ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第13回 〝殉教者になった娘〟

 そのアパートはあらゆる非ロシア系でごったがえしていた。チェチェンやグルジアはもちろんだが、イラン、アフガニスタン、ベトナム、中国人もいる。みなチェルキーゾフ市場の労働者やその家族たちだった。
 おそらく密輸品なのだろう、ほこりまみれの木箱がトラックの幌(ほろ)のなかからアパートへ運びこまれていた。荷物のまわりにできた人だかりに紛れてアパートにもぐりこんだ。
 わたしは、うしろを振り返って見た。カザフスタンの街で茶色い革ジャンパーの男に追われたときと同じような、ざらりとした感触をなぜか背筋に感じていたからだ。
 マリアとセリョージャも、違和感を覚えていたようだった。
 「だれかに監視されているようだわ。わたしたちなのか、それともザィーエバが狙いなのかはわからないけれど。急ぎましょう」

 サレマ・ザィーエバというのは、つい昨日のテロ事件で自爆した女性の母親である。部屋の呼び鈴を押しつづけていると、扉が半開きになって老いた男の顔がのぞいた。
 マリアはチェチェン語を使って話した。はじめ老人はずいぶん感情的だったが、やがて右手を頭にあてて黙りこんだ。老人の肩ごしにスカーフをした女性の顔が見えた。
 「どうぞなかへ入って」
 と、手招きした。
 その人が、探していたサレマであった。まだ40前であろう。スカーフからのぞいた黒髪には張りがあって艶(つや)やかだったが、目もとの肌がくすんでいる。グレーの瞳が怯(おび)えるように細かく揺れていた。
 老人はサレマの伯父だという。狭い部屋のなかには、ほかに3人の幼い子どもが身を寄せて隠れるようにしていた。
 サレマもチェチェン語で話したから、そのときのやりとりはわからない。しばらくするとサレマの体の震えは収まって、落ち着いてきた。

 マリアがあとで解説してくれたのだが、サレマは戦争で夫を亡くした寡婦(かふ)だった。夫は独立派の義勇兵で、ロシアの攻撃を受けて戦死した。空爆が激しさを増すチェチェンのグロズヌイを逃れ、伯父のいるモスクワへ身を寄せた。だが、長女だけは、半年前に結婚したばかりでお腹に赤ん坊がいたから、グロズヌイの嫁ぎさきに残っていたのだ。
 それが、つい2ヶ月前のことだが、長女の婿がロシア軍との戦闘に巻きこまれて殺されたという。たまたま市街戦に遭遇し、ロシア兵に連行された。3日たって、学校のグラウンドに夫が死骸(しがい)になって捨てられているのが見つかった。足裏や脛(すね)が切り刻まれ、残忍な拷問(ごうもん)の跡がはっきり残っていた。
 それからまもなくして、サレマの長女が嫁ぎさきから失踪(しっそう)した。サレマが心配していく度も電話をしたが、行方はわからないままであった。なんでも戦争寡婦を支援する組織があって、そこへ行くから心配しないでほしいという書き置きが残されていた。

 そして、昨夜のことである。このアパートに無表情なロシア人がやってきて、ぼろぼろのパスポートをビニール袋からとりだして見せた。
 「これは、おまえの娘のものだな?」
 と、身元の確認を求められた。おそらくFSB(フェーエスベー)の対テロ捜査官だ。
 「このパスポートを身につけた女が、きょうモスクワで自爆テロを起こした」
 そう告げられたのだった。
 サレマは思わず、とりすがって聞いた。
 「娘は……。お腹の子は?」
 「ニェズナーユ(知ったことか)」
 男は冷酷(れいこく)な口ぶりだった。
 「ぼろぼろにちぎれて、いまごろ犬が食っているだろう。またくるから」
 そういい残して帰ったという。

 チェチェンではいまや、サレマの長女のような寡婦は珍しくないことがわかった。夫や息子を失った女性たちが、つぎつぎにシャヒード(殉教者)を志願しているという。マリアですら、このときまでは、女性が自爆するなどということをにわかに信じなかったのである。
 「娘はまだ新婚だった……。一番楽しいときだったのに。赤ちゃんの服を編んでいるという手紙が最後になってしまった……」
 サレマは、また泣き崩れた。その日の取材の帰り道は、3人とも重苦しく言葉をかわすこともなかった。
 チェルキーゾフ駅のホームでは、柱の陰からわたしたちの様子を伺(うかが)っている人影に気づいたのだが、もう尾行されようがどうでもよいという気分になっていた。
 「この国は、どうなっているんだ……」
 わたしにとって、その日のできごとは、それから全面的な絶望感にうちのめされるまでの、ほんの序章にすぎなかった。

◇◇

 翌朝、ホテルの売店のテーブルに並べられた新聞各紙には、テロ事件を報じる大見出しが踊っていた。
 〝黒い寡婦が自爆!〟
 〝チェチェンのカミカゼ攻撃〟
 〝未亡人が人間爆弾に〟
 たいがいこういったふうで、市民の恐怖を煽(あお)る報道にあふれていた。わたしはマリアの新聞を見つけて、何紙か一緒にまとめて買ってむさぼり読んだ。
 ただひとつ、マリアの記事だけが、
 〝なぜ? 女たちを窮地(きゅうち)に追いこむ戦争〟
 という見出しで、テロに身を投ぜざるを得ない娘の不幸の背景を書いた。
 ほかの新聞では権力に迎合してチェチェン戦争を正当化する論調ばかりだったが、マリアだけはロシア政府の失策を厳しく指弾(しだん)していた。
 午後までたっぷりかけて、わたしはおもだった新聞を読み終わった。マリアの記事を読んで、その勇気ある報道に感動したことをどうしても直接伝えたくて、ホテルをでた。
(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。著作権はすべて筆者に帰属します。© 2017 Izuru Yokomura