〝ゴールデン街の夜〟

 新宿のゴールデン街は、花園神社の裏道から細い小路に10軒ほどの店が身を寄せあっている。戦争の焼け跡の売春街だった青線(あおせん)地帯からはじまって、いまでは、昭和の残り香が漂う新宿界隈でも数少ない場所である。

 山﨑の行きつけは、リヴァイアサンという小さなバーだった。この店に、岩田一雄を呼びだしていた。
 カウンターに5人も座ればいっぱいになる。60がらみのなじみのママが切り盛りしている。ママはむかしロシア民謡の歌手をしていて革命家と恋に落ちた。パトロンはさる左翼の有力者だった。

 山﨑と岩田は、とまり木に背中を並べた。
 「山忠さん、あんたは大事な話はここでするんだね」
 「そうだ。気の置けないやつしか連れてこない」
 「で、今夜はなんですか。再雇用のことですか?」
 「ちがう」

 岩田が労組の委員長になってから、ふたりは距離をおいていた。もともとは、中東のクウェートで苦楽をともにした仲だ。今夜は、腹を割って話さねばならない。
 「あのな。大量退職者を自衛隊へまわしてくれないか。むろん希望者だけだ」
 「なんですって?」
 「自衛隊だ」

 岩田は腰がぬけそうになった。丸椅子からずり落ちそうである。
 「悪い冗談はよしてくださいよ。山忠さんらしくもない」
 「いや本気だ」
 たたみかけるようにいった。
 「いまのままでは、きみらの主張するような定年延長は難しい。まともな仕事はほとんどない」
 「それが、最終結論ですか?」
 「そう思ってもらってかまわない。そこでだ……」
 「なんでしょう?」
 鋭い眼差しが山崎に刺さった。山崎はぐっと酒をあおった。

 「よく聞け。おれたちは、この国を変えられなかった。いや、変えようともしなくなった」
 「ふーん」
 「おまえだから話せるが、おれたちが背負っている宿命みたいなもの、わかるよな」
 「いったいなんの話です?」

 「呪縛(じゅばく)だよ。戦争世代が敷き直した戦後社会のレールがうさん臭くて、若いころはそこから逃れようとした。だから、おれたちは左翼にかぶれたり、外国まで飛びだしてがむしゃらに働いてきたんじゃないか?」
 岩田は考えこんだ。
 「おれたちは反抗したけれど挫折した。それをいまでも引きずっている」
 「そうだ。いまごろになって、片がついていないことに気づかされる。中東にいたときに、なんども聞かされたよな。血の復讐(ふくしゅう)っていう言葉さ」
 岩田はどきっとした。
 「……」
 「血というのは、残酷な仕返しという意味じゃない」
 「何世代にもわたる恨み……でしたね。でも、団塊世代がなんでいまさら?」
 「おれたちにしかできないことさ」

 砂漠の暑く乾いた風が、ふたりの目の前を吹きわたっていた。
 あのときも山﨑がリーダーだった。そして岩田は、黙って命がけでついてきた。

 満腹商店 / PIXTA
©満腹商店/PIXTA

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura