役者の〝リアリティ〟

 むかし、わたしが秋田で新聞記者をしていたときに、リアリズム写真家の木村伊兵衛を知る地元の人から聞いたエピソードがある。その人は、戦後まもない農村風景や人物を撮影にきた、この著名な写真家を案内していた。
 木村さんは、感慨深げにいったそうだ。「秋田の田んぼでは、あちこちで三船敏郎が馬を引いている」と。なにも、秋田に美男子が多いたとえではない。時代の記憶を表情に刻んで、しっかりと大地に生きる〝いい顔〟をした男がたくさんいた、という意味だった。

 わたしは〝演じる世界〟の門外漢だが、最近、戦争の時代を描いた日本の映画やドラマを見てわかることが、ひとつだけある。役者の顔からその人なりの〝来歴〟が読み取れない。どれだけ迫真の演技でも、自分自身は隠しようがないのだ。
 アフガンやチェチェンで取材した難民の顔には、まるで人生を早回しにしたかの時間が刻印されていた。なにもかも失った人は老人に見えたが、聞けばまだ20代、30代だった。一方、兵士らは恐怖と悔恨、魔界に身を売った興奮の余韻を浮かべていた。だれもが、そのような人生を演じる運命を強いられていた。

 この著作は、世界の紛争地や国際政治の現場など数々のドキュメンタリーを手がけたジャーナリストが描く、女優杉村春子さんの評伝である。膨大な記録とインタビューから、「女の一生」(注)を演じきった女優の来歴を明らかにした。その一節に、女優の森光子さんへのインタビューから引き出した杉村評がある。

 「重いものを背負った人の目の上げ方とか、うつむき具合とか、本当に辛い生涯を送っている女の人、他の方では真似できないことをなさっている感じでした」

 代表作の「女の一生」の初演は39歳のとき、最後に演じたのは84歳のときだったという。主人公の〝布引けい〟の16歳から60歳までの人生を演じたのだった。著者は、杉村さんから「900回(の舞台)を超えたあたりで、ようやくこの芝居がわかった気がするんですよ」と聞き、驚いたと述懐する。

杉村春子

 杉村春子さんの存在感は、〝リアリティ〟という言葉で表現されている。リアリティとはその人の来歴であり、生き方そのものである。杉村さんは1906年(明治39年)、広島市に生まれた。上京して築地小劇場に入り、のちに文学座に加わる。戦争末期、東京大空襲のさなかの1945年(昭和20年)4月に、渋谷の東横劇場で初演された「女の一生」は、死と背中合わせの舞台だった。

 本書の圧巻は、映画・演劇界の実力者へのインタビューもさることながら、杉村さんの死後、自宅の居間に残されていた1500通の手紙を著者自ら預かり、それを読み解くために差出人を丁寧に調べあげたことだ。そのなかには津々浦々から寄せられたファンレターがあって、それら手紙の往来から知られざる素顔の杉村春子像を明らかにしている。
 NHKの名プロデューサーだった著者は、じつに20数年の長きにわたって杉村春子という女優の〝リアリティ〟の在りかを探ってきた。ドキュメンタリー番組を企画していた最中の1997年春、杉村さんの訃報を聞く。だが、著者の探求はそれで終わらなかった。ひとりの女性の死をもってしても、そのリアリティは消せなかった。むしろ著者の心の中でずっと生きつづけた、という。

 杉村さんが残したこんな科白で、この著作は締めくくられている。
「でも、私は今、私の一生はこれからっていう気がするのです。あなたのお子さんや孫たちの行く末を見守りながら、これから始まる歴史の中に、私の一生を入れていただこうと思うのです……」

忘れられないひと、杉村春子
川良浩和著『忘れられないひと、杉村春子』(新潮社)2017年6月刊

(注)「女の一生」 原作は森本薫、杉村春子の主演によって947回上演された。身寄りのない境遇に生まれた主人公〝布引けい〟は縁あって貿易商人の家にもらわれる。やがてその勝ち気な気性を見こまれ、長男の妻となる。中国との貿易で財をなした家も、日中戦争、太平洋戦争で没落する。時代に翻弄されながら、強く生きる女性のリアリズムを描きあげた。

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、ロシアやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年に独立する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura