書評 終わらないPFOA汚染
読みながら怒りが沸々とこみあげてきた。『終わらないPFOA汚染』(旬報社 2024年10月10日刊)はエアコンメーカーとして知られるダイキンが、実はとんでもない公害垂れ流し企業だったことを詳細に暴いた記録である。著者中川七海は調査報道に特化した報道機関「Tansa」に所属するジャーナリストだ。
PFOAとは有機フッ素化合物のひとつ「ベルフルオロオクタン酸」の略称で、環境中や体内で分解されにくいことから、「永遠の化学物質(フォア・エバー・ケミカル)」と呼ばれている。耐熱、耐薬品、撥水、撥油などの優れた性質があり、焦げ付かないフライパンなどにも使われてきた。
一方で発がん性、胎児の低体重などの健康影響が指摘されている。米国では1960年代から健康影響が問題となり、デュポンが大規模な疫学調査を行った結果、2012年、「妊娠高血圧症・妊娠高血圧腎症」「精巣がん」「腎細胞がん」「甲状腺疾患」「潰瘍性大腸炎」「高コレステロール」などの健康影響が明らかとなった。PFOAは水だけでなく、大気を通しても広がることが京都大学のシミュレーションから明らかとなった。健康影響は広範囲に及ぶことが予想された。
大阪府摂津市は日本で最もひどくPFOAに汚染された地帯である。同市にはダイキン工業淀川製造所があり、京都大学名誉教授小泉昭夫らの調査で、河川や井戸水、さらには住民の血液から高濃度のPFOAが検出されていた。ダイキンは大量のPFOA汚染水を垂れ流しながらその事実を認めず、大阪府や摂津市の地方行政は「だんまり」を決め込んだ。その間に子供を含む多くの住民が危険なPFOAに曝露されたのである。
取材の核心は中川らが入手した社内の極秘文書にある。極秘文書には工場敷地外への放出量、PFOA製造に従事していた作業員の曝露量などが記されていた。とくに排水として下水処理場に放出した量が9トン、除害塔から気体で放出した量は3トンと書かれていた。「樹脂排水処理出口」の濃度は2760万ナノグラム/リットル、現在環境相が定める目標値の50万倍を超える。
さらに文書が作成される以前の2000年頃まで、PFOAを含む汚染水を用水路に直接廃棄していたことも記されていた。2000年と言えば米国では大手メーカー3MがPFOA製造から撤退した年である。汚染水は農業用水にも使われてきた。文書には「大阪湾にも可能性がある」と記されており、広範囲の被害をすでに予測していたのである。
行政は「知らぬ存ぜぬ」を貫いた。大阪府知事太田房江は議会で健康影響について問われると、「私ども先進的にやっているわけで、遅れていることはございません」と答えた。しかし実際は十分な調査すらしていなかった。太田の後援会長は30年間ダイキンのトップを務めた井上礼之だった。その井上は2024年6月に退任し、「特別功績金」43億円を手にした。
2020年に行われた環境省の調査でも、摂津市は日本最悪のPFOA汚染地帯であることが明らかになった。調査対象の住民からは非汚染地域の70倍を超える濃度のPFOAが検出された。しかし摂津市は住民の健康を守る側ではなく、ダイキンを守る姿勢を貫いた。ダイキンからの税収は市の重要な財源であり、摂津市はダイキンの企業城下町だったからである。
中川らは摂津市、環境省、厚労省の議事録も入手した。規制官庁の環境省は高濃度のPFOAが検出された住民について、「直ちに健康に影響があるとは限らない」と答えたという。その後市民団体が5000人を超える署名を集め、環境省に提出した時も、「ダイキンに対策を求める立場にない」と中川に応えたという。どこかで聞いたセリフである。環境省が守りたいのは住民の命と健康ではなく、企業と省益なのである。
ダイキンと摂津市は協定を結んでいた。「環境保全協定書」である。しかし摂津市長の森山一正は協定にのっとった被害補償を求めることもできた。しかし「PFOAは協定に当てはまらない」として摂津市はダイキンに協議を求めることすらしなかった。行政の不作為は犯罪的である。
中川の批判の矛先はメディアにも向かう。大手メディアは一貫して「ダイキン」の名前を出さずに報道してきた。日本のメディアは個人や企業の責任を実名で問うことがない。テレビニュースを見れば明らかである。モザイクやぼかしの入ったニュースばかりである。メディアが実名で報道しなかったことから、PFOA汚染の実態が隠蔽されたままとなり、より多くの健康被害が生じた可能性がある。
ようやく市民が立ち上がった。元ダイキン社員も声を上げ始めた。しかし政治や行政の対応は遅い。「安全な水」は国連が提唱するSDG’sの最も重要な項目の一つである。日本政府にSDG’sを語る資格はない。
ダイキンの前身は1924年創立の大阪金属工業である。1933年にはフッ素系冷媒の研究に着手、太平洋戦争中の1941年大阪府摂津市に大阪金属工業淀川製作所が建設された。1950年代にはすでに土壌汚染だけでなく、健康被害が人や家畜に表れていた。
米国では1960年代から健康影響が問題となり、2000年には大手メーカーの3MがPFOAから撤退した。同じく大手メーカーのデュポンは訴訟で敗訴し、住民への補償を行った。2023年12月、世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関(IARC)はPFOAを「発がん性がある」物質に認定した。しかしダイキンは今日に至るまで、健康被害を認めようとしない。そのダイキンは今年が創業100周年である。
公害が温存される理由について中川は公害行政当事者の「傍観」、機能不全を起こしている「地方自治」、それに「私たち一人ひとり」にあるという。中川は取材を通して多くの「怒らない住民」と出会った。反対の署名集めをするだけで、抗議された住民もいるという。「巨大企業の脇を、政府や行政、物言わぬメディアが固めている」状況は、水俣、東電福島第一原発事故でも見たとおりである。
PFOAだけではない。食品添加物、放射性物質、農薬など、世界で問題となっている物質が日本で堂々と流通している。「公害企業」にとって、日本は楽園なのである。「公害温存システム」を断ち切るには、少しだけ市民の勇気が必要である。
「現状を放置すれば、その影響は必ず私たちに帰ってくる。公害温存システムを断ち切るための闘いに、ぜひ一緒に挑んでほしい」と中川は締めくくる。
読み終わっても怒りが収まらない一冊である。
千葉県生まれ、開成高校卒。1977年東京大学教養学部基礎科学科卒、79年フランス国立ボルドー大学大学院修了(物理化学専攻)、80年日本テレビ入社。原発問題、宇宙開発、環境、地下鉄サリン事件、司法、警察、国際問題などを担当。経済部長、政治部長、解説主幹を歴任。科学技術振興機構中国総合研究センター副センター長など。著書は「原子力船『むつ』虚構の航跡」(現代書館)「福島原発事故に至る原子力開発史」(中央大学出版部)、「原発ゴミはどこへ行く」(リベルタ出版)、「原発爆発」(高文研)、「テレビジャーナリズムの作法」(花伝社)、「徹底討論 犯罪報道と人権」(現代書館)「中国、科学技術覇権への野望」(中公新書ラクレ)「新型コロナワクチン 不都合な真実』(高文研)「宇宙の地政学」(ちくま新書)など。