第3回〝ある陰謀〟

 凉子がワインのコルクをぬき、荒垣が味をみている。帝国酒造が南仏に所有するワイナリーから送らせた、特別の樽(たる)である。酒が進んでようやく、胸襟(きょうきん)を開いて話せる芳醇(ほうじゅん)な気がみちた。

 「それで、きみの大事な話とはなんだね?」
 秋谷には腹案があった。大磯大臣からは、ごく信頼のおける側近にしか明らかにされていない極秘のプランだった。英国仕立てのストイックな上着のボタンをはずし、ゆっくりと話しはじめた。
 「実のところ、御社(おんしゃ)の山﨑さんの力を借りたいのです」
 荒垣は意表を突かれた。
 「山﨑? うちの中東アフリカ屋の、あの男か。この春で執行役員を退くはずだが、どうしてきみが興味を持つんだね?」

 山﨑忠義(ただよし)。信州の出身で、いざなぎ景気の大量雇用組である。建設現場で働きながら東大を卒業した努力の人だが、この男の苦労は帝国でのキャリアにあった。財閥企業は縁故採用の時代だったから、山﨑は出世コースからはずれた部署にまわされた。オイルショック(注1)の混乱期には、自ら手をあげて中東へ赴任し5年暮らした。中東の茫漠(ぼうばく)としたスケールが性にあっていた。

 秘書の佐島が口をはさんだ。唇の端に小じわが寄った。
 「山崎はクウェート駐在のときにイラクで人質になりまして、わたしもずいぶんな目にあいました」
 「彼は変人なところがあるようじゃないか」
 荒垣にしても、山﨑をよく思っていないらしい。

 秋谷は、山﨑の海外での経歴を公安ルートで探っていた。1990年の湾岸危機(注2)のときに、バグダッドで監視下に置かれたが、部下を引き連れて銃火をかいくぐって脱走したのだった。その経歴に興味を持った。海外派遣を経験した自衛官でも、これだけの猛者(もさ)はいなかった。

BNP / PIXTA
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 太平洋戦争の旧軍出身の自衛官はとっくに退役したから、ほんものの戦場を知る人材は限られる。秋谷はむしろ、民間の逸材(いつざい)に目をつけていた。ベトナム戦争中のサイゴン、アフガニスタン侵攻時のカブール、湾岸戦争のときのイラク、コソボ紛争の旧ユーゴ……。実は、戦後の戦争を生きぬいた日本人はけっこうな数がいるのだった。
 もちろん彼らは銃を持って戦ったわけではない。企業の最前線にいて、ある人は現場のプラントを戦火から守り、ある人は空爆をかいくぐって部下を安全なところへ逃がした。山﨑のように、人質になって命を脅かされても屈しない男がいたのだった。秋谷にしてみれば、武器をまったく使わずして戦争を生きのびた知恵と経験こそが、なによりの魅力だった。

 荒垣が、佐島に問いただした。
 「山﨑は、わが社の再雇用部門の統括責任者だったな。定年見直しプロジェクトを任せたのではなかったか?」
 「はい。政府から押しつけられる定年延長(注3)に備えて、ぎりぎりまでコストカットして働かせる方策を考える部門でして」
 「たしか、山﨑は70年入社だったな?」
 「さようです」
 大量雇用された世代は、必然的に大量退職に直面する。その先陣が、4、5年前から定年を迎えはじめていた。山﨑と同期の幹部の多くは、グループ子会社に天下る切符を手に入れた。山﨑だけは、その他大勢の社員の再雇用を担当する仕事を引き受けて、労働組合との交渉の矢おもてに立っていた。

 荒垣があごをしゃくった。
 「秋谷君は山﨑になにをやらせたいのだね?」
 「会長はつねづね、わが国の防衛力、とくに人材の充実にご関心をお持ちです。そこで相談があります」
 いよいよ秋谷が、言葉の剣(つるぎ)をぬき放った。

 「広く民間から、戦争に精通した逸材を募りたいのです。若者ではなく、必然的に高齢者にならざるをえません。われわれで選抜する人の多くが辞退するでしょうが、それでは困る。国益が守れない」
 「というと。きみらが指名した人材を徴募(ちょうぼ)すると?」
 「言葉の印象が悪くなりますが、ゆるやかな徴兵といってもよろしいでしょう。自衛官が兵士であれば、ですが」
 「なぜ、帝国グループのわたしに相談を?」
 「まずは、山﨑さんはじめ、おたくの企業グループから人材を選ぶ先鞭(せんべん)をつけさせていただきたいのです」
 秋谷はすっと立ちあがって深々と頭をさげた。

 「うーむ……」
 保守の論客(ろんかく)の荒垣でも、うならざるをえない申し出である。腕を固く組んで小首を右へ傾けた。佐島もあ然としている。

 ことの成り行きを見守っていた凉子が、ころあいを見計って秋谷の耳もとに控えめにささやいた。
 「お電話が入っています」
 「こんな秘密の会合にまで……。だれからだ?」
 「美波(みなみ)しずか先生でございます」

 凉子は秋谷を個室に案内した。美波しずか衆議院議員は2期目ながらすでに防衛副大臣を務めた才女だ。いまは神室(かむろ)首相の補佐官である。秋谷とは同世代でかねてからのつきあいだった。
 用心深い秋谷は、駐日外国公館の諜報部(ちょうほうぶ)から盗聴、追尾されるスマホは使わない。どうしてここを探知したのか、さすがの秋谷も、しずかのスパイもどきのテクニックのからくりはわからなかった。

 「もしもし、おれだけど。いま取りこみ中なんだが」
 「あら、荒垣さんと会っているんでしょう?」
 しずかは会合の相手まで知っていた。だがその声には、いつもの弾(はず)む調子がない。
 「どうしたんだ?」
 「あなたに知らせておこうと思って。いま入ったばかりの沖縄の米軍情報よ。中国の艦船が熱島(あつしま)の領海に接近している」
 「艦船って、まさか海軍か。何隻だ?」
 思わず秋谷の語気があがった。
 「わからないわ……」

 秋谷は、受話器の口もとをそっと片手でおおった。
 「例の案件をいっきに通すチャンスかもな」

(注1)1973、79年に起きた。中東の戦争や革命を機に原油が高騰し狂乱物価に。日本の高度成長が終わった。
(注2)イラクのクウェート侵略に端を発し1991年の湾岸戦争へ発展。湾岸諸国と米国の利権確執は以降も一貫してつづく。
(注3)2013年に法改正を施行。定年引き上げ、継続雇用などを柱とする。多くの企業が低賃金での再雇用を選択した。

横村 出
ジャーナリスト/作家
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、モスクワやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年にフリーランスへ転身する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームで小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura