〝あんた右翼?〟

  山﨑は、タクシー運転手の荏柄(えがら)と妙な縁ができた。ロシアンバーに誘ってからというもの、渋谷で飲む仲になっていた。

 荏柄の行きつけの百軒店(ひゃっけんだな)のホルモン焼き屋で串をつまむこともあった。ホッピーの焼酎割(しょうちゅうわ)りが、荏柄のお気に入りだった。
 山﨑は爪楊枝(つまようじ)で白モツをひと切れ突き刺した。
 「ガラさんよ。あんた、家族はいるのかね?」
 「娘がひとり。ふたり目の孫が去年生まれましてね」
 「幸せそうじゃないか」
 「そうでもないんですよ……」
 荏柄は口ごもっている。

 山﨑は話題を変えて、父親のことを聞いた。同世代なら、親たちも同じような体験をしているのではないかと思ったからだ。
 「おやじはね、憲兵(けんぺい)だったんすよ」
 荏柄の顔がすこし曇った。
 「なにか悪いことを聞いたかね?」
 「おれのおやじは、ばかなんすよ。戦争から帰ってきたとたん、懺悔(ざんげ)とやらで、自分があっちでやったことを洗いざらい話したんです。黙っていればいいものを……」
 「なにをやったというんだね」

 荏柄の父はもともと警官だったが、志願して満州へわたった。関東軍の手駒になって不穏分子(ふおんぶんし)を検挙していたらしい。終戦まぎわに攻めてきたソ連軍の捕虜(ほりょ)になり、シベリアの収容所に送られていた。
 戦後、ある雑誌の取材を受けた。憲兵隊の名簿を手に入れて、戦争犯罪を告白する人物を探していた。ほとんどすべての関係者が証言を拒んだのに、なぜか荏柄の父だけが応じたのだった。
 「それはひどい記事だった。いや、記事じゃなくて、そこに書かれていることがむごかった。おれはまだガキだったから、こんな親の血を引いたのかと思うと、死にたくなった……」
 「しかし、それは勇気があったからじゃないか」
 「おやじはそれでよかった。こっちは、お前の父親はシベリアでアカになったんだろうって、親せきや近所からいわれて、さんざんな目にあった」

 荏柄は高校を卒業すると、すぐに家を飛びだして上京した。
 映画館の椅子交換、銭湯(せんとう)の掃除、なんでもやって生きのびた。やっと小さな衣料品の卸会社に定職を得たが、子どもができたころにバブルが弾(はじ)けて倒産した。職を転々としてタクシー運転手にたどりついていた。

 「家族にはおやじのことは隠しました。娘の縁談にさわると思ってね」
 娘は18歳で嫁にいった。妻とは離婚した。
 「ですがね、娘は孫に会わせてくれないですよ。高校生になったら反抗しましてね。ずっと口をきいてくれなかった」

 山﨑は考えこんだ。おとなは過去に口を閉ざし、子どもは未来を語らなくなった。やはり、あの戦争からなのだろうか。高度成長やバブルのころまでは、ごまかしがきいたかもしれない。だが社会がここまで沈降すると、この歪(ゆが)みの原因はいったいなんだということになる。根雪のように解けないわだかまりがあった。

 荏柄は、そんな難しいことは考えていなかった。板場に叫んだ。
 「おーい! ホッピー、おかわり」
 かちかちに冷えた焼酎入りジョッキに、ホッピーをつぎ足した。
 「でもね、いまなら少しはわかるんですよ。おやじの気持ちがね」
 「ほう? なんで過去を告白したのかってこと?」

 「山忠さんみたいに頭がよくないから、うまくいえないけど。おやじは自分たちへの罰を、子や孫や、ずっとそのさきの子孫まで、負わせたくなかったんじゃないかな。罪は自分の世代だけでつぐなおうって。おやじなんかは見ることもできない未来だけど……」
 「ところが、あんたの父親に罰を与えたのは、罪からのがれようとする人たちだったわけだ。町内の愛国婦人会のおばちゃんとか、軍国少年を戦争に送りこんだ学校の先生とか、共犯者はいくらでもいたんだよな」
 「ああ、そんなのがいた。おいらがガキのころに、そういう人たちはみんな民主主義に転向したっけなぁ。戦争の痕跡(こんせき)なんかきれいさっぱり消して、アメリカさんの尻を追っかけていたね」

 siiixth / PIXTA
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 「戦争を忘れると、どうなるね?」
 「血で血を洗う復讐(ふくしゅう)ってやつさ」
 「血か……」
 「だってそうでしょう。殺された側は、殺した者を呪(のろ)うだろうよ。おれらはいつ、その呪いから解かれたんだ?」
 荏柄はずいぶん熱くなった。
 豚トロの串を口にくわえて、山﨑は指を立てて生ビールを注文した。

 「でもさ、復員(ふくいん)軍人が固く口を閉ざしたのは、子や孫に類をおよぼさないためじゃなかったのか?」
 「おれも口をつぐんできたから、偉そうにはいえない。だけど、戦争を死ぬまで語らないってのは、自分では責任をとらないってことだ。だれかにつけをまわすのとおんなじだ」

 子や孫のためと思って沈黙しつづけて、いつのまにか、若者は戦争について考えることから遮断されたのだ。その行く末に待ち受けるのは、荏柄のいうような……。

 山﨑の脳裏(のうり)を、ひらめきが稲妻となってうった。
 「もしやあの男。秋谷(あきや)太郎はそれを、おれたちに引き受けさせようと……」
 「えっ? なんかいいましたか」
 荏柄はアルコールが効いたせいで、耳が遠くなってきた。 

 「あのな、ガラさんよ。もしおれがあんたに、まだ人生は終わっちゃいないって、いったらどうする?」
 「なにをいまさら。おれはもうあがりだよ。早く死にてぇ」
 「兵隊になる気はないか?」

 ガチャンと大きな音がして、ジョッキが床に落ちて砕けた。店の女の子があわててモップを持ってきた。
 「まじかよ。山崎さんには、驚かされることばっかりだよ。ロシアンバーでいってたこと、酔っぱらいの冗談じゃなかったの?」

 山崎も、早く亡くした父親を思っていた。
 母からは、父が居合(いあい)の達人だったと聞かされて育った。この歳になってDNAが疼(うず)くのだ。勝負はすべて鞘(さや)の内というが、あの戦争は、鞘の内になにを秘めていたというのか。あれが父の望んだ戦さだったのだろうか……。
 山崎の腹は決まった。〝権力〟の挑戦を受けて立とうと。

 「ガラさんには礼をいうよ。あんたの話を聞いて、おれはようやくやる気になってきた。おれたちの世代なら、まだなんとかできるかもしれない」
 「あの作家の美川清麿(みかわきよまろ)みたいに、自分の軍隊をつくるのかい。あんた右翼?」
 「いや違う。自衛隊に入るんだよ」
 「で、どうやって親世代の片をつけるんだ?」
 「考えがある」

 荏柄はよくわからない顔をしているが、山﨑のことは疑っていない。きっぱりといった。
 「あんたが右翼でもかまわないさ。おれが一番槍(いちばんやり)をかつぐ」

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura