踏まえた上で、2020年9月中にも方針を表明する。

寿都町の位置

高レベル放射性廃棄物

原発で燃やした後の使用済み核燃料から、プルトニウムなどもう一度燃料として活用できる物質を取り除いた後に残る廃液が高レベル放射性廃棄物だ。ガラスで固めステンレス容器に入れて保管するが、製造直後の表面放射線量は毎時1500シーベルト。人が使づけば僅か20秒弱で死に至るという。

現在国内には1万8000トンを超える使用済み核燃料があり、主に原子力発電所の敷地内の貯蔵プールで保管されているが、あと数年で貯蔵能力の限界に達するという。

実物大の高レベル放射性廃棄物

最終処分場問題

増え続ける高レベル放射性廃棄物だが、その処分は容易ではない。地下300メートルを超える安定した地層に埋めて10万年に亘って監視しなければならないのだ。

国は2000年に公募による最終処分場の選定方針を打ち出した。文献調査に応じるだけで自治体には2年間で最大20億円が交付されるが、安全性への不安や風評被害への懸念から、まだ具体的な調査に至った自治体はない。

交付金が欲しい

「核のごみ捨て場」といわれる高レベル放射性廃棄物の最終処分場。北海道寿都町はなぜ応募を検討しているのか…片岡春雄町長は、やはり交付金を理由の第一に挙げている。

寿都は漁業など第一次産業が中心で、常に財政難。このため将来展望もなかなか描き難いに違いない。年間の予算規模が50億円程度の町にとって、文献調査に手を挙げるだけで得られるかもしれない20億円は相当に魅力的であることは容易に理解できる。

片岡町長は「今回はあくまで文献調査の話で、その先はまだ分からない。」と、当面は文献調査に限定した応募であることを強調している。だが、ひとたび交付金を得て潤った財政を後戻りさせることなど可能なのだろうか。そして最終処分場の選定について待ったなしの状況に追い詰められている国が、20年待ってようやく出てきた「候補地」を簡単に手放すことなど在り得るのだろうか。それも20億円という巨費を投じた後で…。

片岡町長は「国に対しては毅然とした態度で対応していく」と語る。だが、懸念は残る。

 

寿都町の風力発電所(HPより)

ふるさと崩壊

核のごみ・高レベル放射性廃棄物の最終処分場の誘致に手を挙げ、その後住民の反対で撤回した町がある。高知県・東洋町。2007年のことだった。当時の田嶋裕起町長が財政難を理由に文献調査への応募を表明したのだ。田嶋元町長は著書で「私は、文献調査といって、これまでに出版されたり、公表されている資料での調査に応募しただけで、町内に放射性廃棄物が入ってくるわけではありません。」と記している。あくまで文献調査による20億円が目的であり、最終処分場の受け入れとは別問題という考え方だったという。しかし出直し町長選挙で田嶋氏は破れ、東洋町は応募を取り消すことになる。

小さな町を二分した核のごみ騒動。もう十年以上経ったが、町内のしこりは残ったままだという。東洋町を訪れ田嶋氏に取材を申し入れたが、今の町の雰囲気について「残念だ」と語っただけで口を閉ざした。

核のゴミをめぐる混乱

北海道幌延町にある日本原子力開発機構の「深地層研究センター」は、核のごみ・高レベル放射性廃棄物の地層処分を研究する施設として、2001年に稼働した。研究期間はおよそ20年とされ、本来なら来年(2021年)を目途に研究を終え地下350メートルの実験坑道を埋め戻して閉鎖される予定だった。しかし、さらに継続的な研究が必要という国の意向を受けて去年12月、稼働期間の延長を道が受け入れた。道民が北海道庁に寄せた意見の8割が延長に反対…という中での一方的な決定だった。

この深地層研究センターを巡っては、かつて高レベル放射性廃棄物の貯蔵が計画され、住民の激しい反対運動を押し切って国が立地調査を強行したという経緯もある。

核のごみ・高レベル放射性廃棄物を巡る問題では、常に国の思惑が引き起こす混乱が生じるように思えてならない。

深地層研究センター(北海道幌延町)

高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致に名乗りを上げようとしている北海道・寿都町では、去年から国のエネルギー政策に関する勉強会をスタートさせ、今年6月からは毎月、最終処分場選定を主導している原子力発電環境整備機構(NUMO)による勉強会も実施しているという。

だが、核廃棄物の最終処分場誘致はひとつの町の意志だけで方向性を決められるような軽微な問題ではない。北海道には都道府県で唯一、核のごみを「受け入れ難い」とする条例もあり、今後は幅広い論議が求められる。

片野弘一
1953年秋田市生まれ。明治大学法学部法律学科 卒。1978年 札幌テレビ放送(株)入社。報道部長などを経て、2008年 NNN(Nippon News Network)モスクワ支局長、2012年~ 帰国後、札幌テレビ放送解説委員(~現在)。1986年 動燃(動力炉核燃料開発事業団)が北海道幌延町に計画した高レベル放射性廃棄物の貯蔵研究施設建設問題を取材。以来、核廃棄物や原発、ロシアをテーマに多数のドキュメンタリーを制作。