過去の美術展から❶ 高島野十郎展 / 柳原義達展 / 福田平八郎展 / 川瀬巴水展
以前、美術展を見に行く度SNSに出していた寸評を、数回に分けてここに投稿してみたい。その一回目である。
【高島野十郎展 目黒区美術館 2016.4】


「孤高の画家」として近年評価が上がっている高島野十郎の絵、前から気になっていたけれど、目黒美術館の没後40年展でやっと見ることができた(ほぼ油彩のみ150点を展示。6月5日まで。その後足利市美術館)。点数、展示法ともに大変充実した展覧会であった。
「孤高」という形容はときにマユツバ的なことも多いが、高島の「孤高」は筋金入りで恐れ入る。東大の水産科を主席で出るもすぐに画家の道に(しかし、訣別と感謝の二つの気持ちをこめてなのだろうか、恩師二人の肖像画を残すところが高島らしい。)独学でアカデミズムとも関わりなく、いかなる会派にも属さず、賞とも無縁、当たり前のように生涯独身で己一人のために画業に邁進した人である。
従って生前はほぼ無名。清貧とはいえ、絵の具代だってあるし、生活はどうしていたのだろうかと思うけれど、久留米の実家は裕福な酒造業だったようで、となると、昨今斎藤美奈子や高田里恵子の鋭い舌鋒のエジキになってきた明治以降の「高等遊民」の同類かともちょっと思った。
しかし、高島の場合は、そこからも逸脱するような世捨て人ぶりがアッパレで、むしろ衆生と縁を切り出家するような宗教的隠遁者に近いものを感じる。「芸術家と戦争」は戦中を生きた芸術家には不可避のテーマだけど、高島の場合はその影が感じられないのも不思議なようであり、よくわかるようでもある。
写真の柏で住んでいた家はガスも電気もなく、水だけ井戸を掘ったようだけど、高島の名を知らしめるローソクや月や太陽の絵は、そのような住環境のゆえではないかと妙に納得がいった。
さて、「ローソクの画家」と言われるだけあり、たくさんのローソクと月・太陽の絵にはそれぞれ一部屋ずつが当てられていた。ローソクの絵は知人たちにあげていたようで、ある意味、日常の写経のようなところもあるのではないかという気もしたが、この人の本領はむしろ静物画や風景画かなとも思われた。

とりわけ初期の静物画は果物や陶器などの形がゆがんでいて、物があたかも意志をもっているような強い存在感を発しており、木の枝や花の茎もまるで生き物のように生々しい。
例えばここにあげた鬼気迫る自画像と「けしの花」の二枚の絵は、見る者と見られる物がまるで表裏一体の関係にあるような一対であった。「からすうり」など後期の静物画やとりわけリンゴや桃などの果物の画は、やがては朽ちる物のしかし今の充実した無限の瞬間を穏やかで透徹した視点で捉えていてしばし見入ってしまった。絶筆の睡蓮の絵の色彩感も美しかった。

購入したカタログは未読なので、伝記等を読むと変わる部分もあるだろうが、とりあえず印象が薄れないうちに書いてみた。
【柳原義達展 平塚市美術館 2021.6】
柳原義達の彫刻は、たしか岩手と新潟で数点見たことがあり、気になっていて一度見たいと思っていた作家とようやく対面できた。同じ具象彫刻では、同世代の佐藤忠良や船越保武と比べると私はがぜん柳原にひかれる。
柳原の三大テーマとも言うべき、裸婦、烏、鳩でほとんど埋められていたけれど、生命が動きのなかで保っている「バランス」という存在の在り方の多様を見せてくれていて圧巻であった。
ロダンの上に向かう「らせん」の構造という考え方の影響を受けていているそうだが、確かに「らせん」の動きは無限をめざし、事物を見る者の視点を固定化させず、まだ事物の内部からの外部への視線も固定化させないと言える。
「動き」(movement)とともに「量」(volume)も動くという考え方もポイントで、柳原の裸婦は時に顔が削られたように平たく、目も簡素化されて○だけだったりするのも、顔の優位を解き放ち、身体の「量」の動きを見せる考え方が反映されているように思った。





上に4枚並べた一番右の写真の、片方の胸が崩壊したようであり、背中の中心に大きな陥没があいたように見える裸婦を始め、相当デフォルメを施し、いびつにも見える柳原の裸婦であっても、その身体はその意味で空間の中で孤立しつつも漲る生命の「バランス」を主張しているのであり、ジャコメッティやリシエのような身体が存在することへの実存的不安を伴う彫刻の影響も感じつつも、やはり、ロダンやブールデルの方向に近く、自然の「醜」が「美」へと変わる(ロダン)「芸術」の果たす奥義を追求した作家なのだと感じた。
烏や鳩のキーワードはそれ自体が人間にとっても、そして創造者の「道標」だそうだが、とても飛びそうにない、いや、飛ぶエネルギーを秘めた生命ある存在の充実したバランスを開示しているという意味で、裸婦のテーマと共通する。尻尾が白菜や舞茸のように扇状に開いているものが多く、作り手のイマジネーションを飛ばす「道標」となってくれる異形の鳥たちであった。


【福田平八郎展 大分県立美術館 2022.6.】
九州旅行中にたまたま大分県立美術館で、見ることとなった没後50年の福田平八郎展。大阪中之島美術館からの巡回のようである。
県立美術館、できた頃に一度来たことあるが、立派でオシャレな建物である。

この画家については、実は美術の教科書や画集で代表作の数点を見たことがある程度で、来歴も知らないし、作品をまとまって見るのもこれが初めてである。
なので、福田平八郎はそもそも大分の人だというのも知らなかったが、最も熱心だったコレクターも大分の実業家で平八郎の支援者であった首藤定氏であったということを考えると、この所蔵品の多い大分県立美術館が満を持して開催する展覧会であると言えそうである。
平八郎の絵は一時期行方不明となり、ソ連で大量に発見され、日ソ友好記念かなにかの折に返還されたものだということで、ということは、いまなら、戻ってこないかもしれない。
前後期で展示は変わるが、平八郎の変化をわかりやすく編年史的に見せており、半分でも、見ごたえある内容であった。
中期平八郎が残したたくさんの写生帖を見ていて、その成果として出てきた「氷」、「漣」(後期展示)、「初雪」「竹」などの一連の作品はモネが睡蓮のテーマでスケッチや連作を重ね、抽象的表現に至ったことを連想した。


ただ、モネの場合、光の形と色への影響、構図の奥行きと平面性との関係などが常に思考から切り離せず、また抽象化が筆致や形態の奔放さや塗り重ねにつながるのに対し、平八郎の場合は、あくまで、日本画の描法を守りつつ、平面においての色と形と物の配置においての新しい試みが問題なのではないだろうか。





装飾性が重要となり、モダンなデザインのようにもなるところはマチスなども連想させるが、ときに躍動的で豊穣な原色を好むマチスとこの静謐な絵の佇まいはやはり無縁のものと思われる。



また、色彩的にはむしろこちらの方がマチスに通じるところもある熊谷守一の稚気や単純化は平八郎の後期作品と似るところもあるが、基本に写生があり、新しい試みをしていてもより伝統に寄り添っている平八郎の方は、どこまでも端整で優雅な美のもつ気品を放ち、守一の自由さはないのは、やはり本道にいた人と独歩であった人との違いではなかろうか。
重文の「漣」は後期の展示で、残念ながら見られなかったが、代表作の「竹」「青柿」「雨」「初雪」などの繊細な筆致を近い距離で目にすることができたのは、思いがけない旅のオマケとなった。


【川瀬巴水展 八王子夢美術館 2024.5.】

川瀬巴水の展覧会は4回目。確か、川越、平塚、東京都美(このときは吉田博と2人展)だったが、今回のものは点数がいちばん多く、巴水の業績を時系列的にたどり、作風の変化もわかるように各シリーズを網羅していた。そんなに広い会場ではないけれど、版画のサイズが大きくないせいか、じっくり見ていたら、3時間近くかかった。何回もみているうちに、だんだん巴水の像が見えてきたように感じる。
巴水は浮世絵の伝統を継ぐ下絵/彫リ/摺りの分業制の「新版画」が一時期批判を浴びたとき、広重の模倣のように言われたそうだけれど、むしろ、今回見ていて、江戸と明治の背景の違いのようなものを強く感じるとともに、江戸の浮世絵の風景画とは全く違うものだと思った。
巴水の世界は、近代人のロマン主義的色合いが濃い。孤独、憧憬、清爽、憂愁など、近代に入った個人の繊細な内面の情緒を自然に仮託して描くことは、ヨーロッパで1800年に入り、王制、貴族制が崩壊し、ほどなくロマン主義が起こったこととパラレルの関係があるように思える。
そこから70年〜100年ぐらいの遅れとして、江戸という鎖国下の幕藩体制から近代国家への移行で起きたことは先行するヨーロッパで起きたことと非常に似ている。
産業革命以降のナショナリズムに基づく国家建設的な思想とそれを国家による個人への抑圧と感じ、そこから逃げようとする自然への逃避・・・巴水の作品が、日本の湿潤な風土に合わせ、とりわけ水(川、堀、湖、海など)、雨、雪を好み、月や、闇に灯る光などの暗い風景を好むのは、まさに新しい時代に見出された個人の内面の無意識の深奥と呼応しているかのようである。






巴水は十分西欧的な遠近法、リアリズムの世界の下にあるけれど、一方江戸の浮世絵は構図の平面性やまさに絵画としての瞬間の印象的切り取りに眼目があり、情感を喚起させることより、一枚の絵柄(歌舞伎ならば見得に当たるだろうか)の効果が重要なのだと思われる。いわば、目立つ服を着るような「カッコよさ」、繰り返される「同じ」静的で単調な繰り返しの日常に添える彩り、華、一瞬のドラマとして重要なので、それは「粋」の精神とも言えよう。
巴水の業績を見ると、版元の渡邉庄三郎という、まさに相棒のような人がいて、この人が公私にわたり、二人三脚で支え続けたことが活動に専念できたことの大きな背景になりそうである。

とりわけ、関東大震災で、所蔵していた下絵も家も失ったこと(渡邉自身も版木を消失してしまった)、そして伝統的スタイルを守っている新版画とすべて個人による創作版画についての論争が起こり、新版画の旗色が悪くなったこと・・・この二度の危機で巴水がスランプに陥ったときも渡邉が励まし続けたことが、巴水がなおも創作を続けられた大きな理由であったのだと思われる。
東京都杉並区生まれ。都立富士高校卒。東京大学大学院ドイツ文学科で修士号取得。弘前大学を経て、現在成城大学に勤務。東京大学、東京芸術大学、東京女子大学などで非常勤講師。専門分野はカフカを中心としたドイツ近現代文学、古典派~ロマン派の音楽。論文で扱った作家、哲学者、音楽家は、カフカ、リルケ、ニーチェ、ハイデガー、ハントケ、シューベルト、ベートーヴェンなど。共訳書にヴォルフガング・イーザー『虚構と想像力-文学の人間学』。研究分野に関しても、現在のポップカルチャーを扱うにしても、アカデミックな閉域にもオタク的趣味の閉域にも籠もらぬよう、常に時代と世界に向けて風通しをよくしておきたいと考えている。


