ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第4回 〝芸に死ねるか〟

 わたしは大学の卒業を前に、いくつかの決断をしなければならなかった。それは進路のことだった。
 御門流(みかどりゅう)狂言の家元の長男だからというのではないが、わたしは芸の道を選ぶのを当然のように考えてきた。芸にうちこむ祖父の影が大きかったからであって、わたしは幼いころから喜んで稽古(けいこ)に励んでいた。
 初舞台を踏んだのは中学生のときだった。寒露のころに奉納される鎌倉宮の薪能(たきぎのう)で、延命冠者(えんめいかじゃ)の稚児面をかけるのを許され、家元の祖父と親子を演じた。祖父はむろん、翁(おきな)を舞ったのだった。

 いまでこそわかるのだが、祖父の翁は、天下太平を言祝(ことほ)ぐ儀礼というより、肉を離れた魂が、達観(たっかん)に至るまでの苦悩に裏うちされた凄味を放っていた。
 鎌倉の家の土蔵で読んだ祖父の手記が、わたしの生き方を変えようとしていた。芸の道から外れるのではなく、むしろそのために必要ななにか…… そのなにかを渇望する焦りのような心地が、どろりとわだかまった。

 わたしにはふっと、あの大学講師のジャーナリストに会ってみてはどうかという考えがひらめいた。前年の講義要項をめくって、先生のEメールを調べて連絡をとった。
 返信はすぐにきた。秋晴れの空が澄み渡った日の午後、大学の時計塔の下にある小さなカフェで待ちあわせることにした。
 先生はさきにきて、わたしを待っていた。

 庭園に面したテラスに並べられた椅子にゆったりすわっている姿は、見るからに象牙の塔に棲息(せいそく)する人とは雰囲気が違う。彼岸すぎの秋風は肌寒いほどなのに、柔らかく着こまれた木綿のジャケットを羽織って、うすい青のシャツを着ている。ゆるりと足を組んで膝に本を置いていた。
 土漠(どばく)に吹く乾いた風を身にまとって、その人は周囲から隔絶されていた。
 「お忙しいのにすみません……」
 わたしが畏(かしこ)まった挨拶をすると、先生は軽く右手をあげて「やあ」といった。
 「きょうは、なにを聞きたいのかな?」
 いかにも率直な口ぶりだった。

 わたしの悩みごとは、まったく整理されていなかったのだが、思わず祖父の手記のことから話しはじめていた。家業の狂言師を嗣(つ)ぐつもりであることまで、ひととおり説明してようやく、質問にたどりついた。
 「進路のことなのですが、自分はあまりに経験が浅いというか…… あくまで、祖父や父と比べてなのですが。このまま安住していては、凄味のない、のっぺらぼうの芸能者になってしまう気がします。先生はどう思いますか?」

 できれば「先生」と呼ばないでほしいと前置きしてから、いくつか問いただされた。
 「ぼくは古典芸能にそれほど造詣(ぞうけい)が深くありませんが、観阿弥(かんあみ)も、世阿弥(ぜあみ)も、穏やかな小さな島国のなかで能の境地をつかんだのではなかったですか。いまの時代なら、芸の上達のために世界を見てこようというのは大いに結構ですね。ですが、命のやりとりをしている現場まで足を踏み入れたいと思いつめるのはどうでしょう?」
 わたしは未熟だったから、気色ばんだ。
 「いいえ、観阿弥は南北朝の乱世に生きました。世阿弥は佐渡ヶ島へ流刑(るけい)になりました。決して安穏(あんのん)として至高の芸に達したわけでは……」

 先生は「ふーん」という表情を浮かべ、足を組み直した。膝にのせていた本をぱたんと閉じてテーブルに置いた。

 「確かに先生の、いえあなたのようなとらえ方をすれば、ぼくなど、怖いものを見れば強くなれると勘違いしている軽薄な若者としか映らないかもしれません。でも、うまく説明できないのですが、人として芸に死ななければ真理まで到達できないと……」
 身構えて、先生はわたしの顔を見た。
 「ぼくには、知っておきたい消息(しょうそく)があるのです。先生が講義されたように、いまチェチェン人は恐ろしく非道な目にあっているというじゃないですか……」
 わたしは、漠とした不安を相談するつもりだったのが、問答によって一筋の道がおぼろに見えてきて、それを消されてなるものかと焦っていた。

 先生は狩人の目になった。身にまとっていた異界の気は、カフェのテーブルを挟んでわたしまで包みこんでいた。
 「それは、お祖父さんに恩のあるミカドというチェチェン人のことですね。もう一度だけ念を押しますが、もしも、この日本であっても、いずれは安住できなくなる未来が迫っているとしたら、それでも君は、いますぐ行動をはじめたいと思いますか?」
 先生はおおまかな文節に区切って話してくれたのだが、ぴんとこなかった。
 「と、いいますと……」
 個人講義のように丁寧に説明してくれた。

 「つい先月起きたアメリカでの同時多発テロのことを、君はどのように考える? ぼくは取材ビザがおりしだい、来週にもアフガニスタン入りをめざすのだけれど。つぎからの戦争は人類が経験したことのない、おそらくまったく終わりのない無尽蔵(むじんぞう)の憎悪のぶつけあいになるだろうね。
 しかも、新しい戦争のルールに気づいている国は限られている。いまのところ、憎悪を受ける原因に思いあたる節のある大国だけなのだが、ルールは知っていても、ほんとうの戦い方はかいもくわかっちゃいない。
 ましてだよ…… ルールも知らない連中が首を突っこめば、新種の悪性腫瘍(しゅよう)のように世界中に転移するだろう。軍事同盟も防空識別圏も、国境すらまったく関係ない。いたるところが凄惨(せいさん)なテロの現場になる。それに古い戦い方で報復しても、国家は泥沼に嵌(は)まった巨人のように身動きがとれない」

 「先生はいつかこの日本でも、とお考えなんですね。それでも、ぼくはいま経験しておかなければならないと思います。いつかではだめなんです。いつかがくる前に、ぼくが芸道の極意にたどり着けるなら、人々の魂を正しく鼓舞(こぶ)できるかもしれない。もし、いつかがきてしまったら、そのときは傷んだ魂の救済に身を捧げるつもりです」

 先生は、深く息を吐いてつぶやいた。
 「芸に死ぬのではなくて、命を落としてまでも?」
 このときにうなずいたことを、わたしはいまでも後悔などしていない。先生はいった。
 「君は、たしかになにかをつかみかけているようだ。で、君は要するに、ぼくらの世界に足を踏み入れてみたいということだね」

 それからすぐに、先生の海外の知人の連絡さきや、紛争地での注意事項をメールで送ってきた。自分の衛星携帯電話の番号を伝えてくれ、その数日後にはアフガニスタンへ向けて旅立っていった。
(つづく)

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura