幻の〝満州映画〟

 李香蘭(山口淑子)主演の『私の鶯(うぐいす)』は、旧満州映画協会(満映)と東宝が製作した〝幻の映画〟といわれる。1944年(昭和19年)の大戦末期に完成したが、国内では上映が許可されなかった。戦後、長く行方不明とされていたのが1984年に発見されるまで、まさに幻だった。しかし、この作品を〝幻〟と評価してもよい理由は、ほかにもある。

 この映画のおもな舞台は、いまの中国東北部の黒竜江省で、かつて満州と呼ばれた土地である。革命の動乱を逃れてきたロシア帝室劇場の一団が、日本人商社員の一家に救われる。だが、逃避行の最中に一家は生き別れになる。商社員のひとり娘(李香蘭)はロシア人のオペラ歌手の養女になって、ハルビンの劇場でデビューすることになるのだが……。

 プロパガンダ映画を手がけた満映にしては、あきらかに異質な匂いが漂う。中国人として演じていた李香蘭が、はじめて日本人の少女役に抜擢され、しかも全編を通じてロシア語のみ。ほかの日本の俳優も流ちょうなロシア語を操っている。なかでも圧巻は、白系ロシアの著名な音楽家や、東洋一といわれたハルビン交響楽団が総出演する華やかなオーケストラ劇である。


1930年ごろのハルビン・キタイスカヤ街。ロシア人家族の後ろに劇場の広告が見える(彩色写真)

白系ロシアの都ハルビン

 撮影がはじまったのは1942年で、製作には1年半もかかっている。満映のスタジオがあった当時の新京(長春)よりも、ハルビンでのロケが大半を占めた。のちに山口さんが回想するように、ロシア人街の〝キタイスカヤ〟、松花江(しょうかこう)の〝太陽島〟など、いまも残る施設での実写が多い。映画のなかでいくつかの見せ場となるのが、キタイスカヤのホテル・モデルンだった。

 このホテルには、ロシア革命から逃れた皇帝派(白系)のロシア人にまつわる数々のエピソードが残っている。ハルビンは松花江の漁村にすぎなかったが、シベリア鉄道の支線と大連まで南下する鉄道のハブになった。そこへ、ロシアでの迫害を逃れたユダヤ系市民が移住した。モデルンのオーナーも富裕なユダヤ系ロシア人で、とりわけ音楽やオペラに理解があった。ロシア革命後は、芸術家たちがこぞってここに逗留し、ホテルの劇場に出て滞在費を工面したと伝わる。

 そのなかには、のちに日本へ帰化し〝バレエの母〟と呼ばれたエリアナ・パヴロバがいた。映画では李香蘭の養父を演じるサヤーピンも、ハルビンへ亡命してきた著名な声楽家だった。李香蘭が歌う作中歌『私の鶯』のオーケストラを指揮したのは、やはり白系ロシアの指揮者シュワイコフスキーである。


キタイスカヤ街にあるホテル・モデルン。アールヌーボーの建築は当時のまま(2017年11月撮影)

1920年代にモデルン劇場で開かれた舞踏劇の出演者たち(ホテル・モデルン所蔵資料より)

 異例づくめの戦時映画なのだが、きな臭さが漂う場面もある。実は、最初に撮影されたのが、満州事変によって日本軍がハルビンに入城するシーンであったという。上海へ逃れようとしたロシア人は〝歓喜〟し、再び芸術が花ひらくという筋書きである。編集された映画では終盤に登場し、グノーのオペラ『ファウスト』の上演とともにドラマチックな幕切れを迎える。

映画の心証、新しい世界観

 そのころ、〝五族協和〟のスローガンには含まれない満州のロシア社会を、いよいよ統合する必然に迫られていた。社会主義国家の建設に邁進するソ連を横目に、ソ連で唾棄されたロマンス音楽によって惹きつけようという知略であろうか。しかし、ただの謀略映画と割り切れないトリックが、この作品には仕込まれた気がしてならない。

 その謎を解くヒントが、李香蘭の恋人役で登場する日本人の青年画家(松本光男)である。時局と逆行するように、長髪の自由人、当時でいう〝左翼崩れ〟風に演出されている。この映画の製作には、満映でも異色の映画人が結集した。プロデユーサーの岩崎昶(あきら)はプロレタリア映画の活動家、監督の島津保次郎は〝威勢のいい戦時映画〟を毛嫌いした硬骨漢、そして原作を書いた大佛(おさらぎ)次郎はフランス流のリベラリストであった。作中歌『私の鶯』の作曲は、〝敵性音楽〟ジャズの名手の服部良一だった。
 製作陣には、後世へつなぐテーマがあったに違いない。李香蘭と松本光男演じる若者はコスモポリタンであり、文化の力で命運を拓く時代を予感させる。

 この映画のクライマックスになる『ファウスト』は、当時の敵国、フランス歌劇の傑作。しかも、李香蘭の養父役のサヤーピンは、悪魔に魂を売って若さを手に入れたファウスト博士を演じながら、舞台の上で倒れる。そのころの白系ロシア社会の行く末を暗示するようで、不気味である。この映画から受ける心証は、製作者が日本の敗戦を確信していた、ということにつきる。
 遠からず日本に突きつけられる新しい時代、いまでいうグローバルな未来を予兆するかのようだ。世界に通じる手掛かりを、あの時代の暗闇に探っていた。極東の狭い列島に封じ込められずに、〝満州〟という大陸へ開いた窓からのぞいてこそ、見えた世界観なのかもしれない。


旧満州映画協会、2階の部屋で甘粕正彦理事長が自殺した。現長春電影旧址博物館(2017年11月撮影)

口絵=『週刊朝日』(1943年8月15日)掲載広告。当局の許可がおりず国内では上映できなかった。

**この記事は、湘南アカデミアでの筆者の講演『幻の映画・李香蘭主演〝私の鶯〟〜ハルビンとエリアナ・パヴロバの時代』(江ノ電沿線新聞社主催)を書き改めたものです。

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura