ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第3回 〝アフマド・ミカド〟

 翌日ふたたび、男は診療所に現れた。
 「息子のためどのようなことでも」と誓ったとおり、男はチムール帝国が鋳造した古い金貨を1枚、ロシア人の守衛に秘かに握らせていたのだった。祖父のほうは、首尾よくペニシリンを保管庫から持ちだした。
 祖父がにらんだとおり、ペニシリンの投与で少年の容態は劇的に改善した。少年が立ちあがって歩けるようになるころには、このチェチェン人の家族と祖父はすっかりうち解けていた。

 その一家は、男と妻のベーラ、ひとり息子と三人娘、それに祖父母の大家族だった。男の顔に刻まれた深いしわの流紋(りゅうもん)は自足と諦観(ていかん)を表していたが、それは過酷な宿運によって獲得された姿であった。男はチェチェンから3000キロ離れたこの土地へ、戦時中に一族もろともに強制移住させられたのだった。
 チェチェン人の悲運は、なにもこの家族にかぎったことではなかった。妄想に駆られた独裁者スターリンの命令で、ほとんどすべてのチェチェン人がソビエト兵に引き立てられ、土地を追われた。チェチェン人が叛逆(はんぎゃく)してナチス・ドイツと結ぶに違いないと、この独裁者が思いこんだためだった。
 祖父は、満州で生き別れた自分の家族の身の上に重ねあわせて落涙(らくるい)したという。妻と子は無事に内地にたどりついただろうか、たとえ中国で足どめされても生きていてくれさえすればふたたび会える日もくる…… 祖父の話を聞いたチェチェンの一家も大粒の涙をこぼし、苦しみを分かちあおうとした。

 男は、名をラムザン・バラエフといった。
 謹厳(きんげん)なムスリムであったから、チェチェンから追放されたさきが、イスラム教に寛容な土地なのがせめてもの救いだった。
 ムスリムは男系を重んじる。ひとり息子が死ねば家が滅びるのと同じなのだ。ラムザンは一家で心中するつもりだったといった。その愛息はアフマドという名だった。命が救われたのをアッラーに感謝して、祖父の御門(みかど)姓を息子の尊称として使わせてほしいと頼まれた。

それから、アフマド・ミカド・バラエフと名乗ると決められたのだった。

 祖父は不思議な感覚を味わったという。
 この地でひとりの男子を救ったことで、きっと自分の息子もどこかで命をつなぐことができたに違いないと…… その想いは、祖父が堪え忍んで日本へ復員(ふくいん)して、妻子の消息がわからないことを知っても揺るがなかった。
 足かけ9年の長い抑留がようやく終わり、祖父は生き残った仲間たちとシベリア鉄道から引き揚げ船に乗り、舞鶴港にたどり着いた。

 祖父が日本に帰ると決まったとき、ラムザン一家はわがことのように喜んでくれた。自分たちもいつかチェチェンへ帰還できればよいのだがと、望郷の想いを口にした。
 ラムザンは祖父のために祝い歌を唄い、息子のアフマド・ミカドが舞いをまった。歌はチェチェンの言葉でズーラといい、舞踏はレズギンカといった。それはどこか日本の古謡にも似て、抑制された声音(こわね)が重厚さをかもしだしていた。舞いはきびきびと若武者のごとく清新だった。

 祖父は、能狂言の演目の三番叟(さんばそう)を想っていた。日本に戻ったら、芸能の道に精進して、いつか息子と共舞台を踏まねばならない、と。

◇◇

 ここまではモノクローム・フィルムを見せられるような話だったかもしれない。これから、わたし自身の物語になる。いわば実写の鮮やかなカラーであって、目を背けたくなる記録も混じるが、それは許してほしい。

 ミレニアムの翌年の春に、わたしは大学の卒業を迎えようとしていた。
 亡き祖父は多くを語らなかったが、手もとに書き残していた記録を読んだわたしは、自分の心が陽炎(かげろう)となって揺らぐのを感じた。わたしの血と肉がこうして存在する宿運の繊細な糸がどうやって紡がれたか、その苛烈(かれつ)な来歴をはじめて知ったからだった。

 わたしは、憎しみについて語っているのではない。祖父もまた、日本の運命を誤ったあの時代の支配層や、あるいはソビエトであっても憎悪することはなかった。
 戦争の記憶とは、戦争に関わった時代や当事者の世代には覚(さ)めた均衡をもたらし、記憶としての憎しみはむしろ、のちの時代に増幅するものだから。

 そうやって、わたしたちのミレニアム幻想は、2001年9月11日にむなしく失われることになったのだった。
 人類史に刻まれる、あの日……
 覚めた均衡の崩土の上に祝宴を張って、酔いしれていた国の黄金の塔が倒された。世界の闇をまさぐり歩くために張られた意識の命綱はその瞬間に断ち切られ、おぞましい姿の戦争の幕があがった。均衡を失った熱い意識がもたらす災厄こそが、新ミレニアムだった。
(つづく)

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura