昨年秋、4年ぶりに中国・上海を訪れた。浦東国際空港に降り立ったのは上海ガニの美味いころ、その7日後に台湾有事に関する「高市発言」が飛び出し、日中関係は急激に険悪となっていく。幸いというべきか、私の滞在期間中は不測の事態や特段不快なこともなく過ごすことが出来た。
この街には4年から6年の間をおいて、5回訪れている。誰もが持つ感想かとは思うが、来るたびにその様相の変化に違和感を覚える場所である。初めて訪れたときはすでにバンド(外灘)の対岸にはテレビ塔が聳え立っており、その周辺に高層ビルが建ち始めていた。そのころは、中心部にも2階建てや3階建ての狭小な住宅や商店が密集する街区も見受けられたが、1本道路を隔てた場所には広大な更地が広がり新たな街が築かれようとしていた。まさに都市丸ごとの大規模再開発のスタート時点であった。
その後の猛烈なスピードで進んだ変容はご存じのとおりである。

今回の旅で印象に残ったのは、建物ではなく自動車であり、スマホであり、ロボットなど工業製品であった。性能については短期滞在の旅行者には判断できないが、デザイン面での進化には目を見張るものがある。繁華街の一等地に中国製の高級車が展示されていたので足を止めた。そこに置かれた車の美しい曲線を組み合わせたフォルム、高級感を漂わせる塗装の厚み、深みのあるボディカラー、スムーズに本体に沈み込むドアノブなど洗練を極める出来にため息が出る。
スマホでは折りたたまれた3つの画面を開くとA5判ほど大きさの、つなぎ目のない滑らかな液晶パネルになるものが目を引いた。三つ折りでも二つ折りでもそれぞれの大きさで様々な使い方が出来るという。同種のものはアップルもまだ追いつくことが出来ていないそうだが、中国ではすでに1年以上前から市場に出回っているという。安っぽさを隠せない野暮で荒いつくりの中国製品のイメージはない。細部に宿るこの国の製造能力の充実を実感する。

頭をよぎったのは、前日に立ち寄った上海博物館東館で見た青銅製品の数々である。例えば、前漢時代(紀元前206-8年)に作られたという「八頭のヤクを配した貯貝器」。当時の貨幣「貝貨」を貯蔵する容器であるが、蓋の上部に8頭のヤクが、そして把手には虎が鋳出されている。
ヤクたちの絶妙の配置、それぞれの表情や足の運びの細やかな表現、そして何より2頭の虎の威圧的な姿勢とどん欲な眼差しに圧倒される。これもまた優れた技術が細部に宿っている。日本の弥生時代にこれほどまでに完成された青銅器を作っていた民族である。車やスマホにみられる技術力など驚くに当たらないのかもしれない。

先端技術の発展と相まって、一般の人たちの暮らしも様変わりしたのであろうか。宿泊先のホテルの近くの市場に立ち寄った。周辺は中高層の鉄筋コンクリートの建物が建ち並ぶ日本の団地のような街並みである。その中で市場だけは平屋の仮設店舗のように見える小さな建物が密集しており、屋根はトタンや布製のテントで覆われている。そこに、魚屋や肉屋、野菜屋などの食料品店がごちゃごちゃと店を出している。すっかりビルに埋まった街となったものの、人々の日常生活はまだ根こそぎの変化には至っていないようである。

スーパーマーケットに慣れた目には衛生状態などが気にかかるが、値段は安い。この時期の旬の高級食材、上海ガニ1匹に30元の値札がついていた。日本円で700円ほどである。これが有名レストランのメインディッシュとなるととんでもなく高額の請求を受けることになる。大枚をはたいてそんなカニを食する機会に恵まれたが、1匹のカニをそこまで飾り立てるのかとあきれるほどの演出であった。金色のカニをかたどった容器のふたを開けると朱色に茹で上がった上海ガニの甲羅が現れ、その上には菊であろうか花弁がひとひら添えられている。中国には、「菊黄蟹肥」(菊の花が咲く頃、蟹が太って食べ頃になる)」という言葉があるそうだ。そうか、これも細部に宿る文化なのだ。

5回目の上海の印象を2枚の写真に託した。1枚目のタイトルは「俯望脚下」、2024年にフルオープンした巨大な博物館「上海博物館東館」の広大なロビーを4階の吹き抜けの回廊から見下ろしたもの。

2枚目は「仰望苍穹」、バンドからテレビ塔を望んだ風景である。こちらは細部にこだわらず大雑把に上海を見た鳥の視線と虫のまなざしである。