私たちの体のおよそ3分の2は水である。水は生命の源である。水は水素と酸素の化合物であると中学時代に習いはしたが、水素の同位体に重水素と三重水素があることを、覚えていない方も少なくない。東京電力福島第一原発事故に関連して、いま一番問題になっている放射性物質が三重水素、トリチウムだ。

トリチウムの半減期は約12年で、崩壊するときにベータ線を放出する。トリチウムのベータ線は空気中で約5ミリ、水中で1000分の6ミリほどしか進まない。つまりトリチウムの存在は、外部被ばくを心配する必要はほとんどないが、内部に取り込まれると厄介だということになる。
なぜなら人間の体は3分の2が水で、なおかつベータ線の飛程が小さいということは、狭い領域にエネルギーが集中するからである。このトリチウムを含む汚染水がいま80万トンを超えた。

今年9月末で任期を迎える原子力規制委員会の田中俊一委員長は、かねてからトリチウムの海洋放出を容認する発言をしてきた。
「処理して放出濃度基準以下になったものを放出するのは、たぶん避けて通れないでしょう」(2013年7月24日)
田中委員長の発言をいいことに、東京電力の川村隆会長が今年7月13日、海洋放出は「もう判断している」と述べたことから、全漁連などが一斉に抗議の声を上げたのである。
こうした反応に驚いた東京電力は7月14日、「トリチウム水の海洋放出に関する一部報道について」とのコメントで次のように釈明した。
「本日報道の一部記事『東電会長、汚染水海洋放出方針判断』の中で、トリチウム水の海洋放出に関わる当社会長の川村の発言が引用されております。これは、トリチウム水の海洋放出時の影響に関し、科学的・技術的な見地に基づく現行の規制・基準に照らして問題ないという、原子力規制委員会田中委員長他のご見解と同様であると申し上げたものです。よって、最終的な方針を述べたものではありません。」

自分の発言を田中委員長の責任にすり替える手法は、これまでの東電のやり方と全く変わっていない。原子力規制委員会から何度も「主体性がない」と批判されているにも関わらず、である。
案の定、田中委員長は「私を口実にするのは、事故の当事者として私が求めていた、向き合う姿勢とは違う。はらわたが煮えくり返る」と心情を表現した。

ところでトリチウムはこれまで人体に与える影響が小さいとされてきたが、本当だろうか。世界の原子力施設でトリチウムを大量に放出しているのは、カナダ型重水炉(CANDU)と再処理工場である。
イギリスの再処理工場があるセラフィールドでは小児白血病が増えているとの報告がある。またカナダのピカリング原発周辺では、ダウン症の子供の出産が増えているとの報告がある。
もちろん因果関係を完全に立証するには至っていないが、「疑わしきは安全サイドで」というのが原子力開発での鉄則である。

最近注目されているのは、トリチウムが人間のたんぱく質や糖質、脂質に取り込まれた場合である。有機結合型トリチウムと呼ばれる。
口から入ったトリチウム水は約10日で半分が排泄されるが、有機結合型は40日前後、あるいはそれ以上の長期にわたって体内にとどまり、周辺の組織や遺伝子を破壊する。有機結合型トリチウムの人体に対する危険性は、トリチウム水の10,000倍ともいわれている。

東京電力福島第一原発事故で発生したトリチウムは3400兆ベクレルだ。セラフィールドやピカリングでの年間の放出量とほぼ同じ量である。3400兆といわれてもピンとくる方はいないだろう。
写真は福島第一原発事故で発生したトリチウム水の量で、約57ccと見積もられている。このうち3分の1程度が80万トンの汚染水に含まれている。
何とわずかな量であろうか。しかしわずかな量であっても、人体に取り込まれると影響は大きく、現在のところ技術的に汚染水から分離する方法はない。

日本人はすべて「水に流す」ことが得意である。しかしトリチウムを安易に流してしまえば国際的な非難は免れない。1リットル当たり60,000ベクレルに希釈して、流してしまえばいいという規制のあり方は、安易に過ぎる。「放射能から国民の生命、健康、財産を守る」という原子力規制委員会の使命にも反する。。
百歩譲って放出せざるを得ないとしても、年間で総量規制するなり、放出の仕方を工夫するなり、影響を最小限に食い止めるやり方はあるだろう。日本の英知と良識が試されている。
東京オリンピックの開催が近づくにつれ、世界の目がますます厳しくなることを、肝に銘ずる必要があるだろう。

▼福島第一原発事故で生じたトリチウムの量