第7回〝学生運動って?〟

 〝大黒〟こと、田所たけしは、学校の勉強ができたほうで大学までやってもらった。それから親の願いを聞いて、地元の保健福祉事務所に就職した。お世辞がへたなせいか課長どまりだったが、無難に定年退職を迎えていた。

 年甲斐(としがい)もなくサーフィンをはじめたのは、退職の年に妻の保代(やすよ)が家をでて行ってからだ。

 毎朝6時にはロングボードをこいで沖へでて、波がなければ釣り糸をたれている。小ぶりなイワシやアジがけっこう釣れた。そっちの腕前は血筋だ。海に浮かんでいるだけで憂(う)さを忘れた。
 天気のよい昼さがりには、海からあがったサーファーが集まって、大黒(だいこく)の釣った魚をさばいて酒を飲むこともある。そんなとき、大黒はいつも上機嫌だった。

 3月もなかばをすぎてシラス漁が解禁になったから、大黒の親せき筋の漁師が沖漬けの差し入れをもってきてくれた。浜の宴会のときに、ゆきのほうから聞いた。
 「大ちゃん、奥さんは元気なの?」
 大黒はちょうど海からあがったばかりだ。濡れたサーフスーツを番小屋の柱にかけて、冷えた体を炭火で暖めている。
 「ああ、修善寺(しゅぜんじ)で陶芸教室をやってるらしい。音信不通ってやつでよ」
 「もう離婚したの?」
 「いいや、まだ」
 大黒はめんどくさそうに鼻をかんだ。石ころをひとつひろって、酒の肴(さかな)をねらって頭上を旋回しているトンビめがけて投げた。

 kamekopapa / PIXTA
©kamekopapa/PIXTA

 大黒と妻の保代とは、大学時代に知り合った。保代は、そのころ盛んだった学生運動(注1)の熱心な活動家だった。1968年の新宿騒乱事件のときは、1週間も駅に寝泊まりして平気な女性だった。

 「がくせーうんどー、ってなに」
 「めんどくせえなぁ。親から聞いてねえのかよ? むかしの学生は平和のために闘ったんだ」
 「そういえば父さんがいつか、上の世代は学校なんか行かなくていいというから困るって、こぼしてたかな」
 「まあな。試験なしの大学もあったし、勉強なんかしなくても卒業できた。なにしろ教授連中をつるしあげたから、学問なんぞできるわけがねえ。おまえの親父(おやじ)は50代だったよな。しらけ世代(注2)か」

 「つるしあげ……って?」
 「ガキのころに学校にいただろう? 先生に楯つくやつがさ。おまえの親父は年寄りが嫌いなのかねぇ」
 「わたしだって、先輩がうざいと思うことはあるけど」
 「嫌煙、減塩、いまじゃ嫌老(けんろう)かよ。おれたちゃ、国難だとさ……」
 なにがおかしいのか、大黒はくすりと笑っている。ゆきは、ぷいと横を向いてしまった。

 保代は、大黒とは違っていた。結婚してからも、ゴルフ場の反対運動から市長のリコールまで情熱を傾けてきた。大黒が定年退職になると、「あなたも好きにしてちょうだい」といい残して、せいせいした顔で家をでて行ったのである。保代が流産してから子供は授からなかった。身軽な夫婦の高齢離婚を引きとめる奇特な人のあろうはずもない。

 なぜ保代が自分から去ったのか、よくわからなかった。
 大黒も、かつては学生運動に燃えた。それも、あの時代の若者の通過儀礼だったのだろう。保代のようないちずな生き方はとうに捨てていた。大黒にしてみれば、保代がいつまでも青臭いままなのは、世渡りを知らないからだと思った。

 サラリーマンをやってみて、親方日の丸にがまんならなかったが、昇進と引きかえに労働組合から足を洗ったころには世の中を悟った気がしたものだ。平和を守るためには戦争もやむをえないだろうし、そうなれば徴兵も必要と思うようになった。
 ところが、保代はいうのだった。
 「戦争のおかげで平和に繁栄している国なんてあるの? 戦争で命や暮らしが守られるっていう考えこそが、戦争の怖ろしさを忘れた平和ぼけよ」

 そんな議論になると、大黒はいつでも保代にはかなわない。たしかに、大黒の理屈より保代の嗅覚(きゅうかく)のほうが鋭かった。例外があるとすれば、この日本だ。もしかしたら日本人こそ、間違った政治は戦争でもやらないかぎり改まらないと身にしみたのかもしれない。それならなおのこと戦争はまた起きるかも知れないと、大黒は思うのだった。

 大黒はいまでは、父の勝利(かつとし)が死んだ年齢になっていた。父は、戦争を肯定も否定もしなかった。ただ、むごいといった。このごろでは、もしも自分があの戦争を頭から否定してしまえば、亡き父を貶(おとし)めるような気がしてならないのだった。

 つい、若くて無邪気なゆきにからんでしまう。
 「おまえ、おれをばかにしてるだろ? みじめなおっさんだって」
 サーファー仲間の竜が割って入った。
 「大黒さん、やめなよ。ゆきはまだ子どもなんだって」
 竜は鉄筋工だ。高校は中退したが、現場では腕ききの職人だった。自分の息子なら、これぐらいの歳になるかと考えた。「親父、しっかりしてくれよ」といわれたようで、くすぐったかった。

 「あ、やだぁ。父さんとチボリだ!」
 ゆきが頓狂(とんきょう)な声をあげた。

 黒いニューファンドランド犬を連れて、秋谷(あきや)太郎がゆったりと浜辺を歩いてくる。子牛ほどもある犬だったからよく目立った。チボリという名だ。稲瀬川の幅の狭い河口をじゃぶじゃぶしぶきをあげてわたったあたりで、チボリがゆきに気づいた。ずぶ濡れの犬に引っぱられ、秋谷が近づいてきた。

 「いつも娘がお世話になっています」
 サーファーの格好をしていても年長とわかる大黒に、小さくおじぎした。チボリはゆきに伸しかかって遊んでいる。

 「これはどうも。お世話ってほどのもんじゃありませんがねぇ」
 照れくさそうにして、つるっと丸めた頭をかいた。大黒は、思いだしたようにいった。
 「嫌老(けんろう)の、ゆきのパパさん?」

 軽くジョークを飛ばして、いつものゆるい顔に戻った。

(注1)学生による政治デモンストレーション。1960〜70年代初頭に盛んになる。左派優位のなか民族派も活動した。
(注2)1950〜60年代初頭生まれで、政治紛争の沈静期に青春を迎える。権力肥大、冷戦膠着で政治意識が低下していった。

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura