ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第29回 〝ミカドの正体〟

 年老いて見えたのだが、アマンはまだ50代だった。アフマドを亡くしてから7年たつ。暮らしの苦労がしのばれた。

 「では、ミカドと名乗っている若者との関係は?」
 一瞬で、アマンの褐色の目が曇った。少しためらっていた。
 「あれは、わたしの末の息子です……。あなたになら、話してもよいでしょう。父親を殺したロシアに復讐(ふくしゅう)するんだといって、数年前にこの家からでていきました」

 「いま、ミカドはどこに?」
 「それはわかりません。このあたりの渓谷には、ロシアと戦っているチェチェンの戦士がたくさんいるのですよ。おそらくは、その仲間になったのでしょう。あなたがこの家の戸を叩いたとき、わたしはてっきりロシア兵が息子を捜索しているのかと思いましたよ……」
 「では、息子さんとはそれっきり?」
 「いいえ。ときおりふらっと帰ってきては、みんなを驚かせます」

 奥の寝室のドアの隙間(すきま)から、かわいらしい瞳がのぞいている。暖炉の炎を映しているのか、目がきらきら輝いている。アマンは「こっちへきて挨拶なさい」といった。男の子と女の子が、子犬のように飛びだしてきた。
 「こんにちは!」
 「マゴメドとザーレマ。わたしのかわいい孫です。ミカドは、あなたたちの叔父さんになるのね?」
 ふたりの子どもがにっこりうなずいた。
 アマンには、ミカドのほかにふたりの息子がいた。どちらもグロズヌイへ出稼ぎに行っていて、長男の嫁とふたりでこの家を守っているのだった。

 わたしは気になることを尋ねた。
 「息子さんはモスクワから戻って、こちらへきましたか?」
 「え? なんであの子がモスクワなんかへ行くのかしら……」
 アマンは不思議そうだった。ミカドがモスクワの劇場テロ事件に関わっていたことは、まったく知らないらしい。
 「向こうで見かけたと、そんな噂も聞いたものですから」
 「きっとなにかの間違いでしょうね」

 思いだしたように、部屋のキャビネットの奥から写真帳を持ってきた。革の表紙はかなり傷んでいる。ぱらぱらページをめくると、古いモノクロの写真が1枚ずつ、丁寧に貼りつけてあった。
 「これを見て。わたしの夫のアフマドよ」
 はじめて目にするアフマド・ミカドは、彫りの深い顔立ちに何本ものしわを刻んでいた。濃い眉毛が固い意志を表している。祝宴の写真なのだろうか、黒っぽいビロードの上着に金糸(きんし)の縫い取りがしてあった。わたしは、静かにため息をついた。ようやく、祖父が命を救った人の姿を見た……。
 アマンはさらにページをめくって、ぼやけた小さな写真をアルバムからはずして、わたしにそっと手渡した。

 「これは、義父のラムザン・バラエフと、その隣が……」
 「あっ……」
 思わず、目を近づけて食い入った。中央アジア風の服を着て四角い帽子をかぶった人物の隣に立っているのは、若き日の祖父であった。抑留のせいでずいぶんやせ細っているが、面長で鼻筋の通った顔は間違いなく祖父、その人であった。
 祖父はソビエトから支給された白衣を着て、耳当てのついた羊毛の帽子をかぶっている。ラムザンは柔和な笑みを浮かべているが、祖父はきまじめに口もとを結んだままである。カメラを向けられると顔がこわばるのが、祖父の癖であった。

 そのアルバムには、1枚の布きれが挟(はさ)んであった。アマンがそれを取りだして見せてくれた。黄ばんだ紐のような布が小さく折りたたんである。布を広げると、まんなかに色あせた朱色の日の丸が染め抜いてあった。
 「これは、あなたのお祖父さんが日本へ帰るとき、義父に贈ったものと聞いているわ。頭に巻くもので、日本人の魂なんだとか。義父も、夫のアフマドもそれは大切にしていたものなの」
 「ぼくも、この鉢巻きを写真で見たことがあります。祖父が中国へ出征(しゅっせい)するときに、身につけていたものです」
 「そうだったの。これを見たのでしょう、息子のミカドは、金色の丸を描いて同じような布をつくったのよ。これはチェチェン人の魂だ、とね」

 「なぜあなたの息子さんは、ミカドと呼ばれているのですか。ミカドというのは、祖父の姓をとってアフマドにつけられた名前と聞いていますが」
 「ええ。それはね、息子が父親の名を継いだの。あの子は幼いころから日本にあこがれて空手を習っていた。まだソビエトだったころから、このあたりでも日本の武道は人気だったの。強くなりたかったのね。あの子が16歳のときに、アフマドが戦争に巻きこまれて死んでしまった。それから、自分が父親の名を使うのだといって、兄たちにも認めさせた。本当の名前は、シャミールというのよ」

 アマンの話に耳を傾けながら、これまで不可解だった謎がひとつずつ解けてゆく気持ちだった。なにより嬉しかったのは、バラエフ一家がいまもこうして祖父との思い出を大切にしていることだった。
 その夜は疲れはてて、アマンの家に泊めてもらった。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。著作権はすべて筆者に帰属します。© 2017 Izuru Yokomura