ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第18回 〝残忍な好奇心〟

 地下鉄の始発に乗ってホテルへ帰って、シャワーを浴びて仮眠をとった。昼前には飛び起きて、ふたたび現場へ行った。
 事件が起きてから、すでに18時間が経過していた。今朝は、駅のキオスクで売られているすべての新聞を買った。なかでもマリアの新聞はほとんど売り切れそうだった。

 新聞の束をコートの脇に抱えて、劇場の前の広場までやってきた。昨夜に増して、事件を知って集まった人であふれている。その群衆を現場に近づけないように、最前列の報道陣のうしろに2重のテープが張られた。
 コンクリートの壁には、人質の家族が持ってきたのであろう、たくさんの写真が貼りだされ、無事を祈るメッセージが寄せ書きしてある。老女がひとり、警備の警察官につめ寄って、「あの劇場のなかに入れてほしい」と懇願(こんがん)していた。「わたしが孫の身代わりになるから」と泣いてすがりつくのだが、どうしようもなかった。

 深々と雪がふり、無機的なソビエト建築の劇場をやわらかな乳白色に覆っていった。まるでそのなかでは、平和なミュージカルがつづいているかに錯覚(さっかく)させるほど、雪があたりの喧噪(けんそう)を消し去った。
 わたしは人混みを離れ、ベンチに腰おろして新聞の束を解いた。まっさきにマリアの記事を開いてむさぼり読んだ。一面トップに見出しが躍(おど)っていた。

 〝ロシア軍の完全撤退を要求〟

 それが、劇場を占拠している犯行グループの目的だった。むろんのこと、マリアの記事はどの新聞より群を抜いて詳報(しょうほう)していた。
 リーダーの男は、「大統領がチェチェンから軍を撤退させると約束すれば、ただちに人質は解放する」と、マリアに語っていた。
 劇場内の様子も明らかになった。
 テロ犯には複数の女性がいることはわかっていたが、それが自爆ベルトを腰に巻いて客席の後列に座っていた。人質が逃げるか、あるいは外から兵士が強襲(きょうしゅう)するなら、もろともに爆破するためだった。これが報道されてから、劇場を威嚇(いかく)するように包囲していた装甲車がすべて姿を消していた。

 ほかの新聞報道とは一線を画して、マリアらしい精彩(せいさい)を放っていたのは、もう一本の解説記事のほうであった。
 マリアは、チェチェン戦争の歴史を正しく説き明かし、この無謀(むぼう)な戦いの本質は、独立問題などではなく、資源と利権をめぐる双方の駆け引きにすぎないと断じていた。

 〝ロシア大統領は、自らの政治基盤を安定させるためにこの戦争を利用し、ロシアとチェチェンの双方にとって甚大(じんだい)な惨禍(さんか)を招いている。テロの原因は戦争であり、戦争がもたらす貧困と社会崩壊にある……〟

 この記事を読んでみて、編集長が青ざめていたわけが、ようやくのみこめた。
 報道関係者のすべてが、マリアの記事に注目していた。世界の耳目(じもく)を集めたといってもよい。だが、ほかのロシアの新聞やテレビは権力に従順であったから、テロの恐怖を煽(あお)るほどにこの戦争が正当化されたのだ。
 マリアだけでなく、新聞社の同僚すべてに冷ややかな視線が浴びせられていた。異質な主張への臆病さは、スキンヘッズの「ユダヤ人はロシアからでてゆけ」という叫びと、なんら変わるところがなかった。
 どこの国でも、社会が暴力的な恐怖にさらされるときに見せる、特有の化学反応が起きていた。良識が麻痺(まひ)し、防御本能によって人間の心の闇に住むモンスターが暴走しはじめるのだ。

 その日は、マリアが交渉のために劇場に入ってから、4、5時間はすぎていた。
 マリアは、テロの目的と要求についてきちんと報道していたが、一方で、独立を掲げてテロを起こしたことは厳しく批判した。この記事を目にした犯行グループが、どのようなしうちをするかわからなかった。
 その記事が注目を浴びると、ほかの交渉人の政治家や弁護士がつぎつぎに現場にやってきた。だが、むしろ殺到するテレビカメラの前でとうとうと語る時間のほうがよほど長かった。劇場でいまなにが進行しているのか、報道はしだいに残忍な好奇心を露わにしていった。

 それから事件が終わるまで、マリアが新聞社に戻ることはなかった。いまやマリアその人が取材対象だった。最も守られるべき国家機密になってしまったのだった。
 「テロの危険から守る」という理由をつけて、政府はマリアをどこかに匿(かくま)った。ジャーナリストにとっては、いわば監禁である。
 ほかの交渉人は、それからもインタビューに頻繁(ひんぱん)に応じて、人質解放への期待をにじませていた。この交渉は長丁場(ながちょうば)になると、だれもが思いはじめていた。(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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