ヤデガー・アジシ(Yadegar Asisi)という画家を紹介したい。ウィーンでイラン人の両親から1955年に生まれたそうだ。今ベルリンを中心に活躍している。
 彼の絵の特徴は、リアルな空間感覚にある。パノラマ画家といってもいいのだが、パノラマとは普通は遙か空の上から見下ろすような構図を取りながら、地上の建物の位置を地図の上にプロットし、立体的な見え方を数学的に割り出し手描くものだが、彼の絵はそれとは異なる。
 空から見下ろしている構図であっても、描かれている地上の事物があまりにもリアルなので、今この瞬間この空中に自分が存在して地上を見下ろしているかのような気分なのだ。しかも不思議なことに、見ている私達の目と地上の事物との間に、空気とは異なる透明な何かが挟まっているという感覚もある。天使が地上を見たらこんな感じに見えるのではないだろうか。
 彼の絵の特徴はもう一つある。それは時間性である。空間の背後に時間が目に見えるのである。彼は好んで過去の風景を描く。それも廃墟としてではなく、また過去の風俗を再現してみせる歴史エキゾチズムとしてでもなく、まさにわれわれが過去のある時点に立ち会っているかのように描くのである。彼の作品には過去に存在したものが細部まで詳細に復元されている。18世紀バロック時代のドレスデン市街も、建物一軒一軒が正確に、しかも壁のしみにいたるまで描き込まれ、広場には群衆や馬車、家畜が混在しているのを見て取ることができる。いわば描くことが呪文となってこれらの事物を過去から現代に呼び寄せているかのようだ。
 彼は空襲直後のドレスデン市街の大画面を描いているが、これを見るとき、まさにそこに私自身が立っているような感覚を覚える。しかも不思議なことに、そこにいるのはあくまでも現時点での私自身であり、爆弾に家を焼かれ、絶望したり、恐怖におののく人間としての私ではない。つまり、当事者性のない、あくまで歴史を傍観している他者としての私なのである。それだけに却って、これが如何に大きなカタストロフだったかが実感される。これは一人一人の人間の意志や計算、誤謬が積み重なって起こった出来事であり、責任はあくまで人間にある。だからここには神の姿が見えない。断罪する神がいる光景を描こうとすれば、たとえば天を仰いで両腕を広げて嘆いているスカーフを被った女性などを描き込めばいいわけである。断罪する神がいる方が人間の心にとってはとりあえず楽だ。何かが存在するということ、何かが起こるということ、そして人間がそこで生きているということの意味を、孤独に考えさせられることの方がしんどい。よくみると今まだあちこちの建物から炎や煙が上がっている市街地の上を、二羽の色鮮やかな鳥が横切っている。
 描かれている状況に対して私が当事者性を持たないからといって、私の戦争の悲惨さに対する想像力の欠如、さらにいえば人間としての共感能力の低さを意味するとは思わないでほしい。むしろこの他者性の感覚を持つことこそ、歴史の現実にリアルに向き合っているということなのではないかと思う。私は今生きている生身の身体を持った私という存在感覚を媒介として、過去のある時点の出来事を体験するのである。
 考えてみればドレスデンという町では、この時間を隔てた空間のリアルな再現という試みがあちこちで行われていることに気づく。フラウエン教会の再建しかり、王宮の再建しかり、カナレットの風景画もまさにこれである。
 ドレスデン旧市街の歴史的景観の再建は、建物が存在した過去の時空間の再現として行われているのであり、一見同じことをしているように見える日本の歴史的景観保護とは大きく異なる。ドレスデンの旧市街は観光客のための書き割りとして再建されたのではない。かといってその建物の機能が昔と同じままというわけではむろんない。私の泊まったホテルは、外観からはおそらく17世紀ごろの建造かと思われる。かつてのザクセン王国の政庁(Kanzlei)に隣接する建物で、カトリック司教区の役所として使われていたり、少年合唱隊の寄宿舎だったりしたものらしい。今ではそんな役目は当然終えて、内装はぴかぴかのモダンなホテルとなっているのである。つぶさに調べたわけではないが、中心部の建物はみなそのように、昔とは全く違う使われ方をしている。だが、建物の外観がつくり出す視覚的なテクストは、昔と全く変わっていないのである。そしてひとつひとつの建物が連なって全体の織りなす空間のコンテクストが示す意味も、昔と同じである。だからその都市空間に身を置くと、そのコンテクストをかつてと同じように読み解くことができるのである。日本の観光地で行われている江戸時代の町並み保存は、そんな想像力の自由な働きを許さないようになっている。土産物店や食堂などの幟旗がはためき、人力車などまで持ち出して、要するに楽しい観光地のお祭り騒ぎに強引に引き込むだけなのである。景観は保存されても、これでは単なる書き割りでしかない。
 ドレスデンという町は、私達の感覚の前に時間を隔てて歴史的空間を出現してみせる、不思議な力があるにちがいない。アジシの作品を知り、私自身がこの町で抱いた感覚を共有している人がいたことに驚き、またうれしくも思った。


「ドレスデン・バロック」 ヤデガー・アジシ
Yadigar Asisi, DRESDEN BAROCK
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yadegar_Asisi_Panorama_DRESDEN_BAROCK.jpg

武井隆道
1953年5月31日 長野県生まれ。
1960年より長野県小諸市にて少年時代を過ごす。
長野県立上田高等学校卒業
東京大学文学部、同大学院でドイツ文学を学ぶ。
1987年より筑波大学でドイツ語、ドイツ文学、ヨーロッパ文化等の講義を担当。
研究領域:ゲーテを中心とする18世紀末および19世紀初頭のドイツ文化
最近の研究テーマ:バレエの歴史と宮廷人ゲーテ、18世紀の身体美意識とゲーテ、ゲーテ時代のサロンの瞬間芸(タブロー・ヴィヴァン、アチチュード)