ソウル、李哲氏とともに民主化を思う
1975年11月22日に韓国の中央情報部(KCIA)が「北朝鮮の指令によるスパイ団摘発」を発表したことから「11.22事件」と呼ばれる出来事がある。その事件では、多くの在日韓国人の学生らが逮捕され、その中の何人かは国家保安法違反容疑などで死刑判決を受けた。その一人が李哲(イ・チョル)氏である。

現在大阪に住む李氏は、熊本県の高校を卒業後、中央大学を経て韓国の高麗大学に留学中に突然ソウル市内の自宅から男たちに連行された。中央情報部の地下調査室では連日拷問が繰り返された。その結果、事実に反する陳述書がつくられ北のスパイに仕立てられる。当局のでっち上げによる冤罪事件である。
逮捕から39日後に送られたのがソウル市内の西大門(ソデムン)拘置所である。李氏はここに収監中に死刑判決を受け、13年後の1988年に釈放されるまで、韓国内の拘置所や矯導所を転々としつつ、その間いつ訪れるかわからない死の恐怖にさらされることとなる。

事件発覚後50年を迎える昨年11月、その李氏とともに西大門拘置所を訪れる機会を得た。西大門拘置所は、現在西大門刑務所歴史館となり主に日本統治時代に朝鮮独立を求める人たちを弾圧してきた歴史的資料が展示されている。日本による植民地支配の象徴であると同時に、この施設は韓国の独立後は朴正煕、全斗煥などの軍事独裁政権が政治犯や民主化運動家などを収監し拷問を加えた歴史を併せ持つ。
李氏は普段は笑顔を絶やすことのない穏やかな人柄で、初対面であっても率直な会話を交わし仲良くなれる人である。筆舌に尽くせないつらい毎日を送った場所を再訪した際も、当初はいつもと変わらず笑顔を見せながら我々に場所の説明などをしてくれた。しかし、地下にある拷問室に向かうときには「皆さん行きたいですか?」と、それまで見せなかった沈んだ表情でぽつりとつぶやいた。その後、所内の各所を巡る間、笑顔と近寄り難い硬い表情を交互にみせ、穏やかでない心中をうかがわせた。

実際、博物館の展示は生々しい。取調室の机の上には手錠が設えてあり、その横に爪をはがす拷問器具が置かれている。独房の錠は二つの頑丈な鉄製の閂と鍵式の錠前の三重の物々しさで、金属の鈍い光とペンキの一部がはげた厚い木製の扉には収監されていた人の怨念のようなものさえ感じられる。展示の中には天井から逆さにつるされ、水攻めに会う様子を人形で再現したものまである。
死刑場も当時のままに公開されている。絞首刑のためのロープが死刑囚の座る椅子の上に揺れている。執行の際には床板が下に開く仕掛けで、椅子の周囲の床が四角く区切られている。李氏がここを訪れる際の心の負担は如何ばかりかと思わずにいられない。

第11獄舎の長い廊下の一角に「在日同胞良心囚 — 苦難と希望の道」と名付けられた部屋がある。ここには11.22事件などで不当逮捕・投獄された在日韓国人の人々(良心囚)の釈放運動の写真や収監中に手元にあったものなど獄中生活の模様を語るものが展示されている。
部屋の隅にある展示ケースの前に李氏が妻の閔香淑(ミン・ヒャンスク)さんとが並んで立ち、表情を和らげた。ケースの中には二つのロザリオがある。これは二人がともにこの拘置所に収監中に互いの「形見」として矯導官を介して交換して持ち合っていたものだ。二人はこれを李氏が釈放されるまで宝物として手放すことはなかった。愛の証ともいえるロザリオは、今は二人の手を離れ民主化を求めた人たちの思いが詰まった部屋に、一筋の光を与えている。

翌日には、今は民主化運動記念館となっているかつての「南営洞対共分室」を訪れた。ここは中央情報部(KCIA)とは別の治安機関「内務部治安本部」の傘下にあった対共捜査機関のあった建物を中心に新たな記念館として昨年開館した施設である。当初から治安当局のために建てられたもので、取調室のある5階の窓は小さく縦長になっている。異形の建物である。
李氏はこの施設に収容されることはなかったが、同じような境遇にあったソウル大学生だった朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏拷問致死事件が発生した現場である。この事件はその後の運動に強い影響を与え、韓国の民主化闘争の象徴となった。その朴氏が収容されていた509号室は現在その当時の様子のまま保存されている。

ほかにもこの施設には拷問の道具や、取り調べの対象となった人たちの調査資料などが展示されている。その中で最も衝撃的だったのは、大きな窓に面した会議室のような場所に流されていた「ポーン、ポーン」という音である。この部屋はかつて調べ官たちの休憩室(班長室)だったという。窓の外には、やや広い庭が見える。調べ官たちは拷問することに疲れるとこの部屋でくつろぎ、庭にあったテニスコートでテニスに興じる者もいた。その様子には罪の意識など、みじんも感じられなかったという。壁を隔てた調べ室では死者が出るほどの苛烈な拷問が日常的に行われている一方で、テニスをする仲間をゆったりと眺めながらくつろぐ男たち。ボールの音がそうした光景をリアルに描き出す。
注目すべきは、あえて「ポーン、ポーン」という音を流す記念館の姿勢である。民主化によって治安機関の在り方は大きく変わったが、そこで働いた者たちは罪を問われることなく現在も韓国の社会に溶け込んでいる。この音には、彼らを許さず、その行動がなかったことにならないことを求める意思が込められているようにも思うのだ。そこに、韓国の民主化運動の根の深さや強靭さを感じ取る。
翻って日本の現状は…
韓国に学ばなければならないことが山ほどあることを思い知った李氏との二日間であった。
フォト・ジャーナリスト 1952年、神戸市生まれ。1975年、関西学院大学経済学部卒、読売テレビ(大阪)入社。記者として警察・内政など記者クラブを担当。ディレクターとしてドキュメント番組(NNNドキュメント’83〜’86など)、プロデューサーとして報道番組(ウェークアップなど)を制作。報道局次長、コンプライアンス推進室長を歴任、2013年からBPO(放送倫理・番組向上機構)放送人権委員会調査役、青少年委員会統括調査役などを歴任。2018年フリーに。


