ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第8回 〝3人のラムザン〟

 ノルベックは、ぶ厚い資料の写しをどっさり持ってきた。公文書館の閉架庫(へいかこ)から探しだしたといって、ふっと息をついた。1930年代にチェチェンから移住した人の記録で、KGB(カーゲーベー)の黒い判が押された機密書類である。
 「そのなかに君の探し人がいるか、丹念に調べてみてくれ。お祖父さんを疑うわけじゃないが、記憶違いもある。もしもそこにミカドという名前があったなら、この紙に書いてある事務所を訪ねてみろ」
 わたしの手にメモ用紙の切れ端を握らせると、ノルベックは古びた小型車に乗り、黒煙をまき散らしながら走り去っていった。

 その書類は、すべて手書きの筆記体で記載されていたし、紙が変色したせいかコピーが煤(すす)けて判読には苦労させられた。
 だが、ミカドを知る最初の手がかりを与えられたのだ。わたしは紙に目を凝(こ)らし、ミカドと綴(つづ)ってある文字を探した。100ページも調べたところで、ようやく見つけた。

1933年 ラムザン・バラエフ、チェチェンのベデノ村より移民
1936年 ベーラと婚姻(こんいん)
1942年 長子アフマド誕生
1954年 長子、アフマド・ミカドと改名

 祖父の記憶も手記も正確だったのだ。
 ミカドが1942年生まれなら、ちょうど60歳になっているはずだった。この街のどこかにいまも、祖父からもらった姓を名乗る人がいると思うと胸踊るようだった。

 翌日は朝から落ち着かなかった。書類を調べていてほとんど眠っていないこともあったが、それよりも興奮で目が冴(さ)えていた。
 ノルベックから渡された紙切れには、〝ムスリム支援団協会〟という名称と住所が走り書きしてあった。ここに問いあわせれば、バラエフ一家がどこでどう暮らしているのかわかるはずだ、といっていた。
 朝の7時にはホテルをでて、市場の屋台で白い湯気のもうもうとあがるロシア餃子をスープごとかきこんだ。時間をしばらく潰(つぶ)すつもりだったが、わたしは待ちきれなくなっていた。それで、住所が書かれた紙を握りしめて、協会のある場所へ行ってみた。
 そこには、窓に鉄格子が嵌(は)められた陰気な灰色のビルが建っていた。呼び鈴を押してもまだだれもいない様子だった。
 鋼鉄のぶ厚そうなドアに、〝ムスリム支援団〟と刻んだ真ちゅうのプレートがうちつけてある。ところがその脇には、赤色のスプレーペンキで汚い文字がなぐり書きされていた。

 「ハラール! おまえたちに血抜きを!」

 イスラムの知識がなければ、この言葉の真意はわからなかった。だが、モスクの長老が、わたしにはじめに教えてくれたのがムスリムの暮らし方だった。さまざまな禁忌食(きんきしょく)のなかに豚の肉や血液があった。牛や羊の肉食が許されるためには完全に血抜きをしなければならないと……
 厳格なムスリムへの復古運動が各地で起きていて、このカザフスタンも例外ではなかった。ハラールとは掟(おきて)にしたがって厳密に処理される食材のことだ。ホテルの近くの市場でも、ハラールの看板を掲げた店をいくつか見かけていた。
 これは単なる侮辱(ぶじょく)ではなく、ムスリムへの不気味な脅迫であった。わたしは、ドアのステップの石段に腰かけて待っていた。通行人は、まるでわたしがその落書きをしたかのようにじろじろと見てゆく。みんなが肩をふっとあげて、首をすくめるようなしぐさをするのだった。

 狭い路地にも朝の光が届くころ、ようやくひとりの女性がきた。スカーフをすっぽりと巻いて、丈の長いスカート姿である。
 ハンドバッグから鍵束をじゃらじゃら鳴らしてとりだすと、ふたつある鍵穴に順番にさしこんだ。ようやく、石段に立っているわたしに気がついた様子であった。
 「まったく、ひどいわね。こんな落書きをされるのはもうなんど目かしら。まさか、あなたが犯人とは思ってないわ。たいていスキンヘッズの小僧っ子のしわざね」
 大きな音がしてドアが開いた。この女性は、「まあお茶でもおあがりなさいな」と、見ず知らずのわたしに声をかけてくれた。
 小さなキッチンで紅茶の用意をして、花柄のカップをトレイに載せて運んできた。そして、自分は事務机に向かって座り、わたしにはその横にある椅子を勧めた。

 「ところで、あなたは観光客? それともなにかご用でもあるのかしら」
 紅茶を少し飲んでから、尋ねた。
 「はい。ある人を探しています」
 わたしは単刀直入にいって、昨晩、書類の山から見つけたコピーの1枚を机に広げた。女性は読書眼鏡をかけて、どれどれというようなしぐさで見入った。
 しばらく考える様子で、「バラエフ、バラエフ、バラエフ……」と3度、アブラカダブラの呪文(じゅもん)のようにつぶやいた。
 「ラムザンという名はチェチェン人には珍しくないけれど…… ミカドというのは、まったく聞いたことのない名前だわねえ」
 女性は、あとから出勤してきた若い娘を事務室に呼んで、パソコンに登録されている信者の名簿を検索してみるように指示した。
 結果はすぐにわかった。ラムザン・バラエフという同姓同名の人物は3人いたが、アフマド・ミカドは見つからなかった。
 それでもわたしは嬉しかった。その3人のラムザンを順番にあたれば、ミカドの手がかりがつかめるかもしれない。親切な女性に礼をいってから、重い扉をこじ開けて外へ飛びだした。

 そのときは、狭い路地の陰から、だれかに監視されていることには気づかなかった。
(つづく)

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura