〝国難〟の意味するものとは

 かつて、わたしがモスクワで新聞社の特派員をしていたときに、プーチン大統領の1期目の政策顧問だったS・マルコフ氏から、こう聞かされたことがある。

 「われわれは日本の政治をよく研究しています。どうやってあれほどの〝一党独裁〟をつづけていられるのか、プーチン大統領が関心をもっているのです」

 なるほど、と思ったものだ。ソ連共産党(1955〜1990)の一党独裁がつづいたのは憲法上35年間であり、戦前のボリシェヴィキから数えると65年ほど。かたや自民党は1955年の保守合同から2017年まで足かけ60年近く政権にある。
 紆余曲折はあったものの、日本の政治が暗転したと確信したのは、民主党政権の末期を含む2012年以降のことだ。ロシアに重なる既視感を覚えたのだ。もしや、だれかが〝プーチンの政治〟を研究しているのではなかろうか、と……。

 さて、ティモシー・スナイダー氏の『暴政』である。
 視点を外の世界に広げ、歴史的に考えよう——というのが、本書の柱だ。スナイダー氏はイェール大学の教授であり、東欧からロシアにかけてのエキスパートでもある。昨年11月にトランプ氏が衝撃的な当選を果たした直後、自らのフェイスブックに投稿したメッセージをもとに出版された。
 〝暴政(Tyranny)〟の予兆や、社会変化について具体的に警告している。「われわれの側か、それとも敵か」というポピュリズムが演出する単純な2元化に対し、平面を世界に広げ、時間軸を歴史に求める〝3次元のリアルな思考〟を主張している。

 その裏付けは、前作『ブラックアース』や『ブラッドランド』(注)に示されたような、歴史の本質を見抜く鑑識眼である。
 これらの著作はいずれも、ナチズム、スターリニズム、ホロコーストを考えるうえで新たな視点を提示した。全体主義、共産主義、ポピュリズムを結ぶひとつの線は、〝そのどれもが国民の選択をわざとせばめようとする〟ことにある。

 スナイダー氏は、ロシアのプーチン政治のからくりについても、じつに端的に指摘している。
 プーチン氏は、ナチスによる国会議事堂放火事件に似たできごと(1999年のモスクワ連続爆破事件)で権力を握った。「本物のテロ、疑わしいテロ、でっちあげのテロを悪用した」と書く。危機感を煽り、テレビ局をつぶし、地方首長の公選を廃止し、テロ共謀罪を強化したが、これらが〝テロとの相乗り〟だったと気づくロシア人はまれである。

 現在進行形の〝暴政〟の教訓は、「一瞬の衝撃が永遠の服従をもたらしうる」ということである。「暴政というのは〝なんらかの好ましい非常時に〟姿を現すものだ」と指摘している。

 日本では今週、衆議院が解散された。一見、混沌とした図式のようでいて、実はきわめて単純だ。安倍晋三氏がまっさきに街頭で訴えたのは「国難」だった。〝国難〟とは、つまり北朝鮮危機である。正しくいえば、北朝鮮の挑発行為に日本が巻きこまれつつあることだ。高齢化はむろん国難ではなく、少子化は失政無策の結果である。
 本当のところ、解散でなにが変わり、実現するのだろう?
 作家で歴史家の半藤一利氏は、昭和史に言及しつつ鋭いアナロジー(類比)を直言している。

 「国難といって現在、最大の問題は北朝鮮情勢でしょうが、これはご自分がつくっていませんか、自作自演の危機ではないか、と申し上げたい」(9月29日付朝日新聞)

 ざっくりいえば、〝国難〟に便乗しようという大政党・新政党の〝ポピュリズム〟が肥大化している。ロシアがそうであったように、これでリベラルの灯は消えた。小選挙区での選択肢は、おおむねどこも〝ポピュリスト〟か、イデオロギー政党かという2つであろう。しかも〝ポピュリズム〟の趨(すう)勢は、北朝鮮のさらなる挑発が握っている。

 これは、かつて類例のない選挙ではなかろうか。ブレグジットを問う英国民投票でも〝NO〟の選択はあったし、米大統領選ですら〝ヒラリー〟には投票できたのだ。だがスナイダー氏は、たとえ救いようのない状況にあってもいかに振る舞えばよいのか、本書で処方箋を示そうとしている。

 「政治においては、騙(だま)された、というのは言い訳にはならない」からだ。

「暴政」
ティモシー・スナイダー著、池田年穂訳『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』慶應義塾大学出版会(2017年7月刊行)1200円

(注)T・スナイダー著『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』慶應義塾大学出版会 2016.7刊
  同著『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』筑摩書房 2015.10刊

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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