私は杉並区阿佐ヶ谷北に住んでいるが、青梅街道の南側(町名では成田東)の都立杉並高校と接するところに1958年に作られた阿佐ヶ谷住宅という広大な団地が2012年まで存在していた。発足三年目の日本住宅公団が設計した鉄筋コンクリート3、4階建118戸の集合住宅と、日本の近代建築の第一人者前川國男の建築設計事務所が担当した低層傾斜屋根型232戸のテラスハウス、合わせて350戸が共存する形式で、隣接する善福寺川の緑地帯と連続性のある環境は、戦後の高度成長期に入る状況での支配的な建築方針にある意味なじまない自由さをもつ理想の田園都市の構想を具現化したものであった。このプロジェクトに関わった一人に前川の弟子で津端修一(1925-2015)という建築家、都市設計家がいる。
余談になるが、私は何人かの友人たちから『人生フルーツ』というドキュメンタリー映画を勧められていたが、その内容がどんなものなのか全く知らずにいた。


画像(1)「奇跡の団地~阿佐ヶ谷住宅」(2010 王国社)


画像(2)津端修一夫妻のドキュメンタリー映画『人生フルーツ』

ところが今回この文を書くことになり、阿佐ヶ谷住宅のことを調べていて、この映画が津端修一とその妻の晩年の暮らしぶりを扱ったものであることを知った。偶々上映中の映画館があったので見てきたが、映画は津端夫妻の自給自足のいわゆるスローライフな暮らしぶりを淡々と描いた心にしみるものであった。津端は自らが手がけた愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一角に住むが、恐らくその団地の建設が当初の自分の設計とは違ったものになった、つまり津端の構想のようには進まなかったことが想像される。実は津端は阿佐ヶ谷住宅が完成してほどなく、住宅公団のその後の方針に失望して退職し、その後ニュータウン建設に携わっている。苦い思いの繰り返しもあったのかもしれないけれど、その辺の経緯について映画は一切触れていない。しかし、寡黙な津端には確固とした信念が隠されていることは画面から感じ取れたし、その津端の信念がより明確に具現化されたのは、むしろ阿佐ヶ谷住宅のほうではないかと想像している(津端が阿佐ヶ谷住宅の取り壊しが始まった数年後に亡くなったのも単なる偶然だけれども、そこに何かシンボリックな意味を見たくなる。)
 津端は阿佐ヶ谷住宅の構想に関して「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなもの(広場やコモンと言われる中庭あるいは棟間園地)を、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか」と言っているが、これは注目に値する発言である。というか、そこには一つの「思想」が表されている。私が前回二回に分けて書いた「現代温泉旅館事情」の(上)の最初のところで述べたような意味での、外界と区切り内に向いた建物ではなく、内が外へと開いていくような建物。しかもそれを媒介するのが「得体の知れない緑地」だと言っているのである。「得体の知れない」という言葉には、一時的な自然ではないが(都会の中で「設計される」自然なのだから)、だからと言って今のマンション群におけるような完全に擬似的で管理された自然でもない「豊かさを生む曖昧さ」への期待が込められている。このような考え方は今日では個々人の住宅において建築家のデザインに取り入れられることはあろう。しかし、これほど大規模なスケールの住宅群で、しかも東京23区の中でそれがなされることなどもはやあり得ない。逆に言えば、この構想のような「思想」からは、その後時代はどんどん離れて行ったということになるだろう。津端は日本住宅公団が設立された昭和30年から阿佐ヶ谷住宅ができた33年ぐらいの時代について「人間を支えていたルーズな社会システムが非常に魅力的だった」と(『奇跡の団地・阿佐ヶ谷住宅』(三浦展編著 大月敏雄、志岐祐一、松本真澄著 2011王国社。この本については後注の1)を参照)、あるいは若手設計者の意見を上層部が寛大に受け入れた「下克上の時代」だったと言っている(ⅰ)。しかし「公団初期の自由闊達な雰囲気は、昭和35年あたりから急速にしぼむことになる(…)建築的空間としての公団住宅の質が変質するのは、明らかに、この昭和35年あたりからである」。そして「そんな公団の転換期に嫌気がさした津端は、昭和35年に東京支所を自ら退く。つまり、昭和35年を境に「一挙に公団の設計合理化、企画化、画一化が進ん」だのであるが、公団か不動産+建設会社主導のマンション群かの違いはあれ、津端らが提示しようとした田園都市の構想はこの時を境に今日に至るまで、数少ない例外を除いてはほとんど日本の集団住宅+建築産業において中心的視野からは外れてしまったのである。
 この本の中で、編著者の三浦は初めてこの団地を訪れたときに「いわゆる団地の人工的イメージとは随分違った」雰囲気を感じ「極楽だな。一体ここは団地なのか?」と思ったと書いている。三浦は自分が感じた「<公>と<私>、あるいは<私>と<私>との境界の曖昧さ」について、「庭の草木は目隠しの意味を持つが、それはちょうど暖簾のように曖昧な目隠しであり、俺の家を覗くんじゃないぞという排他的な雰囲気はまったくない」と言っている。そして大月/志岐は前川國男設計の二階建てで赤い三角屋根の戸建てのテラスハウスが「絶妙に描かれたゆるやかなカーブ」に沿って並ぶ様を「個として端正で、群として美しい」と表現している。


画像(3)阿佐ヶ谷住宅。転居が終わった棟には侵入防止のためベニヤ板が貼り付けてあり、屋根の塗りなおしもしていない。以下写真においても退去が終わった棟は同様のケースが多い。


画像(4)ゆるやかにカーブする道に沿って赤い三角屋根の前川國男テラスハウスが並ぶ。手前(北側)から見ると平屋に見える。


画像(5)南側からの眺め。こちら側からだと2階であるとわかる。


画像(6)2006年10月に開かれたTOTAN Gallery。テラスハウスの内部構造がわかる。屋根の勾配は1/2の比率で、それは壁のブロックの縦横の1:2と比率対応している(ⅱ)。

 さらには「リーダーズダイジェストビル」でイサムノグチがデザインした築山(つきやま)の着想を引き継いだ盛り上がった小山(ⅲ)も「視線を遮らない領域分け」と「コモン」に変化を与え、豊かにするのに一役買っているとしている。大月/志岐はさらにこう述べている。「ここで重要なのは、この街路に沿うように住棟を複雑に配置することによって、街路を歩く人びとの視線が団地内部から外部へ抜けないような配置計画がなされていると考えられることである。つまり<内向きのビスタ>といえばよいか。」この「視線が外部へと抜けない<内向きのビスタ>」とはどういうことだろうか?私は「外界と区切り内に向いた建物ではなく、内が外へと開いていくような建物」と言ったが、それは、家屋の中から外を見る(あるいは外へと出て行く)者の視線のイメージである。「内向きのビスタ」とは、むしろ、団地内を歩く者の視線のイメージで、団地空間の中で視線を無限に内側に留めよう(「団地内部から外部へ抜けない」)とする豊かな「外部」(=団地全体としては豊かな「内部」)のことである。建物の三角屋根のリズム、道路の屈曲、築山による地面の高低、草木の規則性のないランダムな広がりなどの要素が全体像を形成しており、私の言う家屋の内部にいる者の視線と外部を動く者の二つの視線は絶妙なバランスで融合している。そしてそれは、津端が師と仰ぐアントニン・レーモンド(作品としては東京女子大学キャンパス建物群、軽井沢聖パウロカトリック教会、霊南坂自邸、高崎哲学堂など)から学んだ「フリーハンドのスケッチ」の重要性という考え方とも繋がっているだろう。大月/志岐のこの箇所はやや専門的なのだが、要するに、フリーハンドが生むコンセプトとしての「流れるような一筆書きの街路を作った上で、街区内の中庭をあくまでも緩やかに囲む」ことを、南面並行配置を避けた振れ幅のある住棟配置により実現しているが、それは、設計上の基準を絶対視しないからこそ実現しうるコンセプトなのであり、それが結果的に「内向きのビスタ」を生んでいることになる。
 もう一つ、大月は「地べたのデザイン」という題で述べているが、昔の団地でも多いし、今のマンションのほぼすべてがそうだが、植栽は建物を縁取る花壇状になっていて、歩道とはきちっと分離されて領域が限定されているのである。阿佐ヶ谷住宅で特徴的なのは、ある程度植物を育つにまかせ(もちろん、管理は必要であるが)歩道が地面と一体化するように設計されているという点である。「阿佐ヶ谷住宅が教えてくれること。それは、道は多様であるべきだ。ということかもしれない。」(大月)


画像(7)広い園地-1


画像(8)広い園地-2

画像(9)広い園地-3

画像(10)広い園地-4

画像(11)テラスハウス周辺の植栽-1

画像(12)テラスハウス周辺の植栽-2

画像(13)テラスハウス周辺の植栽-3

画像(14)テラスハウス周辺の植栽-4

画像(15)道路際の植栽


画像(16)「内向きのビスタ」につながる平面図


画像(17)阿佐ヶ谷住宅平面図

 画像(17)の阿佐ヶ谷住宅平面図と(18)のプラウド・シティの6階建て中心の立体図を比べて見て頂きたい。阿佐ヶ谷住宅の建物を撤去し広大な更地の上に新たに建てられた現在の野村不動産のプラウド・シティと比べたとき、阿佐ヶ谷住宅の「内向きのビスタ」と道路の絶妙なカーブとの関係、津端の言う「得体の知れない緑地のようなもの」の意味がよくわかるだろう。プラウド・シティの圧倒的量感で威圧する建物とそれを縁取る装飾的な植栽に比べたとき、建物と緑地の融合的なバランスがないことは明瞭に見て取れる。まず、建物内部から外部に向かう視線においては、低層階を除いては外の植栽はほとんど意味を持たないのは現在のほとんどのマンションの特徴と同じであるし、広いベランダをもつわけではないマンションにおいて目指されているのは、個別の住宅における閉鎖された中での「内向きの快適さ」であることは言うを待たない。低層階においては植栽はむしろ外からの視線を遮断する「壁」として機能しているし、高層階においては、室内にあっては、視線はただ「遠方の空」か並立する隣の建物を見るばかりで、植栽はもはや意味を持ち得ない。また、外部においては、高層建物の間に直線状に植栽で飾られた道路が直線的に延びていて(仮に曲線であったとしても、それが阿佐ヶ谷住宅のような意味での曲線でないことは明らかだろう)、従って視線の向かう先は、建物に挟まれた空間の奥への一方向の消失点であるか、または、建物群が庭を取り囲むように配置されている場合は、空いた空間が上部の空であったりすることになる。つまり、そこでは、内部と外部が、あるいは公と私が、私と私が融合するような発想は徹底して排除され、内部と外部はそれぞれに独立し、分離された機能を担うように設計されていて、従って、建物外部における「内向きのビスタ」など存在しようもないのである。


画像(18)6階建ての建築案。これを基としてプラウドシティができた。


画像(19)プラウドシティ阿佐ヶ谷-1


画像(20)プラウドシティ阿佐ヶ谷-2

 このような阿佐ヶ谷住宅が思い描いたようなコンセプトは、広く開いた土地があると見るや、常に空いた場所を狙っている大手不動産+建築会社が強固に一体化して規格品的な巨大マンション群を建てて行く今日ではまず不可能なことであるだろう。後継者不在の大邸宅に住まう老人がホームに引っ越すや否や、建築制限ぎりぎりで土地を細かく割って何世帯もの戸建ての家を建て(画像(21))、さらに土地の大きさに余裕があればマンションを建てるケースが多々見受けられる。大邸宅は、私邸であるからむろん中に入れはしないものの、ある意味で緑や雑木林を提供する地域に潤いを与えるゾーンでもあったのである。ましてや、阿佐ヶ谷住宅内の広場とコモンはいわゆる昔の公団住宅のスタイルの枠にははまらない不可思議で心ときめく場所を提供していたのであった。(続く)


画像(21)これは私の近所の例だが、大邸宅の居住者が去った後、このように複数の戸建て住宅を並べて建てるケースが多い。一戸ずつのデザインに力を入れて、全部を同じ形にするほうがまだ統一感があると思うのだが。設計者はシャレたつもりなのかもしれないが、一戸だけ取れば練りこまれたデザインでもないのに、少しだけ色や仕様を変えていることが多い。このバラバラのセンスは相変わらず日本が公の環境デザインとしての住宅をあまり考慮しないことと関係していると思われる。

【注】
以下1)~3)における◆は私のコメントである。また本文中の(ⅰ)、(ⅱ)、(ⅲ)の箇所については、志岐祐一『世界一美しい団地図鑑』(2012 エクスナレッジ )を参照した。

1)『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』(王国社 2010)の著者たちの略歴を記す。三浦氏、大月氏については、この本に書かれた略歴が古いものなので合わせてWikipedia、志岐氏のホームページなどを参照した。

三浦 展(みうら あつし、1958- )新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒業。パルコ入社、「アクロス」編集長を経て、90年三菱総合所入社、99年マーケティングリサーチやマーケティングプランニング、コンサルティング等の受託業務等を行う消費・都市・文化研究シンクタンンク「株式会社カルチャースタディーズ研究所」設立。代表取締役。著書に『「家族」と「幸福」の戦後史―郊外の夢と現実』(講談社現代新書)『ファスト風土化する日本』『大人のための散歩案内』(洋泉社新書)『吉祥寺スタイル』など(文芸春秋)。

大月 敏雄 (おおつき としお、1967年- )福岡県生まれ。 東京大学工学部建築学科卒業。同大学院建築学専攻博士課程単位取得退学。横浜国立大学助手、東京理科大学助教授、東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授を経て、同教授。博士(工学)。建築計画、住宅地計画、ハウジング、まちづくりが専門。特に集合住宅計画、住宅地計画、海外のスラムのまちづくりなどを主たるフィールドとしている。一方で、設計者として一級建築士事務所・大月堂を妻の大月道子と営む。著書に『集合住宅の時間』(王国社)など。

志岐 祐一(しき ゆういち1966-)鹿児島県生まれ。東京都立大学卒業。ベル・コムーネ研究所などを経て日東設計事務所。関東学院大学、前橋工科大学非常勤講師。歴史的建造物の調査、移築、展示、アーカイブなどを行う。主な業務に同潤会代官山アパート等の住戸を移築再現したUR都市機構総合住宅歴史館、江戸東京博物館、たてもの館の特別展、深川モダン館の展示など。著書に『世界一 美しい団地図鑑』(エクスナレッジムック)(◆団地の歴史と阿佐ヶ谷住宅始め18の日本の団地が写真多数で紹介してある)など。

松本 眞澄(まつもと ますみ)日本女子大学住居学科卒業。同大学院住居学専攻修士課程を中退し、東京都立大学建築学科助手へ。現在、首都大学東京環境学部建築都市コース助教。青山学院女子短期大学非常勤講師。研究テーマは、単身者や女性の居住、多摩ニュータウンの生活環境など。

2)『阿佐ヶ谷住宅写真集』(リブロアルテ)のAmazonにある解説を記しておく。
「日本近代建築の傑作として高い評価を誇る阿佐ヶ谷住宅。 昭和33年に日本住宅公団によって造成された。若き日の日本を代表する建築家らが郊外型住宅地の理想を体現した希少な物件とされている。自由闊達で情熱に溢れた理念によって設計された阿佐ヶ谷住宅は所有者や近隣住民のみならず多くの人々に愛されて来た。構造体の老朽化や住人の高齢化に伴い再開発が進んでいる(◆出版時の話)。 本書は日本最大級の写真コミュニティInstagramersJapan代表のENZOが地権者の許可の下で住人退去から解体工事着工直前迄の数ヶ月間で撮り下ろした数千枚から厳選された写真が収蔵されている。収蔵作品の一部は2013年に開催されたBerlin Calling – Mobile Photography Awardで1位を受賞した。作品制作資金調達にはクラウドファンディングが活用された。 本書は阿佐ヶ谷住宅唯一の写真集であり、写真撮影から編集加工まで一貫してiPhone5だけを用いており、iPhoneographyと呼ばれる写真表現手法に特化した世界でも希少な写真集である。 失われた風景が今ここに写真集となってよみがえる。」

3)転載した映像についてはURLを記す。
(3)(13)http://danchi100k.com/file0092/
(4)http://blog.rentier.sunnyday.jp/?eid=1284876 
(5)https://www.pinterest.jp/pin/686095324455381970/ 
(6)http://www.totan-gallery.com/ 
◆このサイトには、2006年10月から阿佐ヶ谷住宅のテラスハウスで開かれていたArt Gallery、TOTAN Galleryの記事が載せられている。
(7)https://blog.goo.ne.jp/chc_brog/e/e0eb99473b3568bfb00a843f75fcc7c6 
(8)http://blog.livedoor.jp/ppp_ooo_qqq/archives/3403571.html 
(9)http://8honshitsu.net/2007/04/16/%E9%98%BF%E4%BD%90%E3%83%B6%E8%B0%B7%E4%BD%8F%E5%AE%85%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE2/ 
(10)https://pbs.twimg.com/media/DY5TBdtVQAAUt3L.jpg 
https://blogs.yahoo.co.jp/amat_aya/22973755.html 
(11)https://sugakun.exblog.jp/12880371/ 
(12)https://blog.goo.ne.jp/yoshidaho-muzu/e/f2b1a619dbad8cb901ce0f77baa64b83 
(14)https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E9%98%BF%E4%BD%90%E3%83%B6%E8%B0%B7%E4%BD%8F%E5%AE%85#mode%3Ddetail%26index%3D696%26st%3D26598 
(15)http://bonsan-memory.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_4cc/bonsan-memory/image/2014-04-05T17:41:45-ed853.jpg 
(17)http://www.bionet.jp/2018/06/02/edible-landscape-2/ 
◆このサイトには「住まいマガジンびお」で2006年から2012年の退去まで阿佐ヶ谷住宅に居住した江口亜維子さんの記事が載せられている。江口さんによれば、2011年の震災以降、よりいっそう共同住宅に暮らすことの意味を実感されたそうである。 
(18)http://www.yuiyuidori.net/jcpskd-harada/html/menu2/2008/20080529170018.html 
(19)(20)https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E9%98%BF%E4%BD%90%E3%83%B6%E8%B0%B7&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiMls6768jbAhXKyLwKHTctDQsQ_AUICygC&biw=1366&bih=637#imgrc=_

木下直也
東京都杉並区生まれ。都立富士高校卒。東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専攻博士課程満期退学。弘前大学助教授を経て、成城大学教授(現職)。東京大学、東京工業大学、東京芸術大学、埼玉大学、東京女子大学、青山学院大学などで兼任講師。専門分野はカフカを中心としたドイツ近現代文学、古典派~ロマン派の音楽。論文に「Die Polarität des Nichts -eine Betrachtung über Kafkas Welt- und Selbsterkenntnis」「カフカ再読のための試論(1)-解釈の不可能性と言語にとって不可能なもの」「同(2)-否定性・外部・パースペクティヴ」「盲目と相似-ペーター・ハントケの『洪水』Die Überschwemmungと『言葉の縁』Der Rand der Wörterについて」「近現代ドイツ文学における動物という問題圏-ハイデガー、リルケ、ニーチェ」「フランツ・シューベルトの後期作品の表現特性について-表現と形式」「声・反復・死-シューベルトの後期ピアノ・ソナタ」他。共訳にヴォルフガング・イーザー『虚構と想像力-文学の人間学』。