〝秘められた過去〟

 秋谷(あきや)は、成城にある美波(みなみ)しずかの家にいた。

 「お休みの日なのに鎌倉から、悪いわね」
 「御前(ごぜん)さまの呼びだしなら、しかたないよ」
 源義経(よしつね)の愛人、静御前(しずかごぜん)にかけたしゃれだった。

 きょうは、ゆきと大黒たちのサーファー・パーティーとやらに誘われていたのだが、昼前になって急にしずかから電話がかかってきた。
 50坪の一戸建てで、帝国ホームが建てた洋館風の家である。政治家としてはまずまずの屋敷構えだ。夫からの財産分与だった。別れた夫は、参議院議員の美波達也で、いまは警察の総元締めの国家公安委員長をしている。しずかは、元夫の姓のままで通していた。

 フレンチプレスのコーヒーを淹れた。
 「なかなかいい味でしょ。あなたエスプレッソ派だったわね?」
 秋谷としずかがはじめて会ったのは、英国へ留学していた1988年、とあるカフェだった。しずかのほうから声をかけたのだった。
 当時は、ふたりとも、セントアンドルーズ大でMBAの取得をめざしていた。

 しずかは、小学校に入ったばかりの年に父親を亡くしていた。
 父、本山(もとやま)喜一郎(きいちろう)は、東大の新進の経済学者だった。
 60年代の論壇で頭角をあらわし、その理論は、当時のマル経(注1)に一辺倒だった風潮に逆らって、ケインズ流の修正資本主義だった。東大紛争が激化するなかで〝帝国主義者〟といういわれないレッテルを貼られたが、しずかの父は臆することがなかった。

KID_A / PIXTA
©KID_A/PIXTA

 ところが、その父がある日突然、亡くなった。お茶の水駅のホームから転落したのだ。終電の時刻だったから目撃者もいない。警察は飛びこみ自殺とみていた。だが、遺書はなかった。家族には、自ら命を絶つ理由がまったくわからなかった。しずかは、いつか必ず父の死の真相を明らかにすると心に誓っていた。
 しずかが強くなったのは、それからだった。知的な面長の顔立ちからは想像もできないほど、不屈の闘志を胸に秘めていた。

 濃いコーヒーをひと口味わって、秋谷はすぎ去った時を思った。
 「どうしたのよ、まじめな顔をして。わたしのこと、惚(ほ)れ直したんじゃないの?」
 「うん、まあな……」

 若かったころはお互いに不安をかかえていたから、身を寄せるようにして居場所をつくっていた。英国では同棲のような暮らしをして、結婚を真剣に考えた時期もあった。しずかがひと足さきに帰国して外資の銀行に就職し、政治家の秘書だった美波と交際しはじめたころから関係が遠ざかった。
 しずかには期するところがあるように、精力的に政治の世界に接近した。やがて美波と結ばれると、夫を当選させるのに身を粉にして尽くした。その10年後には、自ら衆議院の赤絨毯(あかじゅうたん)を踏んでいた。

 秋谷は、英国で学位を取得すると、防大の教官に任じられた。席を暖めるまもなくロンドンの秘密情報部SISへ派遣され、帰国すると防衛省から誘われた。

 「ところで、帝国グループの退職者を自衛隊に入れる案件はどうなの?」
 「まだ決まっていない。鍵(かぎ)を握るのは、あの山﨑忠義(ただよし)だよ。あの男をこっちへ引きこまなければ、労働組合を動かせない」
 「やはりね。山﨑は経営側にいるけれど、ほんとうはかなりの左派(注2)よ。わたし、公安の記録を調べさせたのよ」
 テーブルの上に赤い表紙のファイルを開いた。
 A4版で5、6枚の紙が綴(と)じられている。厳重秘の印が押されていた。山﨑の父の経歴から書かれていた。

 〝山﨑輝男(てるお) 大正4年松本生まれ 海軍少尉 昭和25年8月没〟

 山崎の父はもともと商工省の役人だった。戦争がはじまって軍需物資を担当して南方に派遣されたこともある。日本の敗色が濃くなったころに軍規違反のかどで逮捕され、陸軍拘置所内で終戦を迎えた。
 長男の忠義が2歳の年に、父は狭心症で死んだ。過酷な拘置所暮らしのせいで衰弱したのだった。あとに残された母と息子は困窮した。成績が抜群だった忠義は、伯父(おじ)の援助で東大に進学することができた。学資を稼ぐためには重労働もいとわなかった。東京オリンピックの特需にわいた工事現場では、東大生とは思えない働きぶりが帝国建設の当時の部長の目にとまり、そのまま引っぱられて就職していた。

 「驚いたことにね、山﨑忠義は東大経済学部でわたしの父の教え子だったのよ。父が助教授になったばかりのころのゼミ生だった」
 「それだけか?」
 「山﨑は、父が唱えた修正資本主義には不満だったらしい。赤色同盟に入ってマルクス流の革命を学んだようね。活動歴もあるわ。安保闘争(注3)のときに国会前で警視庁に逮捕されている」
 「ふーん、筋金入りだね。たしか、きみのお父さんが亡くなられたころじゃ……」

 しずかの胸に熱いものがこみあげてきた。目頭(めがしら)をそっと押さえた。
 「父が死んだのは、東大の安田講堂事件(注4)があったときよ。革命連から大学を辞めるように脅迫されていたの……」
 「山﨑は赤色同盟系だから、革命連とはむしろ対立していた。きみのお父さんを死に追いやったとは思えないけれどなぁ」
 口もとを硬く結んで、しずかが秋谷をにらんだ。

 革命連とは、そのころ最も過激な路線をとっていた革命的学生自治連合のことである。赤色同盟はこの革命連から分裂し、安保闘争を主導していたが70年には解体している。
 「わたし、いまでも自殺とは信じられないの。いつか機会があったら、山﨑に聞いてみたいことがあるのよ」
 「気をつけてくれたまえ。親の仇(かたき)をとるために自衛隊に入れたなんて、邪推されたらまずい。きみのまわりには新聞記者がうろうろしているからね」

 しずかはうわの空で、秋谷の忠告など聞いていない。
 「もうひとり、帝国建設には怪しい人物がいるの。会長秘書の佐島(さじま)よ。大学こそ違うけれど、革命連のセクトで活動していた。それとね……」
 しずかは声をひそめ、秋谷は聞き耳を立てた。
 「佐島には、殺人容疑で検挙された過去がある」
 「なに! 殺人だと」
 「セクトのメンバーが大学構内で死体で見つかった。内ゲバだった。まっさきに疑われたのが佐島というわけ。疑いは濃厚だったけれど、証拠があがらなかった。それで、不起訴になって釈放されたのよ」

注1 マルクス経済学、資本主義の歴史構造分析。国家的実験はおおむね失敗し、より無秩序な資本社会もどきに堕した。
注2 フランス革命で反王党派が議場左翼を占めたことに由来、革命勢力の意に転ずる。こうした左右二極思考は、国際的にはガラパゴス化している。
注3 日米安保条約の改定や延長をめぐる騒乱。1959〜60年には日米共同防衛等を争点に国民的紛争に発展した。
注4 1969年、東大安田講堂を占拠した学生と機動隊との攻防戦。団塊の世代が主力の大学民主化闘争だった。

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura