ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第14回 〝ジャーナリズムの勇気〟

 例のスキンヘッズのたまり場は、いつにも増して人だかりができていた。群衆のまんなかで煙が立ち昇っている。どうやら大量の新聞の束に火をつけたようだ。それも、マリアの新聞であった。新聞社のビルに向かってフーリガンたちが「ユダヤ人はロシアからでて行け!」と、口汚くののしっていた。
 わたしは不良どもをかき分けて、新聞社の2階へつづく階段を駆けあがった。屋内まで愚か者の叫びは聞こえたが、マリアはなんでもないようにパソコンに向かっていた。

 「あら、またきたわね」
 キーボードにさわっていた指をとめた。
 「あなたの記事を読みました。すぐにでも感想を伝えたくて……」
 「それで?」
 「とても勇気があると思いました」
 マリアは窓辺に立つと、まばゆい夕日に手をかざして、スキンヘッズの群れを見おろした。トーポリの枝から鵲(かささぎ)がいっせいに羽ばたいて、夕空に翼を連ねたアーチを描いて飛び去った。
 「あの人たちだって、自分こそ勇気があると信じているわ。異質なものさえ排除すれば理想が実現するって……。わたしは、あんな人たちや、大統領とだって論争するつもりはない。そのうしろにいて姿の見えない無関心な市民にこそ、真実を知ってもらいたいの」
 マリアは真顔だった。
 「ねえあなた、ブロツキーという詩人のことは知っているわね。彼がこんなことをいっているの。書き手にとって本当の危機は、国家から迫害されるより、国家に魅了(みりょう)されることだって。ジャーナリズムの勇気って、なにものにも魅了されない信念のことよ」

 そういうと、マリアは大部屋にいるカメラマンのセリョージャを呼んだ。セリョージャは満面の笑みをつくって、わたしの肩を抱きしめがっちり握手した。マリアの淹(い)れてくれた紅茶のカップをそれぞれ手に持って、なにげない立ち話がはじまった。
 「わたしとセリョージャは、1994年からなんども一緒にチェチェンに入った。この人は、グロズヌイの街中の裏道をすべて知ってるわ。ねえ、わたしたち、どれだけ空爆の雨のなかを逃げまわったかしら……」
 セリョージャは軽く肩をすくめた。
 マリアがわたしに尋ねた。
 「ところであなた、モスクワではなにをしたいの? たしか、チェチェン人の知り合いの消息を知りたいとか。オーヤサンからそんなメールが届いていたわねえ」
 わたしは「またか……」と思った。なにしろ、カザフスタンのノルベックにしても、目の前にいるマリアだって、わたしのことは詳しく知らされていないようだ。これほど親身になってくれるのは、先生がよほど信頼されているからなのだろう。
 「いいえ、知り合いではないのです。ぼくの祖父が命を救ったチェチェンの少年の消息を探していましたが、どうやら戦争で亡くなってしまったとわかりました」
 「それは……お気の毒に。あなたのお祖父さんって、なにをしていた人なの? 半世紀もむかしに、どうして日本人がチェチェン人と関わりを持ったのかしら?」
 マリアもセリョージャも興味をかき立てられたようだった。

 わたしは第2次世界大戦のあとで、日本人がロシアや中央アジアに抑留された歴史や、軍医であった祖父がチェチェン人の家族と親しくなったわけを話した。
 セリョージャがため息をついた。
 「そんなことがあったのか。おれたちロシア人のほとんどは、ドイツの捕虜のことは知っていても、日本人が抑留されたなんて知らされていない。あの時代には、ロシア人だって粛清(しゅくせい)されれば密かにシベリア送りになっていたからね……。それで、その命を救われたチェチェン人だが、名前はなんていう?」
 「アフマド・ミカド・バラエフ」
 「ずいぶん、おかしな名前だなあ」
 マリアも、「ミカド……」と口のなかでなんどかつぶやいているようだった。

 わたしはそれからしばらくの間、マリアの勧めがあってモスクワの公文書館へ通うことになった。そこには、スターリン時代からのチェチェンの歴史を知る資料や図書がたくさん置いてあったのだ。
 なにより役だったのは、マリア自身が執筆したチェチェン戦争の本である。マリアの本はロシアではすべて発禁にされ、図書館では読むことができない。英語に翻訳されロンドンで出版された本をマリアから借りたのだ。おおっぴらには持ち歩けないから、ホテルでぶ厚い本に読みふけった。

◇◇

 モスクワの夏は一足飛びにすぎ去って、8月末にはもう秋の気配が濃くなっていた。
 9月には雪がちらつくから、それまでに日本へ帰ろうかとも思った。手持ちのお金にはまだ若干の余裕があった。というのも、大学生の間も狂言師として公演する機会がたびたびあって、母がわたしのためにその報酬を積み立てておいてくれたからだ。
 だが、あの自爆テロの一件から、わたしは肉体よりもはるかに精神的に疲れていた。
 ミカドはこの世にいないのだし、チェチェンを知ることにも見切りをつけたほうがよいのではないか、と。いまにしてみると、このときすぐに帰国していたら、とりわけ芸能者として、わたしの人生はずいぶん平坦なものになったろう。
(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。著作権はすべて筆者に帰属します。© 2017 Izuru Yokomura