ハアー
待ちに待ってた世界の祭り
西の国から東から、
北の空から南の海も
越えて日本へどんと来た
 

2020年東京オリンピックの開会式まで3年となった7月24日、新しいバージョンの「東京五輪音頭」が披露された。
同じ日、東京電力は19日から行っていた福島第一原発3号機内部調査で撮影された映像を公開した。映像には溶け落ちた燃料デブリの姿が初めて捉えられていた。
東京オリンピックに冷水を浴びせるつもりはない。
しかし福島第一原発の存在が最大のリスクであることは、事故から6年以上たった今も変わらない。果たして東西南北、世界の国々から、人々がドーンと日本に来られる状況なのだろうか?

最大の短期的リスクは80万トンにも上る汚染水だ。トリチウムを含む汚染水の海洋放出について、新任の東京電力川村隆会長がこの7月、「判断はもうしている」と語り、地元漁業関係者らの強い反発を招いた。トリチウムの総量は3,400兆ベクレルに上る。しかも増え続けて止まらない。

中期的なリスクは、1号機から3号機までの燃料プールにある1573体の使用済み核燃料だ。「使用済み」とはいえ「核燃料」である。プールの水が抜けたり、冷却が途絶えると暴れだす。とりわけ沸騰水型原子炉では、プールが建屋最上階に設置されており、巨大地震による倒壊の恐れが指摘されている。3号機は2018年度、1号機と2号機はオリンピックイヤーの2020年度に取り出しを始めるという。

今後長期にわたって日本を悩ませ続けるのが、「燃料デブリ」の存在だ。ロードマップでは30から40年で廃炉を終えることになっているが、机上の空論である。おそらくは100年仕事と覚悟せねばならないだろう。
東電は7月19日から22日まで、ロボットを使って3号機格納容器の内部調査を行った。3号機の内部にカメラが入るのは初めてである。そこでカメラが捉えたのは、大量の燃料デブリだ。

2011年3月14日午前11時1分、3号機は水素爆発を起こし、黒い噴煙が500メートル以上に立ち上った。溶けた燃料がジルコニウムなどの金属と反応し、大量の水素を発生させたのである。
燃料の温度は3000度近くに達し、どろどろの液状となって圧力容器の下部を破り、格納容器の底部へと落下していったのである。圧力容器の材料は鋼鉄だ。厚さ19センチとはいえ融点は約1500度、底部がそっくり抜けてもおかしくなかった。

カメラが捉えた映像には、圧力容器の下部から氷柱のように垂れ下がったデブリが映し出された。圧力容器底部には、制御棒駆動装置や計測系の貫通部が多数ある。溶接などの弱い部分を食い破って、格納容器に流れ出てきたものと見られる。
また岩のように重なり合って堆積したデブリや、デブリが付着したとみられる多数の構造物も見られた。溶け落ちてきた燃料が格納容器の底に残っていた水で冷やされて、幾層にも固まったのだろうか。

燃料デブリの線量は恐ろしく高い。人間どころか、遮蔽体となる水がなければ、ロボットさえ近づけない。1号機から3号機まで合わせて数百トンに上る燃料デブリを、取り出さなければならないのである。

デブリを取り出した唯一の例は、米国スリーマイル島原発(TMI)である。TMIでは幸いなことに圧力容器が形をとどめ、デブリはその中にとどまった。堅いデブリをドリルやハンマーで粉々にして、遠隔操作で取り出した。
当時、デブリ取り出しを担当した米原子力規制委員会の元技術者レイク・バレットは、時間がかかったのはデブリ取り出しの工具作製だったと明かす。またロボットの有用性を認めながらも、「TMIでは大半の作業を人間が行った」と語る。10年かかって取り出されたデブリはいま、アイダホ国立研究所に保管されている。

翻って福島はどうか。デブリが圧力容器を突き破り、格納容器の底部に落ちて堆積している。放射能を閉じ込める最後の砦、格納容器も破損しており、TMIとは比べものにならないほど困難な状況にある。
デブリがどこにどれほど存在するのか、今回の映像ではほとんど分からない。デブリの正確なマッピングができなければ、取り出し方法の確定は不可能だ。
デブリの物理的性質、化学的性質も全く分からない。さらには取り出したデブリをどこにどう保管するのか、何一つ決まっていない。
レイク・バレットは続ける。
「最も重要なのは、強いリーダーシップだ。デブリ取り出しには核物理学者から資金調達を担う人まで、すべてをマネージメントできる人材が必要だ」
当事者の東京電力はもちろんのこと、日本政府、原子力規制委員会に、果たしてリーダーシップがあるだろうかと考えた時、暗澹たる気持ちに陥る。

東電は今年秋にも「方針」を固め、来年度にも「工法」を確定するという。「工法」とは工事の方法である。取り出すことが可能かどうかさえわからないものを、どんな「工法」で取り出すというのか。私には「虚構」としか思えない。

▼3号機格納容器内部のデブリと思われる画像(東京電力)

倉澤 治雄
千葉県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻)、80年日本テレビ入社。原発問題、宇宙開発、環境、地下鉄サリン事件、司法、警察、国際問題などを担当。経済部長、政治部長、解説主幹を歴任。著書は「福島原発事故に至る原子力開発史」(中央大学出版部)、「原発ゴミはどこへ行く」(リベルタ出版)、「原発爆発」(高文研)、「テレビジャーナリズムの作法」(花伝社)、「徹底討論 犯罪報道と人権」(現代書館)「原子力船『むつ』 虚構の航跡」(現代書館)ほか