第5回〝極秘任務〟

 東シナ海は、大陸から張りだす低気圧のせいで大しけだった。だが、海底に身をひそめる海上自衛隊の潜水艦みちしおのソナー室は静まりかえっている。

 「アクティブソナーを感知」
 ソナー員が敵潜水艦の発信音の波形を確認した。抑えた声音(こわね)で、三浦艦長に報告してきた。

 この海域は、自衛艦はもちろん、米国、中国、台湾の潜水艦がひしめく銀座通りのような場所である。最近は、中台の潜水艦からのアプローチが増えたが、台湾なら旧式のディーゼル艦だからすぐにそれとわかる。ソナー員は、ロシア製の哨戒(しょうかい)型潜水艦の可能性が高いとみた。
 アクティブソナーは超音波を発信し、そのエコーをとらえて敵艦を探しあてる。逆探知されれば正体をさらしてしまい、敵に捕捉(ほそく)されるリスクを負う。だから、明確な攻撃目標にのみ使用されることが多いのだ。


©iLexx/PIXTA

 熱島(あつしま)の北西の公海を深く潜航するみちしおは、敵艦から追尾されてもう6時間がたとうとしていた。すでに、海上自衛隊の対潜哨戒機オライオンが上空から警戒し、音紋(おんもん)とよばれる潜水艦の指紋のような固有の特徴の解析を進めていた。

 みちしおの乗員は、三浦艦長以下70人の海上自衛官と、新聞記者がひとりだった。リアルタイムズ紙の岩田丈(じょう)である。

 緊迫する南方取材のために乗り組んでいた。めったにないことだが、「わが国の主張を海外へ発信する必要がある」という大磯(おおいそ)防衛大臣の肝いりで、現場の反対を押し切って実現させたのだった。
 丈は社会部の遊軍(ゆうぐん)記者だ。自衛隊が海外へ出るようになってから、たびたび戦争取材に派遣されていた。負けず嫌いで、数々の特ダネを飛ばしてきた。35歳になってますます脂がのっていた。
 有楽町の外国特派員協会では〝JOE(ジョー)〟と呼ばれ、外国人記者のちょっとした情報源になっている。政府に都合よく丈を取りこめば、海外のメディア対策にもなるだろうと、防衛省の広報は踏んでいた。

 艦内に張りつめる空気を丈は察知した。
 「三浦さん、どうしたんです? きょうはもうずっと浮上していませんがねぇ。なにかの訓練ですか」
 艦長室の椅子の背にもたれて、丈は伸びをしている。
 くせ毛をかきあげ、足を投げだすように組みかえた。ヘリンボーン柄のツィードのジャケットに木綿のボタンダウンシャツを着ているが、ネクタイだけは成人式から締めたことがなかった。

 「ほう、丈さんのソナーもなにか感知しましたかな?」
 三浦はとぼけた顔をしている。
 「ソナー、ですか。もしかして中国艦を探知したとか?」
 「まだ未確認の艦船です。間違えないでくださいよ」

 退屈気味だった丈の表情が、にわかに活気づいた。海曹長(かいそうちょう)がドアをノックし、艦長室に入ってきた。丈に気づいて躊躇(ちゅうちょ)したようだが、三浦は「かまわん」といった。丈は聞き耳を立てた。
 三浦が海曹長に聞いた。
 「で、潜水艦の所属はわかったか」
 「はっ。音紋(おんもん)からは中国の寧波(ニンポー)所属とみられます」
 「そうか。監視をつづけなさい」

 三浦は、困ったことにならねばよいがと思っていた。いつまでわれわれを挑発するつもりなのか、その理由を確かめねばならない。
 丈は、海曹長の報告に敏感に反応していた。
 「やっぱり中国でしたか。ねらいは、熱島(あつしま)でしょうな?」
 三浦は渋い顔だ。丈の見立てが図星(ずぼし)だったからだ。
 「なんともいえない」

 隠しべたなのが、三浦の長所でもある。
 機密をもらすのは論外だが、丈のような記者には話し方のくせを読まれてうそがつけないのだ。三浦は、丈を蚊帳(かや)の外におく気はない。

 「丈さん、ちょっとはずしてもらえるか。官邸(かんてい)に報告しなければならん。確かなことがわかったら、ちゃんと教えるから」
 それが半年にわたる作戦のはじまりとは、だれも想像しなかった。

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura