原子力発電から産み落とされる核のごみ、高レベル放射性廃棄物。人間環境から隔離して10万年もの監視が必要とされるが、その最終処分場候補地が2017年7月「科学的特性マップ」という名で公表された。

 この科学的特性マップについて経済産業省は当初、2016年末までの公表を約束していた。しかしマップ上の表現を巡って異論が相次ぎ、公表リミットを越えて様々な修正が施されていった。例えば…最終処分場の候補地を意味する「科学的有望地」という表現は、一方的に押し付ける印象があるとして削除された。また「適性がある」という言葉も、断定的な印象を嫌って「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」と変えられた。
 経産省は当初「丁寧で分かり易い説明を心がける」という方針を示していたが、こうした対応は間違いなく「分かり難い」という印象を与える。
 そして、公表期限を半年ほど過ぎた2017年7月、満を持して提示されたマップは、表現の問題を遥かに凌駕して「分かり難い」代物に仕上がっている。

 科学的特性マップは火山や活断層の周辺、鉱物資源のある場所などを「好ましくない」地域として除外し、それ以外を核のごみ・高レベル放射性廃棄物の最終処分場として「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い」地域に指定している。地図上に示された「最適地」は国土のおよそ3割、「適地」に至っては7割に上る。
 ただ、その選定基準は驚くほど単純だ。まず火山による影響については、火山規模や活動暦、その他の特性などを一切考慮することなく、一律半径15キロ以内を不適地としている。また活断層については「断層長×0.01」の幅だけを一律不適地としている。つまり長さ10キロの活断層の場合、その両側僅か100メートルだけが不適地となる。さらに海岸から20キロを輸送適地と一括することにどんな妥当性があるというのだろうか?
 列島を大雑把に色付けしたマップに、多くの知見と緻密な検証を経て構成した…という経産省の言葉を重ねてゆくのは、かなり困難な作業だと思う。
 そして、「科学」の一片すら感じさせないこの「科学的特性マップ」は、30年前のある調査記録を思い起こさせる。

 1980年代、国の原子力政策を一手に担っていた動燃・動力炉核燃料開発事業団は、極秘に高レベル放射性廃棄物最終処分場の適地調査を実施していた。
 動燃が調査したのは全国およそ500か所。うち88か所を「最終処分場として適正」として報告書に記しているが、その中には東日本大震災で壊滅的な被害を受け、未だ立ち入りも儘ならない大熊町や双葉町なども含まれている。
 元動燃の主任研究員で、地質調査を担当していた土井和巳さん(87歳、東京在住)はその調査について「目立たないように1人で出張し、レンタカーで現地視察を繰り返していた。調査といえるようなレベルではなく、文献に基づいて現地を見る…というのが実態だった」と語る。


高レベル廃棄物の地層処分に関する調査・研究報告書


双葉町、大熊町の地図(左)、元動燃の主任研究員土井和巳さん(右)

 あまりにも杜撰な最終処分場の候補地選定作業だったが、この調査で「最終処分場として適性」とされた全国88の市町村には激震が走ったという。
 例えば北海道の興部町。文献調査に応じるだけで10億円もの交付金を手に出来る…という甘言に惑い、過疎と財政難に喘いでいた町議会は誘致に動き出す。町議会議長だった木下勝美さんは当時の議会について「これだけお金をもらえるんだったら…という思いが、いつの間にか誘致を容認する雰囲気につながっていった」と振り返る。
 市町村が誘致を決めれば、そこがどんな自然環境下にあったとしても、おそらく最終処分場に決まっていたはずだ…と当時の動燃幹部は語る。火山や活断層、或いは地層や地質といった「科学的知見」は、自治体が手を挙げた瞬間に間違いなく置き去りにされていただろう…というのだ。

 当時、北海道では幌延町や夕張市でも一時誘致への動きが表面化した。だが1998年、高速増殖炉・もんじゅを巡る一連の不祥事で動燃が解体されると、最終処分場問題もいつの間にか立ち消え…という運命を辿る。そして結果的に、北海道が核のごみ捨て場になる事態には至っていない。


1986年 幌延騒動


幌延-深地層研究センター-外観(左)坑道(右)

 いつかどこかで必ず処分しなければならない…という大状況の論理を高く掲げ、「科学」の名の下に候補地を募る…それが、動燃の描いた最終処分場選定のシナリオだった。
 科学的特性マップをきっかけに候補地を募り、最終処分場を選定しようという経産省の方向性は、間違いなくかつての動燃のシナリオと重なっている。30年を経て甦ろうとしているシナリオは、再び科学的知見を置き去りにしようとするのだろうか?

 核のごみ・高レベル放射性廃棄物。製造時の表面放射線量は毎時1500シーベルト。僅か7秒で人間は死に至るという。このやっかいな代物を10万年という気の遠くなるような期間、人間環境から隔離しなければならない。
 その壮大なプロジェクトが、政治的な思惑や自治体の事情などを柱に構成されて行くとしたら、将来に大きな禍根を残すことは間違いない。だが、科学的特性マップをきっかけにした最終処分場プログラムは今、着々と実績を積み重ねている。残された時間はそれほど多くないという現実を踏まえる中で、ジャーナリズムが担うべき役割と責任を痛感している。

片野弘一
1953年秋田市生まれ。明治大学法学部法律学科 卒。1978年 札幌テレビ放送(株)入社。報道部長などを経て、2008年 NNN(Nippon News Network)モスクワ支局長、2012年~ 帰国後、札幌テレビ放送解説委員(~現在)。1986年 動燃(動力炉核燃料開発事業団)が北海道幌延町に計画した高レベル放射性廃棄物の貯蔵研究施設建設問題を取材。以来、核廃棄物や原発、ロシアをテーマに多数のドキュメンタリーを制作。