「絵を読む」という言葉は、早稲田大学で芸術論を講じていた坂崎乙郎先生(1928-85)から教わった。36年もむかしのことながら、先生の熱のこもった講義が耳に残っている。権威主義に背を向ける気鋭の美術史家だったから、早稲田でも大御所ぞろいの文学部ではなく政経学部の教授であった。
 絵を読むといっても、色彩学や構成法、あるいはシンボルを読み解く図像学(イコノグラフィー)というような知識ではなかった。絵画の根底をなすであろう〝思索〟のことだった。
 10月から箱根のポーラ美術館ではじまった展覧会を見て、時代と孤独に向き合ったシュルレアリスムやフォーヴィスムの作品の前で自然に足がとまった。何点かあるシャガールのうちで『ヴィテブスクの冬の夜』が、思索のスイッチを入れてくれた。

 闇に沈む冬景色の寒村の絵である。わたし自身、ロシアで5度の冬を越した経験があるので、音の消えた、乾いた雪の夜の匂いまでするようだ。ヴィテブスクは、シャガールの生れ故郷の村。当時ロシア帝国の一部で、いまはベラルーシ共和国の北部にある。〝ユダヤ系住民〟の多い土地だった。
 この地方を訪ねて驚くのは、埋もれた戦跡である。ナチスドイツによる侵略で多くの村落が破壊され、反撃にでたソ連の攻撃で人の営みはほぼ消滅した。なかでも多くのユダヤ系住民が犠牲になっている。それはなにもナチスの〝ホロコースト〟にはじまったことではない。帝政ロシア期から〝パグロム(погром) 〟と呼ばれる迫害が加えられていた。

 シャガールは帝政期のサンクトペテルブルクの美術学校の権威主義に辟易してパリへ逃れた。だが故郷に残した恋人のベラが忘れられず、結婚するために帰郷する。それもつかのま、革命政権によって〝反革命的〟というレッテルを貼られてしまう。
 再びソビエトを脱してパリへ、さらにナチスから逃れてアメリカへ亡命する。ようやくたどりついた先のニューヨーク州の片田舎で最愛のベラを亡くす。そこで「ロシアの故郷で親しんでいた白銀の世界に邂逅して…」(ポーラ美術館名作選カタログ)一連の傑作をつぎつぎに完成させていったという。

 絵筆は時空を超え故郷の村を描いていても、そこですら画家の精神が安住できる地ではない。暗い雪夜に浮遊する花嫁ベラと花婿のふたりは、あきらかに死を予感させる。赤いロバは精神世界への導き手であり、愛情の表徴かもしれない。無造作に黄色を置いた一点は、残月か。〝居場所はここにない〟と告げている。
 坂崎先生もまた孤高の人だった。現実の此岸に自らの精神世界をつくろうとしていた。権威に鋭く切りこむ批判精神の半面で、あの時代に無名の日本の作家を世に出そうとしていた。
 先生の語った言葉をもう一度、著書のなかに探してみた。

 「絵というものは、知識ではない。絵を読む、理解するという根本に一番大切なものは、ゴッホが持っていたような『愛情』である。母なるもの、愛情がなければなにもわからない」(注)

シャガール「ヴィテブスクの夜」より
100点の名画でめぐる100年の旅 2017.10.1から2018.3.11まで 箱根仙石原のポーラ美術館で
ポーラ美術館開館15周年記念展

坂崎乙郎 ドイツ表現主義やウィーン幻想派を日本に紹介し、エゴン・シーレやエミール・ノルデら多くの作家論を手がけた。国内の画壇では異色だった鴨居玲、池田淑人、田中一村といった画家たちと深く関わった。多数の評論や絵画論を残している。
注・坂崎乙郎著『絵とは何か』河出書房新社

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura