雪月夜(ゆきづきよ)といえば、大正昭和の浮世絵師、川瀬巴水が手がけそうな題材だ。広辞苑には「雪のある時の月夜」とあって、俳句の季語にもなっている。日本の冬の気候では、雪がふりやんだ晴夜に浮かぶ月になろう。
 ところが、極寒の大陸ではまれに、煌々と照る月をあびて雪がふることがある。いわば、月夜のダイヤモンド・ダストのようなものだろうか。これまで真冬のサンクトペテルブルクと西シベリアで見たことがある。

 11月末に訪れた中国・黒龍江省のハルビン(哈爾浜)が、雪月夜だった。シベリアからの寒気に覆われ氷点下20度になって、ちょうど満月が重なった。かつてハルビンにロシア人が造った〝キタイスカヤ〟は、黒々した石畳に舞う雪片がきらめいて異国風の街並みを幻想的に見せていた。

ハルビンのキタイスカヤ街
キタイスカヤ街の夜、正面の建物はかつてのカフェ〝マルス〟 2017.11©I.Yokomura

 2017年は、ユリウス暦で1917年の10月(現在の暦の11月)に起きたロシア〝十月革命〟からちょうど100年にあたる。この革命によってボリシェビキと赤軍が権力を掌握し、ソ連建国までの内戦がつづく。それを逃れて、この街に多くの〝白系〟と呼ばれる亡命ロシア人が押し寄せてきた。
 シベリア鉄道を遼東半島まで延伸する拠点だったところへ、とりわけ富裕なユダヤ系のロシア人が数多く移住してきた。銀行家、宝石商、貿易商人たちがこぞって石や煉瓦のビルを建て、ロシアの植民都市を築いていった。

 わたしが泊まったキタイスカヤ街の〝モデルン〟も、そのころユダヤ系ロシア人が開業した古いホテルだった。向かい側には、与謝野晶子が立ち寄ったカフェ〝マルス〟の建物が残っていた。舞踏家のエリアナ・パブロワは、ここから日本に渡って〝日本バレエの母〟と呼ばれるようになる。オペラ歌手のシャリアピンらほかにも多くの芸術家が往来し、文化を継承していった。

 一方で、この100年の間にハルビンの運命は変転した。日露戦争後には〝大日本帝国〟の影響が及ぶようになり、かつてのロシア移民にかわって日本から送りこまれた満蒙開拓団のターミナルになる。〝満州国〟の建国と前後する戦争の時代に、とりわけ暗い記憶がこの地に刻まれた。

 なかでもハルビン郊外にある〝七三一部隊〟の旧跡では、大規模な発掘と保存が進められていた。訪れたのが灰色の雲がたれこめる極寒の日で、人影もまばらだった。中国人の数グループと韓国人とおぼしき旅行者が数名、それと日本人がわたしひとりである。ユネスコの世界遺産登録に向けて整備していると聞いていたが、32平方キロある敷地のおよそ10分の1の地下が掘られている。ペスト菌や毒ガスの人体実験を行っていた棟や、〝丸太〟と呼ばれた中国人やロシア人被験者を収容した監獄を含む広大な礎石群がむき出しにされていた。

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鋼鉄製の巨大な屋根で覆われた発掘現場(上) 支柱を組んで倒壊を防いでいるボイラー棟跡(下) 2017.11©I.Yokomura

 ここは、1945年8月9日、敗戦を察知した石井四郎部隊長の指示で証拠隠滅のため爆破された施設であった。数年前から本格的な調査がはじまり、2015年には現代的な陳列館が竣工し、あとは地下遺構の全貌を明らかにすることが計画されている。地方政府によれば、2020年までに完了させるという。

 わたしは、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれている碑文「過ちは繰り返しませぬから」を想った。まだ若かったとき、あの碑文を読んでその含意のすべてはわからなかった。〝過ち〟とはいったいなにか。原爆投下に至る惨禍だけではない。対象を外に求めれば、戦犯の、時代の、地政学上の、国家の、イデオロギーの……過ちであろう。内向するなら、人類の、わたしたちの過ちである。
 けれどもわたし自身が、いくつかの戦場、テロの現場、戦跡をめぐり歩いて知ったのは、「過ちは繰り返される」という冷徹な事実だった。

 中国の戦争史跡はいまどこも〝過ち〟を学ぶ場所であると聞いた。侵略した国と、侵略を許してしまった歴史。いっそう愛国心を高めるためという。それは対立軸のある〝過ち〟であろう。ひるがえって、日本のいまという時代は、この〝過ち〟をどう解釈しようとしているのだろうか。
 かつて、李香蘭と呼ばれた山口淑子さんが、幼いときに旧満州で目撃した記憶を証言している。日本軍の撫順守備隊が地元民を虐殺した〝平頂山事件〟だが、その真相を正しく理解したのは、のちに戦跡の遺骨館を訪ねたときだったという。

 「55年前の撫順で目撃した出来事と、いま改めて歴史に照らして検証した事件とを重ねてみると、私はまさに、運命の『時代』と『場所』に居あわせてしまった——という『個人』と『歴史』との因縁を痛感する」(注)

 歴史は、個人の〝記憶〟に働きかける。幼い日に刻まれた記憶は、半世紀の時間のなかで歴史の含意がわかる心と知性を与え、やがて真実を教えてくれる。山口さんは平頂山を訪ね、そこに吹く風を「鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)」の忍び泣きにたとえている。それは、ご自身の流した涙だったのかもしれない。
 ハルビンのキタイスカヤにふる雪は、すべてを抱擁するように平和だった。わたしはもういちど、「過ちは……」という誓いの含意を自分の胸に問うてみた。

(注)山口淑子・藤原作弥「李香蘭 私の半生」(1987年 新潮社)

横村 出
ジャーナリスト
1962年生まれ。早稲田大学の大学院で比較政治を学んでから、朝日新聞社に入って記者として働く。ほどなくロシアのサンクトペテルブルク大学で言語文化を習う。その後、ロシアやアフリカに海外特派員として駐在しつつ、いくつかの戦争や革命、テロの現場を歩いた。2010年に独立する。早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に『チェチェンの呪縛−紛争の淵源を読み解く』(岩波書店)など。

*Bee Mediaに掲載される筆者の記事は個人的見解に基づいて書かれています。© 2017-18 Izuru Yokomura