第9回〝野武士のような男〟

 荒垣(あらがき)会長が山﨑を秋谷(あきや)に引き合わせたのは、松涛(しょうとう)の料亭だった。BUNKAMURA(文化村)の裏通りからちょっと入った閑静な住宅地のなかでも、わかりにくい奥まったところにあった。

 山﨑は、渋谷駅前のスクランブル交差点をわたったあたりで雑踏をさけて歩こうとして、円山(まるやま)町のぬけ道に入った。赤やピンクのホテルの看板が立ち並ぶ界隈だが、とくに用事のない者は近づかない路地であった。
 ちょうどそこで、タクシー運転手が暴行されている現場に遭遇(そうぐう)した。捨ておくわけにもゆかず、酔って暴れている若者を追っ払らったのだ。そのタクシー運転手のことは、料亭に着くころには忘れていた。

 いかにも隠れ家ふうの行灯(あんどん)が小径(こみち)に置かれ、よく刈りこまれたサツキが小さな赤いつぼみをつけている。露地門(ろじもん)のところで若女将(わかおかみ)が出迎えていて、着物のぬき襟(えり)からのぞく白いうなじに導かれて離れ座敷に入った。

クレハ / PIXTA
©クレハ/PIXTA

 庭園にのぞむ奥まった部屋では、荒垣と秋谷が待っていた。脇息(きょうそく)にもたれて談笑する様子は、旧知の仲のように見えた。

 「こちらが防衛省の秋谷太郎君だ。ぜひきみに会わせたくてねぇ」
 床柱を背にして座っている荒垣が紹介した。
 「これはどうも、はじめまして」
 山﨑は畳に手をついてから、秋谷の向かい側に腰をおろした。防衛省の役人と聞いて内心では身構えている。

 「まずはご一献(いっこん)、いかがですか?」
 若女将の細い指が九谷焼の銚子(ちょうし)のくびれを持ちあげた。荒垣がその銚子をさっと奪って、山﨑に盃をとるよう催促した。
 荒垣がぐいっと銚子を突きだした。
 「まずはぐっと。堅苦しい作法はぬきだ」
 「頂戴(ちょうだい)します」

 山﨑が盃を干すさまを、秋谷は両膝に手を置いてじっと見ている。いかにも野武士(のぶし)のような男の気を漂わせていると、秋谷は直感した。

 若女将のお酌(しゃく)を待って、荒垣が語りはじめた。
 「今宵はおおいに天下国家を論じようじゃないか。わが国の人口構成なんだが、歴史に例がないほど歪んでいるのは承知のとおりだ」
 たぬき顔の荒垣がなにをいいだすのか、山﨑は警戒している。
 「驚くじゃないか。1億2000万人のうち、4分の1が高齢者なんだよ。数年前から急増しておるんだ。団塊(だんかい)の世代が仲間入りしているからな。定年を多少延長したところで、しばらくはどこの企業からも大量退職がつづくというわけだ」

 山﨑は、だいたいの察しをつけた。
 国の社会保障費は30兆円ほどで、大量退職の時代を迎えて雪だるま式にふくらんでいる。泥縄(どろなわ)式に年金の支給年齢を引き上げても、その穴埋めのつなぎ年金(注1)には、帝国グループだけでも毎年億単位の資金が必要だった。

 「そのさきの筋書きは、想像を絶するでしょうな」
 秋谷が割って入った。つづけていった。
 「大量退職世代の平均余命を25年としても、そのころには財源が枯渇(こかつ)する。国の借金はもはや天文学的数字(注2)です。この調子で膨らみつづければ、早晩、日本は破綻(はたん)します」

 山﨑がかみついた。
 「それは……。われわれの世代の責任なのですか?」
 「そうは申しませんが、世の中は世代交代によって支えられている。あなたがたは、戦争のせいで人口減少した上の世代を支えてきた。ボリュームを比較すれば、楽な負担だったのです。ですが、あなたがたを支える世代は容易でない」
 荒垣が深くうなずいている。
 山﨑はたたみかけた。
 「つまり秋谷さん、あなたたち世代のことですな」

 「若者に期待したいですが、バイタリティがない。いわばバブル経済の犠牲でしょうな。バブルをつくって崩壊させた罪とは、世代間のバトンタッチを破壊したことにつきる」
 「なにがおっしゃりたいのですか?」
 山﨑には苦々しかった。世代の壁というやつが頭をもたげるのだ。おれたちの苦労がおまえらなんぞにわかってたまるか、といってやりたかった。
 「バブルの責任もわれわれにあると?」
 「あの時代に30代以上だった世代の責任は重い。つまり、いまの中高年ですな。むろん、その責めは社会全体で負わされたわけですが、いびつな人口構成こそが淵源(えんげん)なのは疑いない。この歪(ゆが)みを補正しないかぎり、日本は破綻する」

 「歪み、ですか?」
 「そうです。なにも人口を減らそうといっているのじゃない。これまでのようにぬくぬくと引退はできない、ということです。神室(かむろ)総理がおっしゃるように、まさに国民総活用の時代なのです」
 「総動員とは……。ぶっそうですな」
 「いいえ、動員ではなくて活用です。さもないと、この国難を乗り切れない」

(注1)公的年金が支給されるまで企業が支給する年金の俗称。公的年金の受給年齢が引き上げられればさらに負担増。
(注2)国の借金は2014年度末で1053兆円、国民ひとりあたり830万円。対GDP比債務残高で世界最悪。

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura