いまこそ、時局に迎合しなかった人に光をあてる

 度肝を抜くタイトルである。さらに、本書には「反軍を唱えて消えた結核医・末永敏事」という副題がある。末永敏事氏(1887〜1945年)は戦前戦中の医師であり、内村鑑三の弟子であり、なによりも、迎合しない不屈の日本人であった。
 この労作は、2016年6月〜10月まで、長崎新聞紙上で長期連載された記事をもとにまとめられた。こうした出版の機会でもないかぎり、ほかの地方に住む身では知りえない貴重な史実や驚くべきエピソードが満載されている。

 戦時中に徴兵を拒否した稀な日本人のエピソードとして、矢部喜好氏(注1)、北御門二郎氏(注2)のふたりがまず思い浮かんだ。しかし、医師として戦争協力を拒んだ末永敏事という人物は知らなかった。戦後70余年の時間に埋もれていた史実に新たな光をあてている。

 島原半島の北有馬村今福(いまぶく)=現南島原市=に生まれた末永氏は、長崎医専を卒業してから、米国で結核医療に携わった。研究成果をつぎつぎ発表し、当時の日本では最先端の知見を持つ医師だったという。その人生を一転させたのが、日中開戦を端緒とする戦争であった。
 帰国後に茨城県で勤務医をしていた末永氏が、1938年(昭和13年)、知事宛に送付した申告の文言が、冒頭に掲げた書名である。本文中から引用する。

 「平素所信の自身の立場を明白に致すべきを感じ茲(ここ)に拙者(せっしゃ)が反戦主義者なる事及(および)軍務を拒絶する旨通告申し上げます」

 当時51歳。同年施行された国家総動員法によって実施された医療従事者の調査への回答だった。家族に禍(わざわ)いが及ぶのをおそれ、妻を離縁してまでの決意の行動である。氏は特高警察に逮捕、投獄される。やがて、1945年8月25日に死去した。それが獄死だったのか、あるいは移送先の病院で没したのか、定かな記録はないという。

 著者の森永玲氏は、末永氏の行動に至る背景を、多くの記録と関係者への膨大なインタビューで丹念に解き明かしてゆく。
 そこからは、日露戦争から一貫して〝非戦論〟を唱えた内村鑑三の影響だけでなく、医師である父の「邪心なく生きよ」という薫陶や、時代の真相を見抜く鑑識眼がうかがえる。同時代に生きながら転向した多くの宗教者やジャーナリズムとの対比から、末永氏の反骨の人生を浮かびあがらせた。

 とりわけ、著者が記事の切り口に苦心したことを明かしている。市井の医師の思想弾圧を描くつもりが、傑出した強烈な個性に気づく。信仰上の弾圧に限定するには狭い。結果として、総動員体制下での治安維持法の時代をくっきりと描きあげることに成功している。
 現代の治安維持法とも呼ばれる〝改正組織犯罪処罰法〟(2017年6月成立)が出現したことへの考察に及び、現在の社会に潜む危うさに警鐘を鳴らしている。平和な時代に信念を唱えるのは易しいが、東アジアに戦争の足音が聞こえてくるいま、信念を貫く覚悟を教えてくれる一冊である。

反戦主義者なる事通告申上げます
森永玲著『反戦主義者なる事通告申上げます』花伝社(2017年7月発行)1500円

(1)鈴木範久著『最初の良心的兵役拒否 矢部喜好(きよし)平和文集』教文館
(2)ぶな葉一著『北御門(きたみかど)二郎 魂の自由を求めて』銀の鈴社

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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横村出(amazon.com著者ページ)
江末壬(amazon.com著者ページ)

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