8月9日夜の震度5の地震発生時、丁度小田急線の上り電車に乗っていました。夜8時ごろ地震警報のアラートが全乗客のスマホで鳴りましたが、揺れを感じ無かったので皆平然としてました。
しばらくして、電車は神奈川県の愛甲石田駅の手前数百メートルで停車。社内アナウンスで「小田急全線で停車して、運転手と車掌による脱線点検を行います。」とのこと。20分くらいして点検終了して、「前の電車から順次発車するのでしばらくお待ちください」とアナウンス。あーこれは時間かかるなぁと待つこと数十分、今度は「小田原駅とXX駅の間はしばらく運行中止となりますので、この電車もしばらく運転中止となります」のアナウンス。

自分の位置がその「XX駅」とどういう関係かわからなかったので、そのまま待つこと数十分。次のアナウンスで「車外に出たい人は6号車と5号車に集まってください」その時点で自分が震源に近い事をようやく自覚。ゾロゾロと大学生と思しき乗客が私のいた6号車に集まってきたので面白そうなのでその後に続きました。
小柄な女の子が固まって喋っていた外国人学生に事情を英語で説明してました。車掌が後ろから6号車に人をかき分けて来ました。5号車には先頭から運転手が来ている模様。そして車掌が先に運転席のドアから降りて、乗客が1人ずつ車外に出るのを車外でサポートしました。運転席から線路までは結構な高さなので、皆後ろ向きに梯子の要領で降ります。
運転席から線路までは梯子4段程度の高さ。もちろん途中にはステップがあります。なぜ5号車と6号車なのかもその時分かりました。小田急は最小の列車編成が5両で、その電車は2個繋げた10両編成だったのです。10両編成の中で外に出る運転席は中間の5号車と6号車しかないんです。
私は、普通の乗降ドアから降りるものと思い、その手段をあれこれ考えていたのでした。ようやく外に出て線路を歩きましたが、大きな石ころがいっぱいあって歩きにくい。そのうちに踏切を潜って道路に出る人達がいるのに気付き、私も踏切の下を潜って少し歩き、大渋滞となっている大通り沿いを駅に向かいました。

ここまで、日本の鉄道は非常時の乗務員トレーニングが完璧だなという話でした。

大通り沿いに歩きながら考えました。駅に行ってどうするのか。電車は暫く動かないみたいだし。そして、駅にはタクシーがいるはずと思いました。ここからなら2万円以内で帰れるでしょう。そう思い早足で駅に行ったらタクシーが一台います!そちらに向かったら、先に大学生がそのタクシーに向かっていたので諦めました。
でも様子が変なのでみてたら既に実車でした。タクシーの運ちゃんが「列に並んでね」と親切に大学生に人の列を示しました。そこには4,5人の列が既にありました。バス停前に並んで良いのかなと思いつつもそこに並ぶこと一時間弱。タクシーは来ません。大通りは大渋滞になっていて、「何時もこの辺は渋滞がひどいのかな。これじゃタクシー拾えないや」と次の手段を考えました。少し焦っていました。
ここから歩いたら24時間くらいかかりそうだし。そして、気づいたのがそのバス停には「平塚駅」の文字が。JR平塚駅です。最悪の場合は平塚でも良いかとタクシーとバスを待ちました。
結局バスが先に来て、先払いになれている私は運転席のドアをノックして「平塚駅までいくら?」と聞きました。運転手は「えっ」という顔をして何やら冊子を出して調べ出しました。「古い料金は470円だけど最新の料金はディスプレイに表示されるのでそれを見てください」と言いました。私は???で、「千円あるけど、適当に払えば良い?」と聞きましたが、運転手さんは「ここで両替して、降りる時に払ってください」と言いました。ようやく判りました。後払いだったのです。
そのまま最前列の運転手の横の席に座り、40分くらい揺られて平塚駅に到着しました。平塚駅は土浦(私のセカンドハウスのあることろ)と同じくらい都内から遠いのは知っていましたが、「結構都会」とか思いながら電車に飛び乗りました。小田急の始発である新宿駅までは湘南新宿線にのって1時間強でした。途中止まる駅が段々と都会のそれになっていき段々私も安心して、少し眠りました。
12時過ぎに小田急新宿駅につき、相模大野行きの最終電車に乗って家の最寄り駅である経堂駅にようやく辿りつきました。家に帰りついたのは午前1時前でした。色々と体験できたので、あまり疲れていませんでした。ビール飲んでサラダ食べて寝ました。

そしてその翌日、今イロイロと思いだしながらこれを書いています。一つ今気づいたのは、なぜに愛甲石田駅の大通りがあんなに渋滞していたかです。あれでタクシーに乗ってたら家まで4時間くらいかかったかもしれません。踏切です。小田急のその辺り一帯の踏切は全て遮断機が下りてました。電車が線路上に止まっているので仕方がありませんでした。バスを選択して賢明でした。

人生で二度とない貴重な体験をしました。