韓国と北朝鮮の南北協議が開かれた後の1月13日、板門店(パンムンジョム)を訪れた。ここは、南北を分断する非武装地帯(DMZ)のなかでも、双方の共同警備区域(JSA)にある。昨年11月、北朝鮮の亡命兵士が銃撃された現場でもある。日ごろ見聞するテレビや新聞風に表現すれば、「現場では南北の緊張が高まっている」……はずだった。
 意外なことに、板門店は世界中の観光客でにぎわっていた。北側から張り出した低気圧に覆われ、氷点下の寒々した土曜日だった。午前中だけでツアーバスが4台、320人ほどの観光客がひしめいている。〝ダークサイド・ツーリズム〟とも称される観光である。年間で16万人にのぼり、うち6割が日中韓からで、ほかは英語圏という。特別な事情がないかぎり、こうしたツアーが連日のように実施されている。
 わたしがここを訪れるのは2度目になるが、今回はこの〝DMZ観光〟に参加してみた。

板門店の会議場
板門店にある軍事停戦委員会の本会議場は観光客でいっぱいだった。2018.1.13©I.Yokomura

 前回ここに来たのは、2000年の夏だった。当時の金大中(キム・デジュン)大統領が初の南北首脳会談を実現させ、ノーベル平和賞を受賞した年でもある。つかのまの雪どけムードに染まっていた。そのときはプレスとして訪れたが、DMZも板門店もあたり前のように閑散としていたものだった。
 核ミサイル危機と観光客……。現在の板門店の不思議な光景を見て、いわゆる地政学の基本を連想した。〝地政的な対立は、つねに利益を反映する〟という原理である。それは、対立する国家や同盟に〝恩恵を与えてくれる〟という意味だ。DMZ観光も「平和学習」とのことだが、それとて危機によって演出された国家の役割の学習ではないかと思える。

 〝国民国家〟という枠組ができた近代以降、国家にとっての緊張がさまざまな利益をもたらしてきた。このからくりを理解できないナイーブな国は敗北する。北朝鮮の核ミサイル危機でも、飛び交う政治プロパガンダと紙一重の駆け引きが透けている。北朝鮮と中ロ、米国と日本、さらには米中と北朝鮮……。冷めた関係への警鐘、安保の枠組み強化、軍備の新たな売却、あるいは貿易摩擦の回避であったりする。核戦争が起きたとして、それすら国益に変換されてしまう現実は、わたしたちの悲しい歴史が教えてくれている。
 さて、DMZの土産物売り場は大盛況の様子だった。米や野菜、北の葡萄酒や人参、南北境界線の古い鉄条網まで売られている。あまり知られていないが、DMZには農村があって国の保護を受けている。観光客に販売する農産物が収入源にもなっている。DMZに暮らす農家の平均年収は、国の支援も含めて日本円でおよそ1000万円になる、と聞いた。

DMZの土産物売り場
DMZ米
DMZにある売店は土産物であふれている(写真上)。なかにはDMZ産の米もあった(写真下)。2018.1.13©I.Yokomura

 南北協議が開催された翌10日のことだが、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が重大な発表をした。慰安婦問題をめぐる国家間の解決の〝見直し〟である。地元メディアは、日本の拠出金と同額を韓国側が負担するという決定をめぐって「(国家の合意を)事実上無効にする」と報じていた。
 そこで、ソウルの日本大使館の近くにあるという〝少女像〟を見に行くことにした。その日は、この像のまわりで行われているという〝水曜デモ〟の当日でもある。現場に立ってみて、はじめて気づくことがあるものだ。

 ところが、なんとも妙な感覚にとらわれた。そこは、ソウル中心部の景福宮をのぞむ風光明媚な場所だった。現在は、旧館の取り壊しと改築が行われていて、大使館は隣の17階建ての高層ビルのなかにある。少女像は、4車線道路をはさんで向かいにぽつんと置かれていた。わたしがいた時間帯にデモはなかった。それどころか、像の隣にテントを張って見守りをしている9人の若者をのぞいては、通行人の姿を見かけただけだった。
 ニュースの写真や映像では、少女像やデモばかりクローズアップされて肝心の全体像が見えず、距離感がつかめていなかった。異様なのは、工事中の旧館の敷地にめぐらされた工事壁がまるでバリケードに見えることだ。その壁は大型バスの2倍の高さで、警備車両が何台も縦列駐車している。そうして守られているのが、彼方の高層ビルの8階から11階にある大使館だ。

 おそらく予備知識のない人の目には、小さな少女像を怖れて国家がひきこもっているように映るにちがいない。いったい、なにをそんなに怖れているのかと……。かつてわたしが駐在したナイロビで、米大使館が爆破され300人近く死亡したテロがあった。だが、テロ後の大使館でもこれほどものものしくは見えなかった。状況的に似ているのは、バグダッド、カブール、テルアビブあたりの米大使館である。
 なんというシュールな光景なのだろう。少女像は、慰安婦が受けたあらゆる苦痛を代弁するだけでなく、日本統治時代の痛みをも代弁している。そうやって孤独に〝国家〟を挑発する像に、ある人々は同情し、あるいは怒る。しかし、この構図から読み取るべきは、〝国家〟によっては救われようのない〝個人〟との深い断絶感ではなかろうか。

慰安婦像と日本大使館
ソウル市内のデモ行進
右奥のビルがソウルの日本大使館、それを囲む白い壁と警備車両、手前は少女像と見守りのテント(写真上)。一方、収賄罪などで起訴された朴槿恵(パク・クネ)前大統領の釈放を要求するデモは、目抜き通りを封鎖して数千人が参加していた(写真下)。2018.1.10-13©I.Yokomura

 想起するのは、ロシアのサンクトペテルブルクの、とある情景だ。市内を流れるネヴァ川のほとりに、監獄として使われた赤茶けた煉瓦の建物がある。スターリン時代に、罪なく粛清された人が処刑され、シベリアの強制労働へ送り出された悪名高い所である。クレスティ(十字架)監獄とも呼ばれる。

 1990年代のことだが、この川をはさんだ対岸に、女性の顔をしたスフィンクス像が置かれた。いまよりも自由な時代に、ある前衛芸術家が市民の寄付で制作したのだった。この岸辺にたたずむ像は、監獄にいた肉親を待ち焦がれる女性たちの悲痛な叫びを代弁していた。
 そこには、肉親をスターリンに奪われた詩人、アンナ・アフマートワの言葉が刻まれている。スターリン時代に、彼女の詩を活字にすることは許されなかった。アフマートワはひたすら詩を紡ぎ、記憶した。「わたしの詩集は発禁だが、記憶までは禁止できない」(注)と。その詩作は、虐げられた人々の痛みであり、癒やされない記憶へのレクイエムだった。

 このスフィンクス像が竣工したとき、あたかも永遠に睨みつづけるかの静かなたたずまいに戦慄した。国家を挑発するこの像は、プーチン大統領の時代には煙たいものになった。いまやスターリンは、国民が最も尊敬するロシア人の上位にいる。国家はどんな手を打ったのか。プーチン大統領はこの像を撤去するような野暮はせず、監獄そのものを取り壊すと決めた。
 だが、アフマートワが書き残したように、たとえ建物は消せても〝記憶〟までは消せない。そもそも国家と個人とは、消せない記憶と同じように交わることのない存在ではないか。国家が支配できるのは〝国民〟だけであって、個人の記憶まで支配するのは不可能なのだ。

 文大統領はこの日の会見で、「日本が被害者に心から謝罪し、国際社会と努力すればおばあさんたちも日本を許し、完全な問題解決になる」と語ったそうである。だが、国家が和解をもたらすという考えこそが幻想だ。国家や政治は都合よく対立を利用し、さまざまな利を得ようとする。
 ひとりひとりの人生と同様、国家にも許されない〝過去〟がある。個人には癒やしようのない〝記憶〟が残る。できることがあるとすれば、異なる個人と個人、異なる社会と社会がひとつの〝神話〟を紡ぐことだ。そこに、いかなる国家も、政治イデオロギーも介在させてはならない。

(注)安井侑子著「ペテルブルグ悲歌 アフマートワの詩的世界」(中央公論社)

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、ロシアやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年に独立する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura