ジャーナリスティック・ノベル『剣(つるぎ)ノ舞』
第55回・最終回 〝コンパッション〟

 尾根のキャンプ地の見晴らしの良いところに、大きなテーブルのような一枚岩があった。はるかにエルブルス山のまっ白な双子(ふたご)の頂まで見渡せた。わたしとセリョージャはそこが気に入った。

 ドックに頼んで、ジャマートで使っているノートブックと鉛筆をわけてもらった。粗末な紙でも、このとおり十分に役に立つ。わたしは、君を探しめぐった旅で経験したすべてを書き残すことにした。わたしのつたないロシア語のつづりや文法の誤りは、セリョージャがひとつひとつ丁寧に直してくれた。おかげでなんとか、君に読んでもらえるレベルになったかと思う。

 ある日、わたしはセリョージャに質問した。
 「君はいつだったか、絶望と重ねあわせの希望について語ってくれたことがあったね。ぼくは、ようやくそれが理解できるような気がするんだ。君はいまも、諦(あきら)めないと思っているか?」
 セリョージャはうつむいていた。
 「なんともいえないな。いやもう諦めたのかもしれない。君の国では諦めの美学のことを無常(むじょう)といったね。おれにもその意味が、いまなら少しわかるよ。皮肉なものだな」
 「美学ではないさ。ぼくは、精神文化によってある民族を美化しようなんてまったく思わない。人は愚かだ、例外なくね。ここにきてよくわかったよ。普遍的な精神を独善で解釈するところに、愚かな熱狂が現れる」
 「そのとおりさ。イスラム教も、おれのキリスト教も。もしかして、君の国でもそうだったのか?」

 「うん。無常というのは、そういう人間の愚かな歴史の土壌にまかれた種のようなものだよ。うまく育てば、すべてを受け入れる境地にもなれる。ぼくの先祖は、数百年の歳月をかけてそれを表現しようとした。この世に恨(うら)みを残して死んでいった者が立ち現れ、ひとしきり怨念(おんねん)を語る。やがて生きる者のために喜びと祝福を祈願して去ってゆく。ぼくたちは、そこに許しを感じることができる」
 「許し……。おれたちは、絶対的な存在によってのみ許しが与えられると2000年も信じてきた」
 「だから、なにをしても許されると?」
 「そうじゃない。許されない罪もある。だが、君のいう独善に落ちれば、その罪すらわからなくなる」

 わたしは、あの北オセチアの学校で、裸の子どもが硝煙(しょうえん)のなかから飛びだしてくるのを目撃して、アウシュビッツで撮影された1枚の写真を思い浮かべていたのだった。そのことを話すと、セリョージャはこういった。
 「おれたちはいまも、強制収容所にいる。チェチェンが、いやロシアという国家そのものが収容所なんだよ」
 「アウシュビッツから生還できた人々がわずかにいるけれど、どうやってあの地獄に耐えられたのだろう。希望だろうか?」
 「そうは思えないな……。耐えきれずに、ガス室に送られる前に高圧電流の鉄条網に飛びこんだ人もいたと聞いた」
 「絶望のはてまで行き着いた人の心に残ったのは、おそらく、死んでも生きるという信仰ではないか……」
 そのときふっと、「マリアはどうしているだろうか」と思った。
 なんとか一命をとりとめてほしかった。だが、助かったとして、このロシアで彼女のような良心の人が生きるのは難しい。再び命を狙われるであろう。それはマリア自身が一番よく知っている。でも彼女は、信念を曲げずに告発しつづけるに違いない。なぜなら、死んだように生きるより、たとえ死んでも生かされる精神を大切にしているからだ。
 それが、ジャーナリストとしてのマリアの誇りなのだ。

 わたしも、君に、最後にどうしても伝えなければならないことがある。

 わたしの祖父である東御門(ひがしみかど)達夫が、なぜ君の父のアフマド・バラエフの命を救ったのか、知っておいてほしい。祖父は、自分の息子を中国に残してきた。息子は孤児になっていた。
 病床のアフマドをはじめて見たとき、その息子のことを想ったはずだ。命を助けてほしいと必死に懇願(こんがん)した君の祖父ラムザンの姿は、わたしの祖父の心情そのものであった。だから危険を冒(おか)したのだ。
 戦争の悲惨をくぐり抜けて、祖父は正しく理解していた。子どもたちの命さえ守られるなら、いつか人類が救済される可能性がある。子どもの命が奪われるところに、永久に救いはないと。

 たとえ、君がテロリストと呼ばれる人間であっても、救われた命なのだ。わたしの祖父と君の祖父が救った命から生まれた。だから、だれかの命を奪うのではなく、救って紡(つむ)ぐ人になってくれ。

 もちろん犯した罪は償(つぐな)わねばならない。しかし、それはロシアの権力に対しての償いではない。ロシアもまた己(おのれ)の罪を償うのでなければ公正とはいえない。だから、失われた命の償いをしてほしい。怒りを熱い〝コンパッション(compassion/慈悲)〟に変えて、ともに苦しみ、祈ってほしい。

 君が生きていても、死んでいても。

◇◇

 これで、わたしのノートブックは終わりだ。
 それからわたしたちの運命がどうなったか、補足しておいたほうがよいかもしれない。ということは、殺されなかったのだ。

 思いのすべてを書ききって、わたしは満足していた。これが運命なら黙って受け入れようと思っていた。ところが、しばらくして友人のノルベックが、ひょっこり姿を現した。
 彼は、わたしたちが拉致されてから懸命に努力した。ジャマートのキャンプにいることを人づてに突きとめ、土地のムスリムの長老たちを訪ね歩いて解放に協力してくれるように説得した。セリョージャのことも、マリアの同僚で公平な人物であると証明した。やがてドックは、わたしたちを無条件で放免することに同意した。
 ノルベックは、「これで借りは返したからな」と、照れくさそうに笑っていた。わたしはこのノートのことが気がかりだった。もし処刑されるなら、ドックになんとか頼んでミカドに渡してもらうほかないとあきらめていた。だがこれで、ノルベックに託してアマンの家に届けてもらうことができる。
 このノートをぱらぱらとめくって読んで、ノルベックは少しは感心してくれたようだ。
 「君は、コメディアンにしておくには惜しい」
 そういって、人なつこい目もとを緩(ゆる)めた。

 わたしたち3人は、尾根のテーブル岩の上に立っていた。遠くエルブルスに雪雲がかかっている。太陽は白い日輪(にちりん)になって雲に隠れた。天頂から、黄金色の光がいく筋にもなっておりてきた。
 カフカスの乾いた風が、わたしの身を巻いて吹き抜けた。

「剣の舞」 完

剣ノ舞
ご愛読ありがとうございました。小説『剣の舞』(江末 壬著)は、2018年1月末、Amazon.co.jpから刊行する予定です。

横村 出
1962年新潟県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科卒、同大学院政治学研究科博士前期課程修了。朝日新聞社入社後、ロシア国立サンクトペテルブルク大学へ派遣留学、モスクワ特派員。ナイロビ支局長。チェチェン戦争(2001~2004年)、アフガニスタン戦争(2001~2002年)、パレスチナ西岸・ガザ侵攻(2002年)、イラク戦争(2003年)、ジョージア・ウクライナ革命(2003/2004年)など、旧ソ連東欧〜コーカサス地方〜中近東〜中央アジアの戦場や紛争地、テロの現場で取材。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議では第1回〜3回までロシア代表団に同行し北京で取材した。2010年に退社し、独立する。立教大学社会学部、獨協大学外国語学部でメディア論の非常勤講師を務め、早稲田大学オープンカレッジでは「国際報道から読み解く世界」「戦場から読み解く世界とジャーナリズム」の2講座を春夏に開講している。江末壬(えすえ・じん)のペンネームでも小説を執筆する。著書に「チェチェンの呪縛〜紛争の淵源を読み解く」(岩波書店)など。

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