ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第9回 〝ミカドの消息〟

 それからすぐに、ラムザン・バラエフと名乗る家を1軒ずつ訪ね歩いた。なかには郊外の山すそに暮らす家もあったから、思いのほか時間がかかった。最後の3軒目で、尋ね人の消息(しょうそく)をつかむことができた。

 その家は、乗り合いバスに揺られて1時間はかかる村落にあった。
 村には珍しく丈夫な煉瓦(れんが)づくりの大きな家だった。家の扉は開け放たれている。山羊がのんびりと草をはみ、放し飼いの鶏が虫をついばんでいた。しばらくして、家の人が農作業から戻ってくる様子だった。たくましい体の男性が鋤(すき)をかつぎ、野菜を入れた籠(かご)を抱えた女性がつづいてきた。わたしに気づくと、立ちどまっていぶかしげな目で眺(なが)めた。

 夫婦に尋ねると、祖父と親交があったラムザンの消息はすぐに知れた。ラムザンは、40年も前に世を去っていたのだった。祖父が帰国したのは1954年だから、それから10年もたたないうちに亡くなったことになる。
 だが、確かにラムザンには、アフマド・ミカドという名のひとり息子がいた。この家のたくましい農夫は、アフマド・ミカドの甥っ子であった。伯父にあたるアフマド・ミカドは父を亡くしてまもなく、先祖の地であるチェチェンへ帰還したという。
 ソビエトのフルシチョフ時代のことだ。カザフスタンへ追放されていたチェチェン人の名誉回復がようやくはたされ、多くの人が故郷へ戻っていった。このカザフスタンには、ラムザンの妻ベーラと娘夫婦だけが残って、それからずっとこの家と畑を守ってきたのだった。

 そのベーラもすでに亡くなったから、この甥夫婦には、伯父であるミカドを知る手がかりはほとんど残されていなかった。
 チェチェンからの風の便りに、
 「アフマド・ミカドは、1994年ごろ、チェチェンの独立戦争に巻きこまれ、ロシア軍の空爆で死んだらしい」
 と伝え聞いている、といった。
 わたしはがっくりして、その場にしゃがみこんでしまった。ラムザンは祖父と同世代だったから、あるいは亡くなったかもしれないと想像していた。だが、息子のアフマド・ミカドまでが世を去っていたとは……
 1994年ごろといえば、ミカドはまだ52歳の若さだったはずだ。祖父がソビエト軍のペニシリンを持ちだしてまで救った命が、戦争であっけなく奪われてしまっていた。

 あまりの落胆ぶりを察した農夫が、わたしの肩をたたいて「とにかく、家に入ってくれないか」といった。
 堅牢(けんろう)な家のまんなかに、青いタイルを敷きつめた広い庭が見えた。その奥は赤い絨毯(じゅうたん)を広げた小部屋につづいている。まさしく祖父の記憶どおりの光景であった。
 「この家は、祖父のラムザンが建てたころから、なにひとつ変わっていない」
 その農夫が教えてくれた。
 わたしたちは、赤絨毯の部屋で向かいあって座った。この場所で、いまから50年も前に、わたしの祖父があなたがたの伯父さんの命を救ったのだと話した。
 農夫はじっと耳を傾けていた。急に、なにかを思いだしたようにいった。
 「祖母のベーラから聞いたのですが、ミカドという風変わりな名前は、日本人からもらったと…… まさかそれが、あなたの先祖のファミリア(姓)だったとは、ほんとうに驚きました」
 人の良さそうな夫婦は、「わざわざこんなに遠くまできてもらったのに……」と、気の毒そうな顔をしていた。
 こうして、わたしの旅は、早くも潰(つい)えたかに思えたものだった。

◇◇

 それからまた乗り合いバスに揺られて、山道を引き返した。街のバスターミナルにおり立ってからも、ただ呆然(ぼうぜん)としていた。
 ルィノックと呼ばれる大きな市場の前を通りかかったときだ。
 いきなり、なにかが爆発する音が響いた。爆風でズボンの裾(すそ)が風船のようにふくらんで、耳を塞(ふさ)がれたように聴覚を失った。
 大混乱する市場の様子は、まるで名画座で観(み)たサイレント映画だった。
 目を凝(こ)らしていると、大きな鉄の箱が破裂してぐにゃりと曲がっている。市場から大量のゴミを収集して清掃車の荷台にそのまま載せるコンテナだ。
 そこに爆発物が仕掛けられたようだった。コンテナの近くには豚肉を扱うロシア商人の一角があって、露店ごとふき飛ばされている。額から血を流してハンカチで押さえる人が見えた。あたり一帯には汚物がまき散らされて、生ゴミの強烈な腐臭が漂っていた。
 15分ほどしてようやく喧噪(けんそう)が聞こえてきた。聴力が戻っていた。
 とにかく混乱する現場を離れようと、やみくもに歩いた。ホテルまでは遠くないはずなのに、30分も歩きまわってようやく道に迷ったと気づいた。
 はっとして立ちどまった。
(つづく)

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。著作権はすべて筆者に帰属します。© 2017 Izuru Yokomura